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十三 壊れてゆく運命



 まだ日の昇る前の、朝もやの(けむ)る皇都である。

 西穏地の魔女を訪ねた翌朝、イスカは近衛師団司令部庁舎前で、人を待っていた。


 庁舎の中から、眞夏(まなつ)が走って出てくる。


「だめです。やっぱり鹿嶋(かしま)さん見つかりません。官舎まで行ってもらいましたが、戻ってないようです」


「わかった。緊急だから、もう行こう。帯同してくれ金邑上等兵」


 イスカは本日の未明、皇太子殿下から緊急の呼び出しを受けた。引佐(いなさ)大佐経由で、紫鶴屋(しづや)の間借りしている部屋でその連絡を受けたイスカは、一度近衛司令部に寄った。呼び出しの内容が、「佐治鹿嶋中尉を帯同せよ」というものだったからだ。


「いないものはしかたがない」


 軍人である以上、呼集はいつあるかわからない。鹿嶋は抜き打ちの非常呼集訓練でも、所在がつかめないことはなかった。胸騒ぎを覚えながらも、イスカは皇宮へ向かうしかない。


 

 イスカたちが着いたころ、すでに周囲は近衛の兵が警らにあたっており、物々しい雰囲気だった。


 皇帝と皇宮の保護と警備も、近衛師団の重要な職務であり、部隊ごとの輪番制で業務に当たっている。いまは近衛第一師団の歩兵大隊管轄のはずだ。


 やがて近衛兵に囲まれるかたちで、皇太子殿下が姿を現す。


仲月見(なかつきみ)少佐、急な呼び出しで済まない」


「とんでもないことです。帯同を命じられた佐治中尉ですが、急な呼び出しのため所在が掌握できず、当直任務に当たっておりました金邑(かなむら)上等兵とともに参りました。なにか、お手伝いが必要なことがございますか」


「イスカ、君がかなり心を乱すだろうと思って、事前には伝えられなかった」


 皇太子の表情そのものは、きわめて平静だった。


「昨晩、朱華邸……皇女宮が何者かに襲撃された」


 朱華(はねず)ていは皇女宮の別名である。


「皇宮におられた皇帝陛下はご無事だ。寝所からは動かせぬから、狙いがそちらであったら危なかっただろうが」


紗蓉子さよこさまは?」


 イスカは、実の父親である今上の陛下の安否は気にもせず、妹君について何も言わない兄に詰め寄る。


「なぜ何もお答えにならないのです」


「……順を追って、話をさせてくれないか」


「いやです。そういう時、あなたはいつも嘘をつく」


 言葉をにごす皇太子を拒絶し、イスカは皇女宮まで走った。



 近くに並び立っていながら、皇帝が住まう皇宮とは警備の質が違う。侵入者があったことを察知し、近衛はまず皇帝陛下の身を第一に動く。ひっそりと建つ朱華(はねず)(やかた)に気を向ける者などいなかった。


 邸の衛士もすぐに逃げた。彼らは外襲から朱華邸の中におわします人を守るよう命じられていない。中から人を逃さないようにするための、見張りでしかない。


 はじめから狙いが皇女宮であったなら、何の障害もなくその目的は達成されたはずだ。


 庭で、紗蓉子が育て愛でていた赤い花たちが踏み荒らされている。御簾は破られ、寝所は荒らされていた。

 イスカは呆然とたちすくみ、変わり果てた妹の住まいを見ていた。背後に追ってきた皇太子の気配を感じ、問い詰める。


「紗蓉子さまは!?」


「最初からいなかった」


 落ち着き払った声が返ってくる。


「昨夜、侵入者があってすぐに、朱華邸(はねずてい)女官長の揖保川(いぼがわ)が、紗蓉子を逃がすため寝所に踏み入ったが、あの子は最初からここにいなかったという」


 その日、就寝時までは確かに姿を確認されていた紗蓉子殿下は、何者かの襲撃を受ける前に、皇女宮から姿を消していた。目当ての者を見つけられなかった狼藉者たちは、近衛師団が駆け付ける前に姿を消した。


「なら……お探ししなくては」


 動かず、あわていることもない皇太子は、まるで紗蓉子(さよこ)がどこにいるかわかっているかのようだ。


「殿下?」


「イスカ、私も訊きたいことがあってお前を呼んだ」


 平常とは様子の違う兄の様子に、イスカは静かにあごを引いた。


「鹿嶋は、どこにいる」


「先ほども申し上げましたが居所がわからず……」


「どこにいるのか、知っているのではないか」


 イスカの答えを待たない性急さだ。


「知りません。……なぜ今、鹿嶋の名を出すのですか」


「紗蓉子を連れ去ったのは、鹿嶋ではないのか」


 流れ弾の様な詰問に、イスカは息を吸い込み、吐き出すついでに思ったより大きな声がでる。


「ありえません。鹿嶋にはそうする理由がない」


「本当になにも伝えられていないのだな」


 横目にイスカを流し見る皇太子の目は、憐れをもよおしているようだ。


「七年前、紗蓉子(さよこ)が皇修館に通学できなくなったのは、鹿嶋が原因だ。そしてあの子が皇女宮に連れ戻される直前、鹿嶋は当時も、皇女である紗蓉子(さよこ)を連れて逃亡を企てた。すべて事実だ。紗蓉子と斉京の街で暮らしていた女官からもたらされた情報である」


 大切な人たちが、きっといつか話してくれると待っていた秘密を、他人を介して聞かされるなど、さみしくて生きている甲斐がない。


「私が佐治鹿嶋に初めて直接に会ったのは、扶桑国の戦場でお前に紹介された時だ。イスカ、お前は鹿嶋を従兵と呼び、ともに船に乗せねば帰らないと言った。そのあとも鹿嶋の居所を常に気にかけ続け、奴に何かあればお前は国を捨てていきそうだった。私は佐治鹿嶋を罰する機会を、完全に失った」


「たとえ……たとえそうだとしても! 今の鹿嶋には殿下を連れて逃げる理由がありません!」


 もはや、彼らを邪魔するものは何もない。未来を選ぶ権利をもつ若者たちに、できぬことはない。


「イスカ、昨日、西穏地の魔女に会っただろう。龍の話を聞いたはずだ。運命(さだめ)の子を探せと」


「何を……」


 言いよどんでも、ためらっても、くつがえらない運命が、そこにはある。皇太子殿下は、ひといきで言いきった。


「……紗蓉子こそが、運命(さだめ)の子である」


 イスカは額に手をやる。頭の奥が痛み始めていた。


「紗蓉子の死とともに、龍の惑乱は鎮まる。本人も承知している。鹿嶋は、その未来からあの子を逃がすために逃亡した。紗蓉子のみならず鹿嶋の所在もつかめない今、そう考えるのが妥当だ」


「嘘だ」


「嘘ではない。紗蓉子を連れ出す理由のあるものがほかにいない。イスカ、二人を探してほしい」


「鹿嶋と紗蓉子さまを捕えて、どうせよと言うのですか。あなたはどうするつもりなのですか。鹿嶋を……」


 答えない兄の目のなかに、イスカは冷徹な意志を読み取る。


「殺すのですか」


 イスカは顔をあげ、妹として兄を見た。物静かで害がないと思われている皇太子殿下。この方は、他者を切り捨てるときにその偏愛が邪魔とならないように、表面を撫でるようにしか人と付き合わない、冷酷さを磨き上げただけの人である。


「佐治鹿嶋はこの数年間、いつでも朱華邸(はねずてい)に忍び込んで紗蓉子を連れ去るぐらいできたわけだ。やつは紗蓉子が、運命(さだめ)の子としての務めを果たすことを許さない。世界を敵に回しても戦いかねない。あの意志は危険すぎる」


「わたしはしません」


「軍命でもか」


「できません」


「イスカ」


 手を伸ばした皇太子を、イスカは「さわらないで」と拒絶する。


「わたしは……こんなものを見るために……今日まで生きてきたわけではない。兄上。こんなもののために、こんな結果を見るために……わたしは! 生まれて来たんじゃない!」


 周囲に眞夏以外の近衛の兵がいるにもかかわらず、イスカは皇太子殿下を兄上と呼んだ。イスカの苦悩に呼応するように、大地が軋んだ。地震の起きる前触れのように、小刻みな縦揺れのあとに朱華邸そのものが大きく傾く。


「イスカ!」


 詠唱魔法の前触れである。彼女は何かを消したくて自分の中の魔力の源泉に語りかけている。そこからどんなおぞましい奇跡を生み出そうとしているのか、本人以外には誰にもわからない。


 一人の人間に、国を左右できるほどの力を持たせるとはどういうことか。


 詠唱魔法使用者の運用に、世界のあらゆる国家が困難を覚えるようになったのは、なぜだったか。仲月見イスカは私情と私憤で、他対象を傷つける魔法を使ったことはない。たった一度の例外除いて。それを知らないから、皇太子ですら仲月見イスカを信じている。みな、その恐ろしさを忘れてしまった。詠唱魔法使用者が、その心を乱したとき、何が起きるか。


 朱華邸(はねずてい)はこの世から姿を消そうとしている。皇太子はすでに近衛兵に連れ去られるようにどこかへ行ってしまった。ついに詠唱が開始されようとするその時、

「イスカさん!」

彼女の腕を折れるほど強く握る者の手で、イスカは引き戻された。


「もう十分だ」


「……眞夏」


「逃げよう! 無理に決まってんだろ! 鹿嶋さん殺すとかさあ! イスカさんに頼むことじゃねェよ!」


「……うん」


 ひとみを満たす涙がこぼれ落ちる前に、イスカはうなずいた。




 詠唱魔法使用の予兆で混乱を極めた皇宮から、眞夏とイスカは逃げ出した。縁とゆかりのある場所にはひとまず戻れない。近衛の庁舎からも遠ざかるしかない。


 しかし、鹿嶋と紗蓉子が姿を消してからも間もないため、皇都を遠く離れることもできない。イスカたちは皇都のはずれの、日雇いの人間たちが宿をとる町に逃げ込んだ。近衛の制服を隠すようにして、粗末な安宿に駆け込む。


 詠唱魔法を使用する意志のあったイスカを無理やり止めた眞夏の右腕は、無残に引き裂かれていた。まず傷の手当をしなければならない。


「すごく痛い」


「当然だよ。詠唱魔法を途中でとめようとする者なんて聞いたことがない。魔法の跳ね返りで粉々になっていたかもしれないよ」


 あるものでできるだけの治療をするしかない。イスカは手早く手を動かしながら、その顔はどんどん暗く沈んでいく。


「……眞夏、ごめんね」


「いいよ。嘘ですよ。そんなに痛くないです」


 それこそ嘘のはずだが、イスカはそのやさしさにすがって、それ以上なにも言わなかった。やらなければいけないことが、つぎつぎ思い浮かんでくる。


「皇太子殿下より先に鹿嶋たちを見つけなければいけない。傷が痛むなら、眞夏はここにいてくれてもいい」


「俺も行きます。当然でしょ」


 鍵もかからない安宿の部屋の入り口に、人の立つ気配がした。身構えて振り返ると、黒っぽい着物と羽織を着た少年が、イスカの目に入る。急に敵意を向けられて、狼狽したように妙な瞬きをしている。


東里(とうり)……」


「あの……ごめんなさい、俺……」


 とまどう少年の後ろから、悠然とした低い声が追ってくる。


「不完全な詠唱魔法の痕跡をたどって来てみたら、こんなところにいたのか。仲月見イスカ」


西穏地(にしおんじ)の……ヒルカさま」


「仲月見イスカ。佐治鹿嶋(さじかしま)は皇女紗蓉子(さよこ)の情夫か」


「その言い方は好ましくありません。純愛ですよ」


 魔女の無遠慮なもの言いに、イスカはめずらしく真っ向から反発した。




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