2-1 アンヘルム・ハーバー
手袋を眺める。
これを作ったのは稀代の魔道具技師、アンヘルム・ハーバーだとアルマは言っていた。まあだからどうというわけでもないのだが。
「ニヤニヤしてどうしたんだよ兄さん」
そう声をかけてきたのは弟のテオだ。俺とはあまり似ていないその弟は不審そうな顔をしていた。俺は顔を片手で隠す。
「アルマからプレゼントをもらって喜んでるんだよ。もう少し浸らせてくれ」
「……」
テオが半眼でこちらを見ている。何か言いたげだ。こういう時はええと。
「俺に用か?」
「その通りだよ。サインちょうだい。パパっと書いてくれればいいから」
「はあ?なんでまた」
「俺の友達が兄さんのファンらしくて」
「ふーん」
サインねえ。ファンが欲しがってるってことは色紙に書くあれか。
求められたことがないわけではないが、書いたことないんだよな。
「自分で会いに来いって言っとけ」
「働いてないんだからそれくらいしなよ」
「ぐぬぬ」
それとこれとは別なのでサインは書かないが、働いていないのは事実なので悔しがっておく。
「俺なんかのファンとは酔狂なやつだな。しょうがねえから俺がこの前地下迷宮で取ってきたワイバーンでもくれてやるか。ほい」
アルマが探索中に回収していたモンスターの死骸の5割を俺に渡してきたせいで、今俺の部屋は素材だらけだ。解体するのも大変なんだぞ。
「うわぁ!?」
解体前のワイバーンを投げたらテオが驚いたような声をあげた。アルマが肉を焼いたおかげで腐りはしないはずだが何かまずかっただろうか。
「な、なにこれ」
「何これも何もワイバーンだろ?部屋にいっぱいあるからお前も持って行っていいぞ」
「いらない。いらない!ヴィンツの分だけでいい!てかそんな大きいもの学校に持ってけるわけないじゃん」
「それもそうか」
鱗をベリっと剥がす。
「その御学友の名前はなんて言うんだ?」
テオは俺や姉と違って貴族の学校に通っている。俺は平民の学校に通って酷い目にあったので、じーちゃんにテオには貴族の学校に行かせてやってほしいと頼み込んだのだ。こうしてテオは楽しくやっているようだから、俺の行動は間違っていなかったのだろう。
で、だ。そのテオの友達ってことは多分貴族なんだろう。失礼のないようにしないとな。俺だけなら雑でもいいが、テオの学校生活にも関わることだから。さっき雑に扱おうとしただろって?つい癖でな……。
「ヴェンツェル」
「おーけー。ヴェンツェルさんへ。と」
鱗の上に名前をペンで書き込んでおく。気に食わなかったら消して売り払えばいい。
「これでいいか?」
「良すぎるくらいだよ。さっきのあれはなんだったんだ」
「んー。俺は誰にもサインは渡してないから、公平にな」
テオが形容しがたい顔をした後首を振った。
「疲れたから部屋に戻る……」
「そうか、お大事に」
俺は片手を軽く振って見送った。
さて、手袋をまた眺めるか。
俺はこの手袋のおかげで随分強くなった。今ならリーヌスのやつにも勝てるかもしれない。……やっぱ無理かも。
最近会っていない又従兄弟の顔を思い浮かべる。気狂いみたいな表情してる顔しか思い浮かばんな。まあ気狂いのようなもんか。あんなんに負け越してんだよな俺……。まああいつには姉貴も負け越してるからいいか。
「ラウル」
「ジルちゃん」
ジルちゃんはかなり高頻度でこの家に来るようだ。遭遇率が高い。わざわざ俺の部屋に来たのは初めてだが。
「どうした?」
「さっきテオがラウルの文句を言いながら歩いていた」
「あー」
まあ仕方ないな。俺とテオの仲は良くもないが悪くもない。俺はテオのこと好きなんだがままならぬものだ。
「愛情ってどうやったら伝わると思う?」
せっかくジルちゃんがいるので、聞いてみることにした。
「テオにってこと?十分すぎるくらい伝わってると思うけど……」
「そう?」
「うん。で、本題」
「ああ」
さっきのが本題じゃなかったんだ。
「その手袋、仕掛けがある。大したものじゃないけど」
「?」
「一定時間経ったら爆発する。ラウルなら心配しなくていいと思う」
「えっ」
爆発する、ってことはこの手袋が使えなくなるってことなんじゃないのか。
「なんで知ってるんだ?」
「製作者が言ってたから。アルマもなんでアイツに頼むんだか」
「そりゃ特殊素材だったからだと思うが……」
口数が少なくて分かりにくいが、いつものことだ。ジルちゃんは武人だからな。
発言から考えると、アルマはそれに全く関わってなくて製作者がイタズラとして仕込んだってことか。嫌なことするなぁ。爆破されたくなきゃ会いに来いって?
「そういやジルちゃん」
「なに?」
「魔法使いを名乗るうえで必要な最低条件ってなんだと思う?」
「自分に流れる魔力を実感できて初めて魔法を使うスタートラインに立ったと言える。つまり、魔力探知が自分自身に使えることが条件」
「なるほど」
さすがジルちゃん。すぐ答えてくれるし、実際正しそうだ。
俺は魔力探知が使えない。
とはいえ魔力はあくまで通貨だ。
真偽の方は不明だが、生物の体には生きる上でエネルギーを節々に行き渡らされる上での通貨のようなものがあるという仮説を知り合いの研究者……てか俺の唯一仲の良かった後輩から聞いたことがある。しかし我々人間はその通貨を意識することはない。よって俺は通貨を認識できなくても魔法が使えるってわけ。
うん、適当言った。
事前に消費する魔力を計算しているから別に直接認識しなくても問題ないってだけだ。俺が使う魔法はそもそも計算しやすいように設計してある。
「私は魔力がないから魔法使いではない。でも奇跡は使える。奇跡は神がもたらす力だから誰でも使える、必要なのは疑わないこと」
ジルちゃんが首を傾げながら言った。お前は奇跡が使えるんだから魔法使いになんてならなくていいだろ?とでも言いたげだ。
「それが教会の言葉。正しいけど全部を言ってるわけじゃない」
「え?」
ジルちゃんが俺をじっと見つめながらいつもとは違う言葉を紡ぐ。俺は思わず驚いてジルちゃんを見る。
「生物としてのスケールの大きさ。これが奇跡を扱ううえで最重要の才能。魂の大きさとか言ったりする」
小さい容器に外部から大量の水を注ぎ込むことはできない。外部からの力を借りるためには、扱う人自体がそれを扱うための大きな容器を持つ必要があるということだろうか。
魂って言うのは十中八九比喩だろうな。
「俺はそのスケールが大きいと?」
「そういうこと。ラウルが1番セインの才能を受け継いでると私は思ってる。いやそれ以上かも。だから魔法にこだわらなくていい。ラウルは誰よりも大きく強いんだから」
「あ、ありがとう」
ストレートに褒められて少し照れる。なんて言っていいか分からない。素直じゃないアルマとしばらく一緒にいたからかジルちゃんの真っ直ぐな物言いが新鮮に感じる。
……じーちゃんの才能ねぇ。俺はじーちゃんに全く似ていない。見た目もそうだが性格も。剣技に関してはテオが1番じーちゃんに似てるだろうか。愚直に振り続けたがゆえの、“それ”に届きうる剣。姉貴のせいで現在迷走中だが、良い先生さえ見つかれば軌道修正は可能なはず。
しかし今ジルちゃんが言っているのはそういうことじゃなくて、魂の大きさ?に関しては俺が1番じーちゃんに似てるってことだろう。
じーちゃん奇跡を使う才能まであったのかよ……まあじーちゃん割となんでもできるからな。俺と違って。
「魂の大きさが大きいと何ができるんだ?」
「奇跡がたくさん使える」
「他は?」
「精神の召喚って言う教会の秘技がある。召喚される時にめちゃくちゃ大変になる」
「ええ……」
どんな秘技か分からないけどあんまり良いことじゃなさそうだな……。大きすぎて途中で引っかかるってことだろ?考えただけでゾッとする。
「正直に言うと教会に所属してなかったら普通にデバフだと思う」
「ええ……」
なんか使い勝手が悪そうな話だな……。
というか冷静に考えたら生き物としてのスケールの大きさってなんだ。人間は皆同じ大きさじゃないのか。同じ種なんだから。
「教会に所属しない?今からでも遅くない」
「嬉しいお誘いではあるんだが、俺多分教会に馴染めないだろ」
「それは否定しない。でも私が守るから大丈夫!」
「大丈夫じゃねえんだよなぁ」
ジルちゃんは忙しいから俺に構ってる暇とかないだろ。無理やり時間を捻出してきそうな気もするが、そうしたら俺は白い目で見られること間違いなし。
そもそも情けない?今更だろ。
「まあいいんだよ。無いものを求めるのも楽しさの1つだ。俺は魔法使いをめざしてみるさ」
現状魔力探知すらできない不甲斐なさだが、抜け穴はどこかにあるはずだ。俺はそういうのを見つけるのが得意だからきっと大丈夫。
「それにほら……俺をクビにした女もいるし」
「……。やっぱボコしておく?」
「しなくていい」
▫
ということでジルちゃんに1時の別れを告げた俺は、稀代の魔道具技師、アンヘルム・ハーバーのところに向かうのだった。意外と遠いところに住んでんな……馬車で行ったほうが良かったか?
この辺りのはずだ。ちょっとした街で、賑やかだ。出店も多い。良いところだな。また気が向いたら来ても良いかもしれない。
「お兄さんかっこいいねー。りんごを1つどう?」
まあこういうのは無視だ。俺が目だけを向けると怯えるような顔をされた。まあ普通はこんなもんだ。魔術学院とギルドがおかしい。
「アルヘルム・ハーバーって人を探してんだが、場所知ってるか?」
「知ってるよ」
「そうか。じゃありんごを1つくれ」
「あ……はい」
「で、どこだ?」
「へ?」
「アルヘルム・ハーバーの場所」
待ってるのも暇なので、書いてある代金を置いた後りんごを齧った。味は悪くないな。
「む、向かいの大きい道をまっすぐ行ったところです。そこにお店がありますから」
ガクガク震えて、まるで蛇に睨まれた蛙のようだ。
「助かる」
俺はそれに一瞥して背を向けた。
デヴィンを飛ばして安心させれば良かったか?つったって、これだけのためにそこまでするのは面倒だ。
「ったくよー」
『あのお嬢さんは何を怖がってたの?』
「さあね。俺がカッコよすぎたからそれでかもな」
『言うね〜』
デヴィンをなんとなく撫でながらりんごを食べ切る。
えーとここの通りをまっすぐ行くんだよな。
なんか装飾過多で大きすぎる門構えの店が見えるな……もしかしなくてもあれか?
「アンヘルム・ハーバーさんのお宅ですかー?」
扉を開けて中まで聞こえるくらいの大きさを意識して声を出す。
「ラウル!」
中から1人の派手な女性が出てきた。よく見ると化粧で若作りをしているが年嵩の女性であることが分かる。
「アンばあちゃん、久しぶり」
この人がアンヘルム・ハーバー。じーちゃんと一緒に世界を救った英雄の1人だ。




