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十四 偏愛の代償



 安宿の部屋の入り口に立った、姓のない西穏地(にしおんじ)の魔女ヒルカは、イスカの純愛という単語を聞き、おかしそうに笑う。


「愛に純も不純もあるものか。すべての愛情は所詮は偏愛。歪みがあってしかるべきだ」


「まあ……たしかにその通りですが」


 眞夏は、あまりにもイスカが魔女の言う突き放した「愛」にあっさりと同意したので、内心動揺した。仲月見(なかつきみ)イスカという人は、愛にこそ理想の形を持っていそうだったからだ。


 魔女は不完全に終わった詠唱魔法の事には触れず、西穏地の隠棲地(いんせいち)から出てきた理由を告げる。


「私はそもそも皇女紗蓉子(さよこ)に会いに来たのに、皇宮はあのありさまだ。皇太子に文句を言うより、貴様のところへ来た方が早かろうと思ってな」


「残念ですが、鹿嶋と紗蓉子さまが一緒にいることすら確実ではありません。仮にそうだとして、わたしには彼らの居場所に心当たりがない」


「縁とゆかりのある場所はないのか」


「二人とも七年ぶりの再会です。そのような場所、あるでしょうか」


「七年ぶりに会った女のために逃げたのか。やるな、佐治鹿嶋(さじかしま)



 イスカはヒルカと東里を部屋のなかに招き入れ、鍵が閉まらないなりに、せめて戸を閉めた。


「事は、動いただろう仲月見イスカ」


魔女は、板の間の上の、薄くて固い布団に座って煙管を吹かし始めている。みなそれぞれ狭い安宿の板の間に座って、額を突き合わせるように話し合うことになった。


「動きましたね。こんな形とは思いませんでしたが」


「それは私も同意だ。まさか皇女殿下が情夫と逃亡など、誰が予想できる? それも昨日の今日だぞ」


「だから純愛だってば」


 ヒルカはもはや何も言わなかった。イスカが必死になる、それすら偏愛の結果と笑っているようだった。

 イスカは彼女から核心を聞き出そうと話はじめる。


「紗蓉子さまが運命(さだめ)の子であるのは、事実ですか」


「確証が高くはある。だが実際に会ってみないと断言はできない」


「なら、まだ可能性はあるということですね」


「あきらめないのか」


「あきらめません」


 イスカのいつもさらさらと揺れる細い髪が、額にも頬にも張り付いている。汗もぬぐわず、必死にここまで走って来た結果だった。どこかに未来があると信じている目だった。


「ヒルカさま。あなたはわたしに、運命の子に選ばれる人間の要件を教えてはくださらない。だからわたしは自分では紗蓉子(さよこ)さまがそうであるのか予想すらできない。だから、あきらめません。紗蓉子さまをお探しして、あなたにお会いいただく。そのうえで、かの(かた)がやはり運命の子だというのなら、その使命を果たさずに済む方法を見つけます」


 ヒルカは、時々近眼の人がするように目を細めてイスカを見ていた。不機嫌そうな顔にも見えたが、イスカが真実を知ったあとのことを思っていたのかもしれない。


「……イスカ。運命(さだめ)の子は、現れる血筋が決まっている」


 イスカは何も言わなかったが、右手の小指だけがぴくりと跳ねた。


彼女ら(・・・)は、いつも、皇統の女の中に現れる」


「あなたは、わたしが今上の陛下の庶子であると、ご存じなのですね」


「知ったのは最近だ。皇太子から直接聞かされた。おまえの輝石も、あれは柘榴石(ガーネット)ではない。牛の血のような赤。あれは、紅玉(ルビー)だ」


「おっしゃるとおりです……それで、わたしがあなたに会うことで事が動き出すとおっしゃたのですね」


「そうだ」


 仲月見(なかつきみ)イスカが、西穏地の魔女に会うことで、イスカと紗蓉子、二つの運命はひとつに絞られる。


「外から入ったのではなく、正しく皇統に連なる女は、わたしと紗蓉子さましかいないから」


 イスカはもっと早く、この思考にたどりついてもおかしくなかった。偏愛はいつも、人のすべてを鈍らせる。


「わたしはあなたの知る、運命の子の条件に当てはまらなかった」


「そうだ」


「わたしが運命(さだめ)の子でないなら、もう残るのは紗蓉子(さよこ)だけだ」


 イスカは立ち上がって、叫んだ。


「でも会ってください! ちゃんと紗蓉子に会って、本当にそうであるのかその眼で確かめてください! みんなひどいではないか! 昨日、わたしがヒルカさまにお会いしてすぐに、あなたは皇太子殿下に、イスカは違ったと伝えたわけでしょう。そしてそれをすぐに、皇太子殿下は……兄上は紗蓉子に伝えた。イスカが違ったから、やはりお前だったよ。死んでくれと!」


 その伝え方は、適切だったのか。もはや知るすべがない。


「……紗蓉子さまは皇女が存在する意味について、長い間お悩みだった。死ぬことが役割だと言われれば、それを受け入れてしまう。逃げられない。きっと逃げない。ずいぶん悩まれて、鹿嶋には伝えたのだと思う」


 それからイスカは座り込んで、今度は床に額をすりつけるようにして、頭を抱えた。一度見えてくれば、道理が通じることが山ほど出てくる。


「……皇室の歴史上、皇女がずっと隠され続けていたのは、それが理由ですか」


「ああ、間違いなくそうだ。皇女は囲い、外には出さない。贄としてささげられ、とつぜん姿を消してもあやしむものがいないよう、国民にその姿を見せることも極力しない。運命(さだめ)の子となる者を逃さないようにするのはもちろん、降嫁されて外に皇統の血筋を持つものが広がると、龍の惑乱が起こった際にその系譜をたどれなくなる。どこかの遠い血筋の平民に、運命さだめの子が現れては困るのだ。捜索が格段にむずかしくなる。おまえの放蕩の父帝も、女に関しては厳格に管理していた。そういう申し送りが、皇家には代々あったのだ」


「史書に降嫁(こうか)の記録が残る姫君たちは」


「……表向きだ。皇女はみな、歴代の朱華邸(はねずてい)のなかで、ひとりでその生涯を終えている」


「なんだ。じゃあ、紗蓉子の降嫁先をさがしているなんて、兄上はまったくでたらめをおっしゃっていたのか」


 みずからをあざ笑うかのように、イスカの声はふるえる。


「おまえはそのなかで、皇女としてはまったくの例外と言える」


「そうとも言えません。わたしは生家の仲月見家とのあいだに、生涯婚姻せず、子も成さないと誓いを立てている。それは、仲月見の母上のつよい希望だが、皇家との契約もあったのかもしれない。紗蓉子もわたしも、何百年も続く思惑に振り回されていた。わたしはともかく、紗蓉子はあまりに不憫だ」


「……実の妹ではあるだろうが、なぜそこまでこだわる。おまえは世界のためなら妹の命を捨てることもやむなしと言うかと思ったが」


「買いかぶりすぎです。誰にでも、偏愛はあります」




 イスカは五歳のころから、皇后陛下の計らいで、皇宮へ通いで教育を受け、夕に仲月見(なかつきみ)()へ戻る生活をしていた。イスカにとって、皇宮で過ごす時間は人間らしくいられる唯一の日々であった。


 その中でも、やさしく慈しむような皇后陛下の声や手つきは、幼少のイスカが初めて見る"愛"の形だった。


 自分に妹がいることは承知していたが、実際に会うことができたのは、皇宮通いをはじめて五年目のことであった。イスカ十歳、紗蓉子六歳の頃である。


 紗蓉子(さよこ)は自らが愛されることになんの気負いもない幼子だった。実際に皇后陛下も、まわりに仕えるものたちも、みな紗蓉子を大切にしていた。そのために、彼女はイスカにも懐いて、愛されることを望んだのだ。


 それは、初めてのことだった。


 イスカは誰からも「愛してほしい」と望まれる事がなかったから。生まれて初めて、自分が愛情を注いで良い相手に出会った。まるで紗蓉子が、自分だけを頼りにこの世に生まれてきたかのように、イスカは紗蓉子を大切にした。


 その様子を見た皇后陛下の側近たちから、とけおちるような安堵の空気を感じて、イスカは気づいてしまった。


 たかが子どもと侮ったのだろうが、十歳のイスカは、不幸にも(さと)い子だった。


 皇后陛下はイスカを愛していたのではなく、皇帝陛下に恨みがあるであろう仲月見家が、イスカを皇家への復讐のために育てようとしてるのではと警戒していたのだ。せめてまともな教育を受けさせ、子ども本人に恩を売り、正当に皇家を継ぐ兄妹と交流を持たせ、その育ちを矯正しようとした。思惑通りにイスカは育ち、紗蓉子を大切にした。


 初めてイスカが受けたと信じた愛は、まぼろしだった。


——それでもいい。わたしには注がれる愛はなくとも、与える愛は余るほどあります。

——このようなわたしでも、誰かをことさらに強く愛せると信じたい。


 自分以外のものを深く愛することで、イスカは愛されなかった幼子の自分を慰めていた。紗蓉子と鹿嶋は、イスカの偏愛の象徴だった。それが今、同時に奪われようとしている。



「わたしが運命(さだめ)の子ならよかった。私にとって、幸福は必ずしも()い人生に必要なものではありません。運命(さだめ)の子の役を負ったのなら、それから逃げて得られる(せい)を、わたしは幸福とは呼ばない。名誉ある形で幸福を手に入れられないなら、わたしは自分にはそれを得ることが不可能だったと諦めることができる。でも、紗蓉子はちがう。ちがうのです。あの子は幸せにならなければいけない。愛されている子だから」


 苦悩をかたる魔法使いに、魔女は「おまえのようなものが運命(さだめ)の子でなくてよかった」と、かききえるほどの声でささやいた。






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