20.いざ西の国へ
アンジェリカを乗せた馬車は、王都にある小さなカフェを訪れていた。
ここはミミの知り合いが経営している店で、着替えの部屋と裏口を使わせてもらえるよう事前に頼んであるのだ。
今回立ち寄ったことが不自然に思われないよう、アンジェリカもひとりで何度か足を運んでいる。店主ともすっかり顔馴染みになっていた。
店内は広くなく、中に入ると簡単に全体を見渡すことが出来る。アンジェリカは、厨房のある裏手から入店するとすぐにミミを見つけることが出来た。
「持ってきましたよぉ。」
目立たないようにアンジェリカが向かい側の席に座ると、ミミがテーブルの下で着替えの入った紙袋と家出用のボストンバックを差し出してきた。
大役を終えたとドヤ顔をするミミだったが、アンジェリカは彼女の姿を見て唖然としている。
「いや別に良いんだけど…なんかこう…もう少しないの?」
「ふぇ?何がですぅ?」
「……やっぱり何でもないわ。」
キョトンとするミミの手には細いスプーンが握られており、もう片方の手でアイスとクリームとフルーツがたっぷり盛られた背の高いグラスを掴んでいた。
アンジェリカを待つ間、優雅にもこの店自慢のパフェを堪能していたらしい。
だがミミのペースに呑まれている暇もなく、アンジェリカはすぐさま行動に移す。
ミミを連れて借りた二階の部屋に行くと、制服から地味な色の麻のワンピースに着替えた。目立つ赤髪は帽子の中に仕舞い込んだ。
ミミは普段着からお仕着せに着替えて赤髪のウィッグを被り、アンジェリカの着ていたコートを上から羽織った。
これで入れ替わりの完了だ。
「ミミ、これまで本当にありがとう。貴女がいなかったら私は逃げられなかったわ。感謝してる。だからいい?何を聞かれても知らないで通して。少しでもボロが出ればミミが疑われてしまうから。」
アンジェリカはミミの両手を取り、真剣な顔で最後の言葉を伝えた。つい感情的になって声が震えそうになる。
残していく彼女が酷い目に遭うなど決してあってはならないのだ。
「大丈夫ですよぉ。明日には心神喪失で実家に帰る予定ですから。それに、もう次の職場も決まってるんですぅ。これまた高賃金の職なんですよぉ!」
悲壮感はなく、溌剌とした表情で話すミミ。
(きっとこの子は、どこに行っても上手くやるんだろうな。)
どんな時でも変わらないミミの姿に、アンジェリカも元気と勇気をもらえた。彼女のおかげで、漠然とした未来に怖気付きそうになっていた心が楽しみな方に傾いたのだ。
「お嬢様も楽しんで来てくださいねぇ!」
「ありがとう。私もちゃんと自分の足で歩いてみせるわ。」
二人は互いに笑顔で固い握手を交わした。
その後、変装したミミが先に正面の出入口から店を出た。急がなければ夜の仕事に遅れてしまうからだ。
(もう良いかな…)
馬車の走り去る音が聞こえてから数分、耳を澄ましていたアンジェリカが時間差で裏口から早足で店を出る。
夕方の大通りは、食材を買いに来た人で賑わっていた。皆貴族の邸に勤めている人間だろう。地味な見た目だが、平民より仕立ての良い生地の服を着ている。
雑踏に紛れたアンジェリカは頭の中で地図を広げ、大通りから一本裏手に入った道を通って辻馬車の乗り場まで歩くことにした。
ひとりで黄昏時の街を歩く…
それは初めての経験で、ほどよい緊張感に胸が高鳴った。旅行先で羽目を外したくなるのと同じような感覚で、今なら何でも上手くいきそうな気がしていた。
(良かった、間に合った。)
無事乗り場に到着したアンジェリカ。
既に列は出来ていたが、それほど多くはない。紛れるには程よい混雑であった。
しばらくの間、行き交う人々を眺めながら時間を潰す。
西の国へは騎士を配置した街道を進む為、夜間でも安心して走行することが出来る。御者と馬を中継地点の詰所で交換して夜通し走り続けるのだ。そうすると、明日の昼前には西の国に入ることが出来る。
その分運賃は高くなるのだが、入国料を差し引いても出せない金額ではなかった。最短でこの国の外に出たいアンジェリカにとって、最も良い交通手段であったのだ。
(入国出来たらまずミミの知り合いと合流して、その日のうちに身分証を作らないと。入国はお金を払えば出来るけど、向こうで暮らすには身分証がないとだもんな。出来れば、勉強しながらお金を稼げる環境を整えたいな…)
旅立ちの前に、向こうでの生活を具体的に考えるアンジェリカ。
ミミに西の国の話をしたところ、知り合いを紹介してもらえることになったのだ。もちろんお金は掛かるが、それでも何の伝手もない彼女にとって有難い申し出であった。
(それにしても、ミミの交友関係って幅が広くて凄いな。ほんと助けられてばっか。一応彼女の実家は聞いておいたから、いつか御礼の品を送れたらいいなぁ。…現金の方が良いって言われるかもしれないけど。)
金銭大好きなミミを思い出し、口元が緩む。つい先ほどまで一緒にいたというのに、もう懐かしく思ってしまう。
そんなことを考えていると、定刻よりやや遅れて長距離馬車が乗り場に到着した。
(馬車っていうか…あれは完全に荷馬車じゃない?)
想像以上に無骨な見た目をした馬車で、アンジェリカの気分が下がる。広い荷台には雨除けの防水布が掛けられているだけで、中に椅子らしきものは見当たらない。打ちっぱなしの床板の上に直に座るらしい。
(うぅ…お尻が痛くなりそう…)
高級馬車に慣れきっていたアンジェリカは早くも心折れそうになっていた。しかし彼女にはもう戻る場所はない。列の進みに合わせて、重い一歩目を踏み出した。
だが、その彼女の前に横から割り込もうとする人の姿を視界の端捉える。
「公爵令嬢の君がこんなところで何をしているのかな?」
「………っ!!?」
聞き覚えのある声が耳のすぐそばで聞こえた。




