11.負けず嫌いのアンジェリカ
『じゃあ、明日までにこれとこれを読んで来てね。』
『いや、明日までにこの量って…!』
『その次は僕が課題を出すから、それで習熟度を測ろうか。大丈夫、少しずつ難易度を上げていくつもりだから。』
『私はなんとなく知りたいだけで、そんな本気でやるつもりは…』
『僕が7つの時にはこれら全て理解していたけど?アンジェには無理なの?』
ーー カチンッ
『出来るに決まってるじゃない。そんなの余裕よ。』
『さすがアンジェだね。楽しみにしてるよ。』
そんな安易な挑発にまんまと乗せられてしまったアンジェリカ。帰宅後、速攻机に向かって速攻ひいひい言っていた。
「古代神話って、よく見たら現代語じゃないじゃない!だから古典の辞書もついてたんだわ。こんなの一晩で読めるわけないわよ!」
叫びながらも、片手で素早く古典の辞書を捲りながら読み続けるアンジェリカ。
もはや何のための勉強か目的を見失っていたが、今はとにかくレイのことを見返したい気持ちが強かった。
そんな主人のただならぬ様子で奮闘する姿に、ミミが静かに紅茶を運んできた。
「あのぉ〜お手伝いしますぅ?」
アンジェリカの手元を覗き込みながら、ミミが控えめに尋ねてくる。ページを捲る手の動きがピタリと止まった。
「貴女…まさかとは思うけど、古語を理解出来るの?」
グギギと音を立てながら、ミミのことを振り返る。その目には、僅かな期待と敗北感が入り混じっていた。
「クラスで一番優秀な人の名前を教えてくださぁい。言い値で答案を買い取って来ますぅ。」
純真無垢なキラキラとした瞳で、グッと両の拳を握りしめるミミ。
(期待した私が馬鹿だった…)
ミミの行動原理を思い出し、どっと押し寄せた疲労感で項垂れるアンジェリカ。
有り難く紅茶だけ受け取り、無駄に煩悩を呼び起こしてくるミミのことを下がらせたのだった。
翌日、読了の証に言われていたレポートを提出するとレイは中身に目を通して目を瞬かせた後、盛大に褒め称えてくれた。
頑張ったご褒美にコース料理のランチとデザートプレートをご馳走してもらい、すっかりご満悦となったアンジェリカ。
そしてまた笑顔のレイに、『君なら出来るよ』という他人事な言葉と共に大量の課題を出されるのであった。
「なんで私が外交マナーまで覚えなきゃいけないのよ…」
レイから出された課題を前に、夜遅くに自室でひとり頭を抱えるアンジェリカ。
恨み節が止まらないが、彼女の負けず嫌いな性格とやれば出来てしまうアンジェリカのスペックの高さから、微塵も諦めるという選択肢は無かった。
多岐に渡る勉強に加え、ストイックな鍛錬も継続しており、誰よりも多忙な学園生活を送るアンジェリカ。
それでも元来エネルギッシュな性格をしている彼女にとって、それは文句を言いながらも満ち足りた毎日であった。
***
そんな忙殺される毎日を送っていたある日のこと、いつものようにレイと共に美味しいものを鱈腹食べて機嫌良く教室に戻って来たアンジェリカ。
(次の授業が始まるまでまだ時間があるから、少しでもレイの課題図書を読み進めて……えっ)
本を取り出そうと机の脇に下げていた鞄を手にした瞬間、異変に気づく。普段の数倍重さがあり、取っ手が湿っていたのだ。
「!!」
嫌な予感がして中に手を入れると、鞄にしまっていた教科書や本などが全てぐっしょりと濡れていた。
(誰がこんなことをっ……)
頭に血が昇ったアンジェリカが憤然とした面持ちで辺りを見渡す。すると、こちらを見てクスクスと笑っている女子生徒達のグループがいた。
(はっ。アイツらか。この私が泣き寝入りするとでも?病弱設定だから舐められてんのかな?)
ガタンッとわざと音を立て椅子を引き、注目を集めるようにして立ち上がったアンジェリカ。その顔には完璧な貴族の笑みが浮かんでいる。
ただならぬ雰囲気を察して、後方の席に座っていたレイが立ち上がりかけたが、グッと堪えてひとまず様子を窺うことにした。
両手で胸の前に鞄を抱えたアンジェリカが嘲笑していた3人の女子生徒達の前に立つ。彼女の悠然した佇まいは気品と迫力に溢れていた。
「レイナ・アンドロウ 侯爵令嬢、アンナロッテ・シャルガン 伯爵令嬢、エリザベス・スチュワート 伯爵令嬢。」
一人ずつ丁寧に視線を合わせながら、芯のある高らかな声で名指ししたアンジェリカ。
その気迫を前に、3人の顔からすぐに嘲笑が消え、顔色が悪くなる。アンジェリカがまさか正面から来るとは思ってもみなかったようだ。予想外の反撃にカタカタと小さく震え出していた。
「ねぇ」
「「「………っ」」」
笑顔なのに目が据わっているアンジェリカの低い声に、怯えた3人が同時にひゅっと息を呑む。
「私身体が弱くて重いものは待てないの。だから代わりに処分をお願いしても良いかしら?」
ーー ドサッドサッドサッ
アンジェリカが3人の目の前で鞄をひっくり返し、水浸しの教科書類を床にぶちまけた。
音を立てて床に散乱するびしょ濡れの本達…これを目にした他の生徒たちは何が起こったのか察していた。多数の非難の目がレイナ達に向けられる。
悪事を白日の元に晒され、今度は羞恥心で彼女達の顔が真っ赤に染まっていた。
「ああそれと、私に何か言いたいことがあるなら、直接言ってもらえる?罪のない本に当たるだなんて、幼稚過ぎて吐き気がするわ。」
一言も発せぬまま完全停止している3人に向かって、アンジェリカが貴族の笑みで言い捨てる。
そして彼女は何事もなかったかのように空の鞄を持ったまま、優雅な足取りで自席に戻って行った。
唖然として立ち尽くすレイナ達はその後、他の生徒達からの報告で駆け付けた指導担当の教師によって、連行されていったのだった。
事の顛末を見守っていたレイは眩しいものを見るかのように、目を細めてアンジェリカのことを見ていた。
(本当に彼女は昔から変わらないな…だから僕は…)
彼の心の奥底にある欲望が疼く。喉から手が出るほど欲しいと心が叫ぶ。無意識に伸ばしかけた手を静かに下ろしてレイが席を立つ。アンジェリカのフォローに向かうためだ。
だが、彼よりも早く動いた者がいた。




