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戦略的な溺愛に戸惑っている悪役令嬢(自称)です  作者: いか人参


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23.臣下の気苦労



アンジェリカを客室へ送り届けた後、レイは自室に戻らず執務室に直行していた。


部屋に入るや否や、外套を脱いで無言のまま後ろにいたウィルヘルムに投げ渡す。

ペリドットが装飾されたクラバットを片手で緩めると、執務机に向き合った。



「まさか本当に正体を隠していたとは…普通は一番に話すべき事柄でしょう?」


ウィルヘルムが受け取った外套の埃をブラシで丁重に払いながら、呆れた口調で言う。



「正直に話したら逃げられるに決まっているだろう。誰がそんなことをする。」


机上に重ねられた書類に目を通しながら、レイが鼻で笑って言い返した。悪びれる様子はまるでなく、さも当然だと言わんばかりの表情だ。



「相変わらず、とち狂っていらっしゃいますね。」


「王位を継ぐ者として、凡人の感覚では生き抜いていけないからな。」


自慢でも嫌味でもなく、心の底から当たり前だと思っている口振りであった。その後も視線を上げることなく、書類に向けた目とペンを動かし続けている。


(いや、好きな相手にくらい常識的でいましょうよ…)


ウィルヘルムは声に出さない代わりに深いため息を吐いたが、レイが気にする様子はない。仕方なく彼はお茶の用意を始めた。ついでに、夕食を取る気のない主人のために軽食の手配も済ましておく。




「明日の視察は延期にしてくれ。」


「は?」


書類を捌く合間にティーカップに口を付けたレイがウィルヘルムに淡々とした口調で告げる。


初耳だったウィルヘルムからは低い声が返ってきた。割と本気で苛立っている時の声音だ。各部署に返却するため決済書類をまとめていた手を止め、レイに向き合う。



「公務よりも大切なご用事がおありですか?」


「ああ。何よりも大切なことだ。」


「この国よりも?」


「……同等だ。」  


彼の言う用事の内容も、彼が抱く愛国心も理解した上で意地悪い返しをしたウィルヘルム。素直な主人の返答につい笑ってしまった。



「全く貴方という方は…。アンジェリカ様のことなら、王命を使えば容易いでしょうに。もういい御年なのですから、早くしないと勝手に婚約者を据えられてしまいますよ。」


「それは問題ない。僕とアンジェは正式に婚約を結んでいるからな。そろそろ1年が経つ。」


「はぁ!?」


しれっと言い放ったレイの言葉に、ウィルヘルムが驚いた顔で結構な声量の声を出した。レイが五月蝿そうに顔を顰める。



「なんだ?」


「なんだ、じゃありませんよ!いつの間にそんなっ…でも、それならどうして彼女はあんなに驚いて…まさか…」


ただでさえ不健康そうに見える青白い顔から血の気が引いていく。顔面蒼白だ。事の重大さに気付いて、ウィルヘルムの金の瞳が光を失い恐怖に慄く。



「ご本人に内緒で勝手に婚約を…それも条件を満たすために1年前から…もう悪魔ですね。」


侮蔑の視線でレイを見た。

主人の狡猾さを知っているウィルヘルムでさえ、ドン引きのこの表情だ。他の者に知れたら、王家への信頼を揺るがす事態に陥るかもしれない。



「国王との謁見までにはアンジェの了承を得る…つもりだ。」


最後一瞬だけ視線を泳がせたレイが曖昧な語尾を付け加えた。

その自信のなさを目の当たりにしたウィルヘルムの顔が、わなわなと怒りの表情へ変わっていく。



「レイシス殿下っ!!国王陛下は今、学生生活を延長した誰かさんのせいで外遊中なのですよ!戻られるのは早くても2週間先です!そんな悠長な期限で良いわけないでしょう!!期限はあ・し・た!明日中にアンジェリカ様から婚姻を受諾いただいてください!」


「では明日の視察は…?」


「そんなもの、こちらでなんとか致します!」


「分かった。明日アンジェから色良い返事を貰ってくる。」


してやったりと、口の両端を上げて笑ったレイ。


主人に良いように操られたと思ったウィルヘルムだったが、この国の次期王妃の問題を軽視するわけにはいかなかった。

頭に思い浮かぶ罵詈雑言の数々をぐっと呑み込んだ。



「『無理やり娶った国王』なんて二つ名は嫌ですからね。」


「心配するな。勝算しかない。」


「王宮内を歩いている時、アンジェリカ様は思い切りレイシス様の背中を睨みつけてましたけど、本当に大丈夫なのですか?」


「アンジェが…」


主人の鼻を明かしたくなったウィルヘルムが事実を誇張して伝える。すると、レイは机に肘をついて両手で顔を覆ってしまった。僅かに肩が震えている。


(少し悪戯が過ぎてしまいましたね…)


顔色を変えぬまま、内心動揺するウィルヘルム。あまり見ぬ主人の様子に、罪悪感が込み上げてきた。



「レイシス様、大変申し訳…」


「僕のことを熱心に見つめてくれていたなんて…」


「は?」


「幸せ過ぎて吐きそうだ。」


「吐血しそうなのはこちらですが…血の涙まで出そうですよ。」


レイの本音を知り、ウィルヘルムの心身が芯から冷え切っていく。金の瞳は白く濁り、死んだ魚のような目になっていた。



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