幕間
僕の兄はすごく自分勝手な人だ。
それまで同年代には全戦全勝だったのに、リーヌス兄ちゃんに負けた瞬間、剣は向いてないから俺は研究者になる、なんて言い出した。
本当は長男である兄がこの家を継ぐはずだったのに。
剣を捨てた兄は色んな武器に手を出し始め……いや、元々使えたんだろう。剣1本で戦っていた時よりずっと強かった。剣の鍛錬には来なくなり、武術を学びに行っていた学校にはほとんど行かなくなった。そしてどこへやら遊びに行くようになった。
それでも強いままだったので、皆何も言うことができなかった。
しかし、兄は反対する傍系の家の人間達を口先で丸め込み、姉を当主にしてしまった。
そして引き止める僕達を笑いながらいなし、そのまま家を出て行った。そう、なんだったか。自分の向き不向きはしっかり理解した方がいい。俺は向いてないことはしない。時間の無駄だからな、だったか。本当に勝手だ。
結局兄は家に帰って来て、働きもせずそのまま好きなことをしている。
そして、そんな兄に僕は一度も勝てていない。
「ははは!随分強くなったなぁ!さすが俺の弟」
僕よりずっと背が高くて体格のいい兄は地面にへたり込む俺を上から見下ろしながら、口角を上げて笑った。自分が負けるなんて考えたこともないのだろう。
それから僕にも姉にも似ていない見られるだけで威圧感のある目を細めて言う。
「俺と違って筋力ないんだから力押しはやめた方がいいんじゃねえか。やりたいなら止めはしないが」
力押しとは無縁な兄に言われると本当に腹が立つ。
色々な流派の剣技を組み合わせたことによる手数の多さと、踏み込みにくい独特の間合いが剣を使っている時の兄の強みだ。
「姉さんは力押しじゃん」
「あれは……そういう怪異だから。俺姉貴に1回も腕相撲勝てたことないし。おかしくね?どう見ても俺の方が体格いいよな?」
短い髪をガシガシ掻き回しながら、困ったように言った。
聞くまでもなく、兄の方が体格はいい。姉は見た目は普通の……いや、なんなら普通より華奢な、少女みたいな体型だ。
そもそもおじいちゃんも細いので、兄さんが例外なだけなのだが。
「おい、ラウル!今私の話をした?」
何かが飛んできたと思ったら姉さんだった。単純な跳躍力だけでここまで来たらしい。深い足跡が着いている。
丸くて大きい目は怖いくらいかっ開かれていて、瞳には相手を焼き尽くすような光を湛えている。
口角はその自信を示すかのように、常に上へと歪められている。
「したぞ。なあクソ姉貴。お前テオにどんな教え方してんの?テオが真面目だから強くはなってるけどこれじゃ限界あるだろ」
「私を見て学べと言っているだけだけど?」
「ああそういう。うーん。俺が良さげな師匠見繕ってやろうか?」
嘘でも自分が教えるとは言わないらしい。
……僕は一応学校では最優評価だからそこそこやれてるとは思う。貴族の学校でそこそこ止まりは、僕がこの家の息子だってことから考えると焦りも生まれるけど。それも必死に努力して、だ。
「お前、本当に頑張ったんだなぁ。兄貴として誇らしいよお前が」
「……でも兄さんに勝てない」
「俺は強いから勝てなくて当たり前だ。でも俺は剣士に向いてないから。お前は……まあ俺よりは向いてるな」
「はあ?」
「俺に負けたことなんて気にせず精進しろってこった」
そのまま兄さんはどこからか現れた機械仕掛けの鳥をつつきながら立ち去った。
最初から最後まで自分勝手の極みみたいな人だ。
「私はアイツが剣士に向いてないとは思わないけどね……」
姉さんも首を捻っている。
とはいえ姉も大概自分勝手な人だ。
本当は女性だから継げないはずだったけど、その強い意思で後を継いだ。
貴族の方でも今は女性が爵位を継ぐのが流行っているようだし時流に乗ったのだろう。というかそれを説得材料に兄さんが説き伏せたんだったはず。なんだっけ?うちの家は中途半端に名家だから、貴族ぶりたいやつが結構多いんだよだっけ?
こちらの方がずっとこの家らしいが、そうじゃないやつらには実力で黙らせた姉さんがすごいのは言うまでもない。
そして家を継いでそのまま学生時代の彼氏3人と重婚した。僕は開いた口が塞がらなかった。3人全員と仲良くしてるし、その状況が許容されている。
最近子供が1人生まれた。誰の子かはよく分からないけど。
おじいちゃんが女も甲斐性なんだなぁとかちょっとズレたことを言っていたのが印象に残った。
兄さんはめっちゃ笑ってたな。他人事かよ。
姉さんは兄さんとは違うタイプの勝手さがある。自分勝手と言うより傍若無人って言葉が良く似合うかもしれない。兄さんは勝手だって言われるとさすがに嫌そうな顔をして反論してくるが、姉さんはだから何だ?と返してくる。しつこく非難すると敵だとみなしてきて、ボコボコにされる。それくらい苛烈な人だ。噂じゃキレた姉さんに殺された人もいるらしい。
姉さんは自分が上に立てればいいと考えている人間で、逆に言うとそれしかない。分かりやすいけど、当然好き嫌いは別れる。いや、嫌いな人の方が多いかもしれない。カリスマがあるから帳消しになっているだけで。
兄さんは姉さんのことをクソ姉貴ってずっと呼んでいる。理由を聞いたら、僕をじっと見た後首を振って、姉さんがどれだけ考えなしなのかということをこんこんと説明してきた。後先考えず他人に喧嘩をふっかけるせいで自分がどれだけ迷惑をこうむってきたか、と。そこで後始末ができちゃうから苦労するんだろうなと思ったのは内緒だ。
「わ、ジルちゃん」
姉さんが僕の後ろを見ているので、振り向くとジルちゃんがいた。
「友達が遊びに来てる」
口数は少ないが、優しげに微笑みながらジルちゃんが僕にそう言った。
後ろから幼なじみのオリヴィアが顔を覗かせる。オリヴィアの方がジルちゃんより大きいから今までだって見えたはずなのだけど、言われるまで気づかなかった。ジルちゃんは小さいけど雰囲気が大きいから。
「リヴ!どうした?」
「テオー。宿題教えてー」
「仕方ないな……」
「わーい、テオ大好きー!ユヴィドさんお久しぶりです!」
リヴが昔通り僕に抱きついた後姉さんの方に顔を向けながら挨拶をした。
「久しぶり。相変わらずテオはモテるなぁ」
「はあ……」
モテないとは言わないけど皆ヘイマーの物珍しさに惑わされてるだけだ。リヴはそういうんじゃないし。
「そういえばルドルフさんは?帰ってきてるって聞いたんだけど……」
「さっきいなくなったよ」
「ええーせっかく三姉弟一緒に見れるチャンスだと思ったのに!……そうだ、ルドルフさんからサインもらえない?」
「なんで?」
「んー、なんかヴィンツがファンなんだって」
ヴェンツェルのことか。僕の学校の友達だ。どうやらリヴは愛称で呼ぶくらい仲良くなっているらしい。すごい捻くれたやつで普通は会話すらできないなんだけどな……。
ファンなのは意外だけど驚くほどでもない。兄さんはなんか知らないが昔から男のファンが多いから。取り巻きみたいなの連れてた時期もあったし。
ただ兄さんのことをどこで知ったのかは気になるところだ。
「見たら言っとく」
「助かる〜。多分泣いて喜ぶと思うよ!」
「えー……」
そこまでか……。兄さんの何がそこまで彼らを駆り立てるのか俺には分からない。
というかあのヴィンツが泣いて喜ぶとかちょっと想像できないな。
「私のサインもいる?」
「私が欲しいのでいります!」
「いい子だなぁ。妹に欲しいくらい」
「……えへへ」
リヴは最適解を言えてすごいなぁ。
姉さんは舐められたからというよく分からない理由で盗賊団を単騎で潰しに行ったことがあるらしい。兄さんが言っていた。おだてればこの通りだけど、ちょっとでもけなせば……。本当に姉さんがこの家の当主で大丈夫なのかやはり不安だ。この前どこぞの貴族を半殺しにしたとか聞いたんだけど。
リーヌス兄ちゃんよりはマシだと家の人間は皆揃って言うが、僕はリーヌス兄ちゃんの方がマシだと思う。ちょっと頭おかしいだけで他人に危害を加えたりとかしないし。
兄さん?兄さんは多分やればそつなくこなせるんだろうけど、やる気ないから。あと兄さんのこと一族内では嫌ってる人も多いんだよな。
「そう言えばリヴ、そろそろダンジョン攻略をするんだっけ」
「なに、着いてきてくれるの?」
「いや?俺が着いて行ったら授業にならないよ」
「ヒュー!かっこいー」
「……」
バツが悪くなって目を逸らす。
「でもそうだろ?戦士を生み出す家系のヘイマーはダンジョン攻略に慣れてる。だからダンジョン攻略の単位は免除されてるし実際必要ないんだ」
「ちょ、目つき怖いよ?冗談だって」
「……そうだね」
僕が当主になる道は最初からなかった。年齢が足りない?そうじゃない。当主候補だったリーヌス兄ちゃんは僕の一個上でしかない。つまり僕はただただ弱かった、それだけ。
姉さんほど傲岸不遜にも、兄さんほど傍若無人にも生きられない僕は、どこまで行っても中途半端で、家にしがみつくしかない愚者で。
でも僕は同年代の他の連中よりはずっと上等で、世界のためになっている人間だから。貴族より剣ができて勉強ができて音楽ができて魅力的で人脈も広いから。だから────何をしてもいいのだ。
「どうした」
「ああ、いや、なんでもないよ」
どうやら笑っていたらしい。僕は口元を手で隠しながらリヴに安心するよう伝える。
「宿題だったよね?案内するから着いてきて」
「りょうかーい!」
リヴはそんな僕を見て面白がるような目をしながら、いつもと変わらない溌剌とした調子で返事をした。そういうところを好ましいと思う。
……僕はお姫様に頼られる立場なのだ、という薄暗い喜びからは目を背けた。




