9.容赦のない鍛錬
「というわけだから、明日から早く家を出るわ。」
帰宅したアンジェリカが、早速明日からレイと学園で朝の鍛錬を行うことをミミに伝えていた。
他の使用人達には勉強するためと周知させるが、諸々準備が必要なため協力者のミミには本当のことを話したのだ。
結構重要な話をしたつもりのアンジェリカだったが、ミミは作業に夢中で話を聞いていなかった。
「ミミ…貴女何やってるの?」
アンジェリカが訝しんで声を掛ける。
彼女のテーブルを勝手に占拠したミミは、並べた菓子をせっせと小袋に詰め、器用な手つきでリボンを掛けていたのだ。結構な量の包みが出来上がっている。
「お嬢様のための忖度ですよぉ。」
可愛いでしょと自慢するかのように、ミミが両手に持った包みを顔の高さに持って見せびらかす。悪びれる様子は全くない。
「何よそれ。」
「こうやって王宮御用達のお菓子を配れば、お嬢様にもお友達がたくさん出来るかなって考えたんですぅ。人の心を動かすのに、貢ぎ物は必要じゃないですかぁっ。」
「……貴女はもっと私に忖度なさい。」
ミミの失礼な言い分にアンジェリカがこめかみを抑える。
力なく片付けを命じると、ミミは泣く泣く作業を中断したのだった。
翌朝、アンジェリカはレイと共に学園内にある会議室にいた。彼が事前に使用許可を取っていたのだ。
万が一他の人に見られても言い訳出来るよう、机の上には教科書とノートが並べられている。
「まずは見せてもらっても?」
「いいわよ。」
レイの言葉にアンジェリカが軽く頷く。
彼女は長い髪をポニーテールにして束ねて、制服のワンピースの下に乗馬用のズボンを履いている。足元には自主練で使用している踵の低い革靴を履いていた。やる気満々の格好だ。
レイが用意してくれた木剣を両手で構え、顎を引いて背筋を伸ばし正面を向く。勢いをつけて木剣を振り下ろした。
「えいっ、えいっ、えいっ」
木剣を振るたびにポニーテールが躍動する。真っ直ぐに前だけを見据える彼女の目は真剣だった。
「中々様になってるね。」
レイがアンジェリカのことを褒めながら、彼女の手にあった木剣を受け取ると構えて見せた。
「あとは体幹がぶれないよう腰に力を入れて、上から下まで点と点を結ぶイメージで真下に振り下ろす。」
ーー シュッッ
アンジェリカの時とは違い、風を切る音に重量感があった。何を切ったわけでもないのに、空気が揺れる。耳に受ける衝撃が凄まじかった。
「綺麗…」
一瞬の光景に目を奪われる。
レイは上から吊るされたように背筋が伸びており、木剣を振う時も一切ぶれることがない。それなのに、力強い音とともに柔らかな金髪がふわりと風を受けて舞う。
一振りに静と動が両立しており、アンジェリカが目にして来た他の誰よりも美しい太刀筋であったのだ。
「そんなに見つめられると、さすがに照れるんだけど。」
アンジェリカに見本を見せようと、一定のリズムで素振りを続けていたレイが羞恥心の限界を迎えて手を止めた。
「ごめんなさい…綺麗な剣だなと思ってつい…」
レイから指摘を受け、ガン見していたことに今気付いたアンジェリカが気まずそうに俯く。
「ふぅん。綺麗だと思ったのは僕の剣だけ?」
「………ちょっと!」
突然レイに顔を覗き込まれ、その近さにアンジェリカが焦った声を出した。
彼女の反応を間近で捉え、それまで愁然としていた青の瞳にパッと歓喜の光が宿る。
「これは期待しても良いのかな?」
「意味の分からないことを言ってないで、さっさと教えなさいよ!」
声を荒げたアンジェリカがレイの手から木剣を奪い取った。
彼は残念だと言いながらも、彼女の構えに細かく改善点を伝え、手本を交えながら指導を始めたのだった。
「意外に容赦ないのね。」
本日分の指導を終え、後片付けをしながらアンジェリカがぼやいた。
授業が始まるまでの僅かな時間だというのに、レイの指摘は止まらず何度も何度も素振りをさせられたのだ。おかげで今彼女の腕はぷるぷると震えている。
「僕は君の本気に応えただけだよ。君はいつだって嘘がなくて真っ直ぐで…そんなアンジェだから、僕は君のそばにいて力になりたいと思うんだ。」
「……………そっ」
八つ当たりのように軽口を言っただけなのに、思った以上に真面目な声音で熱心な言葉が返ってきてしまい、アンジェリカが言葉に詰まる。
(そんな恥ずかしいことを何でさらっと真顔で言えるの!鎮まれええっ私の鼓動っ!!)
熱っぽい青の双眸に当てられ、アンジェリカの顔に熱が集まった。この状況から逃げ出したいのに、レイの瞳は決して彼女のことを離さない。
「そ?」
レイはアンジェリカが言い掛けた言葉も逃さなかった。穏やかな顔で追い込んでくる。
「そ…そうだったのね。」
「ふふっ」
壊滅的に下手な誤魔化しに、レイが堪え切らずに笑ってしまった。揶揄ってやろうと企んでいたのに、アンジェリカの反応に思わず頬が緩んでしまう。
「私は着替えるから、先に行くわよ!戸締まりと鍵の返却よろしくね!」
甘さを帯びたこの空気に耐えきれず、アンジェリカは今度こそ物理的に逃げ出した。
「可愛くて困るな。」
勢いよく閉められたドアをしばらく見つめるレイ。
一人残された彼は言われた通り、戸締まりをして鍵を返してから教室に戻ったのだった。




