表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
86/93

二十 紗蓉子暁闇 1 2822年

 2822年


 葛城一陽(かゆらぎいちよう)はため息をつきながら、祖国日高見国(ひたかみのくに)から届いた国際電報を握りしめている。


「どうしたんですか、一陽さん」


 テントの入り口を押し上げて入って来たのは、一陽の父、葛城子爵家当主通泰(みちやす)である。


 通泰(みちやす)は、かつて周囲の圧力にあらがえず軍に身を置いたこともあるが、いまは人生を賭けた趣味である星の研究で生活を立てている。見た目より頑固な人である。


 一陽はその父の海外での研究活動についてくるという名目で、今春に入ったばかりの大学に籍を置いたまま、海を越えた。


「友人から電報が届きまして」


 一陽(いちよう)は紙をひらりと空中で振った。


「海外まで手紙をよこしてくれるなんて、いい友達じゃないですか。よくここがわかりましたね」


「父さんが世話になっている現地(ここ)の大学に届けられていたのを、やっと受け取ったんです」


「手紙を受け取ったわりには、浮かない顔ですね」


 星を待つテントのなかで、父は湯を沸かし始める。そろそろ食事の準備をしなければいけない時間だ。


「ただの……頼みごとだったので」


 一陽(いちよう)はもう何度も見返した電報をふたたび開く。なつかしい名前がそこにはあった。


 佐治(さじ)鹿嶋かしま。高等部二年の夏に、突如皇修館(こうしゅうかん)から去り、それきり会っていない友人である。


 戦争から戻っているとは聞いていた。そして軍人になるために努力していることも。彼からはなんの音沙汰もなかったが、便りがないその理由を、一陽は承知している。


 二八二〇年の夏、鹿嶋は皇修館で学生を負傷させる暴力事件を起こし、同時にお忍びで通っていた紗蓉子殿下との関係が発覚した。鹿嶋は全ての非を負わされ、愛する人を奪われた末に戦場へ送られる。


 父の佐治侯爵は、事件後は鹿嶋を勘当同然のあつかいをした。戦場から帰還しても佐治家にはもどれず、さらに皇修館時代の友人との関係を絶つことを鹿嶋に強いた。彼はそれを受け入れた。


 一陽と鹿嶋の友人関係も、そこで途切れた。そう思っていた。


「どんな頼み事なんです」


 父は座り込む一陽に手伝いを頼むでもなく、夕飯を仕上げていく。


「大した頼み事ではないのですが、いまの俺にはかなえてあげるのが少し難しい……です」


 その手紙には、一言「観閲式に出る」と書かれていた。


 観閲式は、国軍創立記念行事として、毎年九月に皇都で行われる。


 国軍の最高指揮官である皇帝陛下の観閲を受けることで、軍属の者たちの士気を高揚させる。さらに国軍の主力と軍の錬成を内外に知らしめ、国民からの信頼を得ることを目的とする行事だ。


 今上(きんじょう)の陛下は、長く()せっているため毎年皇太子殿下が名代としてご臨席されている。とにかくそこに、なんらかの形で鹿嶋は出る。それを自分に知らせてきた理由に、一陽は気づいていた。


——紗蓉子(さよこ)さまに知らせる手立てがないんだろう、鹿嶋。


 連絡をとることを禁止されている人間に、電報をよこす。鹿嶋がここまで必死なのを見て、一陽は、紗蓉子殿下は彼が生きて戦場から戻ったことを、まだご存じないのかもしれないと思い至る。


 まったく残酷な事実だが、紗蓉子さまの近くにいるあらゆる人間が隠そうとすれば、可能なことである。なにしろ彼女は皇宮の中の皇女宮で、半ば虜囚のような生活をしている。鹿嶋の存在が明るみになってからは、その締め付けはさらに強まったのではないか。


——知らせたいのか、鹿嶋。自分が生きていることを。


 これ以上、愛した人が絶望で悲しまないように、せめて自分は生きていると伝えたい。


 皇族である紗蓉子さまは、望めば観閲式を観覧できる。逆に言えば、望まなければおそらく観閲式にはいらっしゃらない。一陽は電報を強く握りつぶした。

 

 鹿嶋の事件のあと、一陽や豊忍鏡(とよおしきょうこ)の家にも圧力がかかった。自分が鹿嶋といまでも関りを持っていると知られれば、かならず家族に迷惑がかかる。


 でも、助けたい。他に頼る者がどこにもおらず、そのときに思い出したのが自分だとしたら。俺は友としてその気持ちに応えたい。かなえてやりたい。


 どこが罪なのだ。愛する人の目にうつりたい。言葉を交わせなくても、生きていると知ってほしい。その願いのどこが、罪だというのだ。いったいだれを傷つけるというのだ。


「父上」


 改まった呼びかけに、父・通泰(みちやす)は火を止めて一陽の前に座った。


「君は、皇修館高等部の後半、それはひどい顔をしていましたよ」


「ああ。そうですか?」


 一陽は、唐突な父の言葉に、恥ずかしそうに頭をかいた。なにか気づいているのだろうか。


 鹿嶋がネールランド紛争で命を落とすようなことになっていたら、自分はどうなっていたかわからない。せめて生きて戻って来たという事実があるから、まだ一陽も救われた。鹿嶋にも、そのあと(・・・・)がある。


「父上、わたしは……友だちを助けたいです」


 友よ、もう二度と会うことはなくても、君は俺の友だちだから。


「方法はあるのですか。さっき難しいと言ったでしょう」


「あります。でも、父上に迷惑をかけるかもしれません」


 いま、鹿嶋はどれだけ皇宮から警戒されているのか。鹿嶋がネールランド紛争から戻り、そのまま軍人になることを許された過程には、いったい何があったのか。一陽にはわからない。


 確実なのは、鹿嶋に手を貸すことは、責められる事実となりうるということだ。それが誰も傷つけなかったとしても。


「もうね、返還してもいいと思っているんですよ」


「え?」


「爵位」


 とんでもないことを言い出す父の顔を、一陽は驚きをもって見る。


「なくても困らないでしょう」


 一陽はなんとも言えない。爵位を持っている特権も多いが、それに付随する責任も多い。一陽は、その特権と責任の重さを、まだすべては知らない。


「父上はそれでいいのですか」


「いいです。僕は星が見たいだけなので」


 それだけは、絶対に真実だとわかっているから、一陽は笑った。


「一陽さん、思うように生きてください。それを邪魔するものが葛城(かつらぎ)の家と爵位なら、なくてもいいんですよそんなもの。僕は、あなたが皇修館を卒業するまで、ずっと心配でならなかった」


 確かに、ここで鹿嶋を助けなければ、自分はあのふたりをもてあそんだ大人に片足突っ込むことになる。自分で自分の存在と心を汚す行為だ。父はそれを止めてくれている。


「ありがとう……ございます」


 一陽はしずかに頭を下げる。


 紗蓉子と確実にわたりのつく豊忍鏡(とよおしきょうこ)との関りは完全に断たれている。


 また豊忍家は家柄からみても、鹿嶋に好意的であるとは考えられない。そして朱華邸(はねずてい)に男は入れない。皇修館時代の友人でも、男子生徒からの手紙であれば、紗蓉子殿下の手にわたる前に処分されるおそれがある。


 一陽は、考えられる限りの人物を思い出し、皇女紗蓉子に鹿嶋の生存を伝えられる存在を探し続けた。




 朱華邸(はねずてい)を囲むように植えられた木々が、大きな影を作っている。どれも樹齢が長い立派な広葉樹だが、少々育ちすぎている。上からかぶさる枝のなかに、隠されるように建つ朱華邸は今日もしずかだ。


 豊忍鏡子は数週間ぶりに皇女宮朱華邸を訪ねる。二年前に紗蓉子(さよこ)が皇修館から戻ってから、朱華邸に出入りを許される人間の数はさらに減った。鏡子は数少ない紗蓉子の友人として、それがかなっている。


「紗蓉子さま」


「ああ、鏡子さま」


 振り返って、紗蓉子はふわりと笑った。そのやわらかな物腰と対照的に、紗蓉子の居室は大量の書物と紙で埋め尽くされている。もう一年以上、これが常態化している。


「ごめんなさい。かたづいていなくて」


「いいのです。だって今、大事な時期でしょう」


「はい」


「あれからどうなっているのですか」


 紗蓉子と鏡子はふたりで一緒に、なんとか座れるくらいに室内を片付けながら、離れていた間のことを伝え合う。やっと下の畳が見えてきた。


「やはり大臣閣下に直接お会いすることは難しいみたいで」


「紗蓉子さまでも?」


「ええ、仕方がありません。わたしにはなんの実績も力もない。会われる方にも利益がありません」


 紗蓉子はいつも自分の存在と能力を、冷酷すぎるほど確かに分析する。それはときに、鏡子がせつなくなるほどだ。


「でも、大臣政務官にそれぞれ目通りが叶う予定です」


「まあ、では文部省と厚生省の?」


「はい。明日、まずは文部省大臣政務官の内藤さまに」


「貴族院の議員をされている方ですね。まだお若いのでは」


「お父上のあとをついで、最年少で大臣政務官をつとめているかたです。お若くて国を変える意欲がおありだと聞きます。訴えをお聞き届けいただけるかもしれません」


 紗蓉子の(とび)色の透ける翠の瞳はきらきらと希望で輝いていた。


 紗蓉子がひとり、皇修館からこの朱華邸に戻ってきたとき、この瞳は黒くにごって、生きる意欲は乏しかった。


——五年経ったら迎えに来る。

 

 その不確かな佐治鹿嶋との約束だけで持ちこたえるには、朱華邸は暗く、さみしすぎた。


 加えて鹿嶋のおかれている状況は過酷であった。ネールランド紛争に志願・徴兵され、生きて戻らない者の多さを知るたび、紗蓉子は鹿嶋と逃げる決断をしきれなかった自分を責め続けた。

 

 紛争が終わっても、鹿嶋の安否はわからない。だれも紗蓉子にそれを伝えない。


 紗蓉子は、せめて鹿嶋の生死だけでも知りたいと願い、数万に及ぶネールランド紛争の戦死者の名簿の名を、ひとつずつ自らの手で確かめていった。その中に鹿嶋の名があれば、それは愛する人の死を意味する。名を探しながら、その名がないことを願う。矛盾する行動と心に、紗蓉子の神経は衰弱していったが、やがて彼女はその名簿に別の意味を見出す。


「なくなった兵のご家族は、十分に満たされてお暮しでしょうか」


 ある日そう言った紗蓉子(さよこ)の使命に満ちた目を、鏡子は今も思い出せる。


 軍に取られた夫や父を喪い、生活が困窮を極めている人々は、紗蓉子たちの思うよりずっと多かった。戦場となった扶桑国(ふそうこく)からの難民のなかには、両親を亡くし孤児となった子どもも多い。


 紗蓉子はそのものたちの行く末を追ううち、貧しい子や親子を救う施設や活動が、個人の善意と熱意、そしてわずかな寄付でまかなわれていることを知る。


 もはや個人が救うには限度があるほど、この国には救いを求める人があふれている。


「これがわたしの使命と思い定め、明日はそれを果たしに参ります」


力強く宣言する紗蓉子に、鏡子もうなずき返す。皇女紗蓉子は、彼女なりの戦場へ向かおうとしている。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ