十 川べりに咲く赤い花
十一月も半ばを越えて、空気が冷たくなってきた。もう店先の扉を開けたままにしておくのも限界だ。
祖母が営む生活雑貨店の店番を仰せつかっている少年、尊は、入口のガラス戸を閉じようとして、そろばんの置かれた勘定場をはなれた。
ガラス戸に手をかけようとしたとき、店先に人影が立つ。
「いらっしゃい」
尊はあわてて勘定場に戻る。
「やあ。もしかしてもう終わるところだった?」
「寒いから、ちょっとしめようとしただけ」
「なるほど」
そう言うと、その人は後ろ手でガラス戸を閉めてくれた。背の高いすらりとした都会的な人で、見たことのないひとみの色をしている。榛色と、翠が重なっている。
このあたりで見ない種類のその客は、子どもが喜ぶような菓子をいくつか買って、最後に勘定場の横にあるまんじゅうを指さす。
「あれは?」
「ばあちゃんの手作り。特別うまくないし、このあたりの人は食べ慣れちゃったから、いつも売れ残る。いいっていうのに、作るんだ」
尊は肩をすくめる。そのせいで、彼のおやつはまんじゅうになりがちだった。
「じゃあそれもひとつもらおうかな」
この人、話聞いてたのかなと思いながら、尊は紙の包みにまんじゅうをひとつ取る。客はその背を見つめながらたずねた。
「ここから、山のほうへ道を上っていくと、鬼瀬という地域があるだろう」
尊は一瞬包みを作る手を止めそうになるが、なにもない風で答える。
「ああ、あるらしいですね」
「行ったことはある?」
「ないよ。行くやついるの。あんなところ」
鬼瀬の地域にはなにもない。そこに特別な目的があるものをのぞけば、地名が少し厳ついだけの場所である。
「あんたさ、軍人だろ。こんな辺鄙な町に何の用?」
包みを差し出す尊の言葉に、客は少し目を開いたが、動揺している風ではなかった。
「よくわかったね」
「俺の父さんは昔、玖珠の町で呑み屋をやっていた。軍人御用達だよ」
「やるね。私もまだまだかな」
笑いながら客は、外の腰掛を指さして聞く。
「外で食べてもいい?」
「どうぞ」
その客は、身なりのよさに似合わず、特に評判でもない尊の祖母のまんじゅうを、うまそうに食べて帰っていった。
それからしばらくして、今度はなじみのある客が店を訪ねる。
「お、東里か」
「よう。今日はこれ、頼む」
東里と呼ばれた少年は、彼の師匠が調合した漢方やせんじ薬を、この店に置いて売っている。新しい薬を持ってくるのと引き換えに、前の薬の代金を受け取る約束だ。
東里が師匠のところに来たのは、彼がまだ幼いころだったから、二人の付き合いはそれ以来始まっている。男の兄弟がいない尊と、師匠と二人暮らしである東里は、お互いによい遊び友達でもあった。
「なあ、きょう軍人が来たよ」
先月分の薬の売上をまとめながら、尊は東里に何気なく伝える。
「ほんと?」
「はっきりわからなかったけどさ、姿勢がめちゃくちゃいいし、身なりも妙に整ってるから、鎌かけてみたら当たりだった。お前の師匠に用じゃないの?」
「師匠、軍人は嫌いだ」
「知ってるよ」
「あいつら、えらそうだし。みんな自分たちの言う事を聞くのが当たり前だと思っている」
東里が盛大にため息をつく。いつも売り上げを取りに来る日は、好きなものを買うことを許されているから、彼にとっていい日なのに。失敗した。
「俺が師匠の関係者だとバレると、追い返す理由を考えなくちゃいけない」
「大丈夫じゃないか? あんまり優秀な人じゃなさそうだった」
「なんで」
「勘定の時、ちょっと多めに金を置いて行ったんだよ。釣りも取らないで行っちゃうし。算術苦手なのかな」
ひらひらと額面の大きい札を振る尊を見て、東里はすぐに言い放つ。
「それはチップだ」
「チップ?」
「外国じゃこうしてさあびすの対価に多めに金を払うんだって」
「へえ」
「かっこつけやがって。……その様子だと、軍人だと気づいてもらいたくて、わざとわかるように振舞っていたのかもな」
どちらにしろ、抜け目がなくて油断できないと東里は言いたいらしい。
「でもいい人そうだったよ」
「男?」
「たぶん。でもどっちかわかんね」
「は、なんだよそれ」
「来たときは男だと思ったんだけど、途中からどっちかわからなくなった」
尊は正直にあったことを伝えただけだが、東里は納得できない。見つかったらまずいからと、今日は何も買わずに急いで帰っていった。
日高見国、函北群鬼瀬。
ここは長く西穏地の魔女が隠棲する土地である。しかし彼女自身が町に降りてくることはめったになく、数十年にわたって、その弟子たちが人々とのやりとりを続けてきた。
西穏地の魔女に会うことを望むものは、まずその弟子が、目通ししてもよいと認めなければならない。と、言われている。
ここ五、六年、西穏地の魔女の近くにいる弟子は、津守東里ただ一人。
兄弟子、姉弟子がみんな去ったあと、目通しの審査の役目は東里ひとりが担うことになったが、彼は師匠に会わせて良い人間が、どういうものかわからない。そんな理由で、東里は西穏地の魔女を訪ねてくるものすべてから逃れたい。
「おーい」
川の土手を山に向かって歩いている東里を、後ろから追ってきた尊が呼び止める。
「店は!」
東里が叫び返すと、尊はへらっと笑った。
「ばあちゃん起こして任してきた」
尊は並んで歩きだす。
「まんじゅうが売れたって言ったら、喜んでたよ。あの軍人が買って行った」
「うん、よかった」
尊とは、小さいころはたくさん遊んだけど、前よりは会わなくなった。東里は魔法の勉強のために山にこもっている時間が増えた。普通の子のように学校に行く道はない。
「俺さ、もう少ししたら上の学校に行くから、下宿するかもしれない」
軽そうな尊の声に、東里が顔を向ける。
「町を出るのか」
「親父が店を広げたいみたいだから、そういうことも学んできてほしいって。東里は?」
問われて東里は、答える必要がないくらい、何も思い浮かばない。
「東里はどうするの? これから」
これから、か。そんなものが自分にあるか?
「強い魔法使いなら軍に所属する道もあるけど、師匠が許さないだろうな」
「そうか」
「まあ、なんとかするよ。俺もずっと山にこもっているのも嫌だし。兄弟子たちも結局なんとか暮らしてるしな」
兄姉弟子たちはそれぞれ師匠から独立の許しをもらって、鬼瀬の地から出て行った。師匠が東里に教えることは無縫過ぎて、体系化もされていない。学ぶことに果てがないように感じる。この修行に終わりが来るのか、彼にはわからない。
「ねえ、あれ」
尊が指す先を見ると、見慣れた親子が土手の下の川べりを歩いている。母親はまだ小さい娘を連れている。確かまだ四つだった。
「竜山さんだ。お母さん、体の調子がよくなくて、お前の師匠の漢方を欲しがって店にきたんだけど、金が足りなかったんだ」
「え、なんだよ、言ってくれれば直接持って行ったのに」
東里は全く知らなかった事情に尊の顔を見返す。
「だから金がないんだって」
「そんなの、できてからでいいよ」
「そういうこと言ってると、他の人がこっちも頼むよって言って来るだろ。商売ってそういうんじゃないんだぜ」
「何を偉そうに」
竜山さんの家は母子だけの暮らしだから、母親の体が悪くて働けなくなれば、とたんに行き詰まるじゃないか。
今もふらふらと、頼りない足取りで子どもの手を引いている。東里はべつに儲けが欲しくて薬を売っているわけではない。日々の糊口をしのぐぶんだけあれば、十分なのだ。
「あれ!」
尊が声をあげた先では、力のない歩き方のまま、吸い寄せられるように娘を抱えた母親が川に落ち、あれよと言う間に二人は川間の波に消えていく。函北郡は山がすぐそこに迫った盆地だから、上流に位置する川の流れはところによって深いうえに速い。あっという間に流されてしまう。
東里達が迷う間に、すぐ横を走り抜けて、ひとりの人間が一切の躊躇なく、秋の終わりの冷たい川に飛び込んでいった。
「あいつ! 東里の師匠を探しに来た軍人だよ!」
叫ぶ尊を残して東里は走った。
水面に顔を出しているのは、軍人が確保した母親だけだ。子どもの姿が見えない。母親は子どもが見えないことにも、助けられたことにも動揺の様子が見られない。
——意識を飛ばされている。
軍人は岸に泳ぎ着いて二人に母親を引き渡す。
「子どもは!?」
東里が尋ねると、彼は「大丈夫、掴んでいる」と答えて、左の拳を下に向けてぐっと握りこむ。離れた下流の方から、何があったのかわからないという顔をした女の子が、透明の薄膜に包まれて運ばれてくる。薄膜が岸の上で割れて、はじめて女の子は声をあげて泣いた。
「水が冷たくてびっくりしたんだな」
軍人は笑って小さな女の子を抱き上げる。
顔見知りでよく慣れている尊が女の子をあやしている間に、東里は軍人に詰めよる。
「あんた、魔法を」
「まあ、自力で助けるのはひとりが限界かと思って」
「軍人なのに?」
東里の無礼なもの言いに、軍人は気分を害した風もなく口元だけで笑った。
東里は師匠から、軍属で魔法が使えるものは、自分が魔法を使う範囲を強く限定する、と聞いていた。軍務を除く私生活や私情で魔法を使うことを許さない頭の固さが嫌いなのだと、常々言っていた。こいつはそうではないのだろうか。
目が覚めた母親は、平身低頭謝った末、生活が立ち行かなくなり、子どもを連れて歩いているうちに、つい川に足を踏み入れてしまったと言う。
軍人はびしょぬれになった自分の体も顧みず、笑顔で彼女に手を差し出す。
「そういうことでしたら、お困りの人を助ける部署が役所にはあります。一緒に参りましょう」
「人様に頼ってお金を恵んでもらうなんて、恥です。亡くなったこの子の父親にも顔向けができません」
「この人の夫はネールランド紛争から生きて戻って、しばらくは元気だったし子どもも生まれたんだけど、戦いで負ったケガの後遺症が出て働きに行けなくなって、一年ぐらい前に死んだ」
東里の家も似たようなものだったので、竜山の家のことは気になっていた。東里の父はネールランド紛争から戻らず、そのあと無理をして働きすぎた母が死んで、兄弟は散り散りになった。縁があって東里は今の師匠に引き取られたけれど、他の兄弟の消息は長らく知れていない。
「頼っていいんです。どうしても暮らしていけなくなった人々を救うために尽力した者たちの努力を、どうか無駄にしないでください」
日高見国では、数年前にあたらしく生活扶助保護法という法律が制定され、それまでとは異なった方法で生活困窮者を支援する形が始まった。こうした流れを作り出したきっかけは、紗蓉子皇女殿下の活動にある。
紗蓉子殿下のこの活動は、ネールランド紛争の戦死者名簿の中に、佐治鹿嶋の名がないことを、殿下自らの手で探したことがきっかけであった。
誰も紗蓉子に鹿嶋の消息を伝えない。だから彼女は、名簿をなぞる自らの指が、いつか愛する人の名を拾うことを恐れながら、そうするしかなかった。そうすることでしか、鹿嶋の存命を知るすべがなかった。
毎夜震える指で膨大な量の戦死者の名を確かめるうち、彼女は、家族を残して死んだ兵の多さに驚き、残された人々の暮らしを憂いた。
軍人に与えられる遺族恩給は、軍に属してからの年数で支給額が決まるため、日の浅いものは恩給額が少なく、貧しい暮らしに落ちる。父を失い、過労や貧困の結果、母まで失えば、子は孤児となる。
紗蓉子は皇女の身分を活かし、貴族院の議員たちに働きかけ、貧困者の実情を彼らに知らしめ、国家安寧のためにも困窮する人々を支える必要性を説いて回った。
彼らは怠惰でも、勤労を怠る者でも、生計の維持に努めぬ者でもない。生きる意志があり、必死にもがいても、まだ足りず生きられぬ、無辜の民であるのだと訴え続けた。
また異母姉である仲月見イスカもこれを支持した。
特にイスカ自らが、望まぬ詠唱魔法の使用によって戦乱を終わらせるという契約を履行したのにも関わらず、皇太子殿下側が紗蓉子殿下の皇修館退学を勝手に進めたことを強力に非難した。
これは至誠にあらずと強硬に皇太子殿下に詰め寄り、全面的に紗蓉子の活動を支援するよう誓約を取り付けた。
その結果、広く多くの困窮者が救われる道が開かれた。
「恥などと思わず、どうぞ頼ってください。あなたの夫のように、国を守るために散っていった人々の家族を、真っ先にお助けしたいと願って作られた制度です」
何もない田舎道の川岸には、また静かな音が戻ってきている。川べりには、線のように長く続く赤い花の列がある。
東里は、花を眺める軍人の後ろに立った。その人物は、振りかえらずに行った。
「天蓋花だ」
咲き乱れる赤い花は、時に不気味に映り縁起が悪いと避ける人もいる。鮮やかに咲いて目ににじむ赤。
「彼岸花だろ」
「そうとも言うが。さみしいじゃないか。彼岸に咲く花なんて」
「師匠は、彼岸につなぐ花だと言う」
「どちらにせよ寂しい」
「役所までついて行ってきたのか」
「ああ、きちんと見届けてきたよ」
軍人は律儀に病院と役所まで親子に付きそい、もう夜に差し掛かる夕方になって、ここに戻って来た。
「少しでも、楽に生きられるようになってくださるといいのだが」
軍人はついに正面から東里を見た。魔法を使うものに気づくのは、同じく魔法を使うもの。東里が誰であるのか、わかったのだろう。
「わたしはあなたの師匠に会いに来た」
「知っている」
「連れて行ってくれるかい」
どんな人間を師匠にあわせるべきか。歴代の弟子たちは、誰もその基準を伝えずに去っていった。師匠のもとにいれば、いずれはわかるはずだからと。
「お前にとって、魔法とはなんだ」
東里の問いかけに、軍人はひるまず、また常に考え続けていたかのように即座に答えた。
「魔法はわたしにとって、わたしの理想を叶えるための一助だ。わたしの一部ではあるが、すべてではないな」
東里の師匠、西穏地の魔女は、魔法の習得に生涯を捧げるようなやつを好まない。だから弟子にも、これはお前の生き方を支える一つの方法に過ぎないと言い続ける。
——こいつなら、会わせてもいいのかもしれない。
「西穏地の魔女が手ずから与えた輝石を持っていれば、通れる」
東里は、手の平を広げて鍵となる御守石、天青石を見せる。
「ありがとう」
そう言って、軍人はついに名乗った。
「わたしは仲月見イスカ。あなたの名前もお聞かせいただけるだろうか」




