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八 ある魔法使いの悪癖


 なくて七癖。佐治鹿嶋中尉は、登庁するといつも「仲月見少佐は?」と、少佐の所在を確認する。それも一つの癖とは言えないか。大抵は少佐が先に登庁しており、鹿嶋より遅れることはまれである。


 崇零山脈(すうれいさんみゃく)での龍の襲撃騒動から四日が経っていた。


 訓練の事前調査のはずが、山岳行動訓練は中止となり、隊は事後処理に追われていた。そのさなかの朝に、いつもの鹿嶋の声を聞いて蒲原(かんばら)は仰天する。


「佐治中尉殿! もうお体はよろしいので?」


 鹿嶋は、イスカより一週間の療養期間を与えられ、自宅にいるはずである。


「ああ、もともとケガなんてないんだ」


 鹿嶋はそう言うが、間近で見た蒲原はそんなはずはないとわかっている。しかし三日ぶりに見た彼は、確かに大きな負傷をしたようには見えない。


「少佐はいらっしゃるか」


「本日はまだ登庁されておりません。現場調査の日から三日間泊り込まれて、昨夜はお帰りになったと思いますが」


「そうか」


 鹿嶋はそれから、近衛の制服に金糸の縁取りの外套を羽織って、「すぐ戻る」と言って出て行った。いつもそうだった。イスカが自分より前に登庁していないと、鹿嶋はどこかに姿を消す。



 仲月見イスカは、ひとりでは眠れない。これは彼女の悪癖だった。


 国軍大学校時代に、金邑(かなむら)稲積(いなつみ)とたびたび"実験"を試みて、大体十畳一間くらいの空間に他に人間がいれば眠れるらしいと判明した。以来彼女は、その自分の癖と付き合っていくため知恵を巡らせている。


 夜じゅう外を歩き回るのは現実的ではない。睡眠を削ることは、人の尊厳を失う一歩である。危ない目にも何度かあって、副官となってからの鹿嶋にも迷惑をかけている。


 見かねた引佐(いなさ)荒海(あらかい)大佐の紹介で、イスカは皇都の神波町(かんなみまち)に定宿を持った。


 神波町(かんなみまち)花街(かがい)は、官許の花街である。花街は、宴席に歌舞音曲を伴う遊宴の街だが、それだけにとどまらず、詩歌、文学等文芸も盛んな街だ。また老若男女が出入りする開かれた遊びの場所でもあった。近年歌舞劇場や活動写真館が敷地内で興行を開始したこともあり、男女問わず通うものがいる。


 イスカは、遊宴で歌舞を披露する芸妓や太夫を抱える置屋に、特別に一部屋借りていた。本来許されない使い方だが、古い上客だった引佐の紹介であり、またイスカ自身が女性であることから成り立つ善意のつながりである。


 しかし大っぴらに話して良いこともないので、この事実を知っているのは、近衛のなかでもごくわずかである。


 イスカが鹿嶋より遅れて登庁すること自体めずらしい。よくあることではないから、鹿嶋が直接下宿へ迎えに行くのも、年に数回だ。


 鹿嶋はイスカが定宿にしている置屋、紫鶴屋(しづや)ののれんをくぐる。


「あらあ佐治さま」


 すぐに一人が気付いて声をかける。


「おはようございます。少佐はまだこちらに?」


「ええ、あがって。いつもの部屋だから」


「男があがっていいものでしょうか」


「いいの、いいの。佐治さまだったら安全よ」


 毎度あがれと言われるが、毎度、鹿嶋は念のためそれでいいのか確認する。二階に上がって、一番奥の部屋に行きつくまでにも、物めずしいのか声をかける芸妓がいるが、彼は律儀にそれを「少佐をお迎えにまいっただけなので」と断り続ける。


「失礼します」と断って、間借りしている部屋のふすまを開けると、世にもたおやかな女の膝の上で、イスカが眠っていた。


 女は三津(みと)太夫。太夫とは宴席で客をもてなす芸妓のなかでは最高位の存在で、歌舞だけでなく雅な遊び百般に詳しい。それが育ちと教育のいいイスカと話があった。鹿嶋がここを訪ねるとき、彼女はたいていこの部屋にいる。


「佐治さま」


 毎度イスカを迎えに来ると、三津にあまりいい顔をされない。


「お迎えに上がりましたが、少佐は起きますかね」


「どうでしょう。外国からお戻りになって、すぐに三日三晩休まず働かれたのでしょう。さぞお疲れですよ」


 三津は起こす気がないらしい。言葉には鹿嶋を責めるような気配がある。イスカが忙しくなった理由について、鹿嶋にはどうしようもなかったが、とりあえず「すみませんでした」と謝っておく。


 ふっとイスカが目を開けた。静かに横を向くと「鹿嶋か」と言って、起き上がる。


「三津さま、ありがとう。もう朝だから行かないと」


 三津は静かに下がる。


「体はもういいのか」


 イスカに問われ、鹿嶋はうなずく。


「ええ。もともと問題なかったんですよ」


「あとからいろいろ出てくることもあるから」


 イスカは天に向かって盛大に伸びをする。


「じゅうぶん休まれましたか」


「ああ、風呂も借りたし」


「それはよかったです。お忙しくされていたようでしたが、あの後どうなりましたか」


 鹿嶋は 崇零山脈(すうれいさんみゃく)の事の顛末を、まだ誰からも聞いていない。


「……今回の龍の襲撃で出た死者だが、死亡した者の遺族恩給の基準が、有事の特殊勤務加算なしのものになりそうで、もめている」


 軍人が死亡したならば、どういう状況であっても恩給が支給されるが、有事に特殊な状態で公務に当たったと判断される場合は、加算がある。


 今回の騒動の死者は、本来通常の訓練であれば死ぬ必要のなかった人員である。


「それは……あれはとても訓練と呼べるものではありませんでした」


「まったくだ。下世話な話だが、死者をしのんで悲しむ時間を得るのにも、金が必要だ」


「おっしゃるとおりです」


「くつがえらないようなら師団長……兄上にさえも掛け合うつもりだから心配するな」


「お願いします」


 イスカは立ち上がると、顔を洗いに一度退室する。戻ると衣紋掛けに預けられている近衛の制服に袖を通す。


「そして龍の遺骸は皇室魔学技術庁に引き渡されたわけだが、今回は君の御守石(まもりいし)も一緒に預かってもらっている」


 鹿嶋は今回大勢の眼前で龍の首を落としてしまったから、隠しようがなかった。イスカにはこうした力を得るきっかけになったと思われる龍骨について正直に伝え、その結果、石は一度詳しく調べられることになった。


 しかしイスカは無条件に龍骨を預けることに難色を示し、触れる人間を指定した。


「魔学技術庁所属、花室(はなむろ)(かしわ)研究員。信用できる人間だ。彼が、決して他のものに石は渡さないと保証してくれた。かならず鹿嶋のもとにもどるよ」


「ええ。私も面識のある方ですから、承知しています」


「ところで、紗蓉子(さよこ)殿下のことだが……」


 鏡の前で乱れなく制服を整えたイスカが振り返ると、鹿嶋が畳に額をこすりつけて土下座していた。


「鹿嶋!?」


「申し訳ありません! 紗蓉子さまと知り合いであることは確かだったのですか、どこから……どこまで……! お話しするべきか迷い続けた結果七年経ちました」


「七年は言いすぎだろう……」


 七年間といえど、その間鹿嶋とイスカが常に行動を共にしていたわけではない。


 鹿嶋が国軍大学校に入校し、イスカが情報要員として国外で過ごした数年に加え、その後幹部学校や隊付期間もあった。


 鹿嶋が実際に副官としてイスカのそばにあったのは、ここ二年ほどのことである。


「いや、それでも長いか」


「すみませんでした!」


「全然、怒ってはいないんだが」


 イスカはそう言って鹿嶋の前に座る。


「殿下は鹿嶋のそのあとのことを心配していたから、できれば拝謁してほしい。といっても皇女宮への直接の出入りは叶わないから、私が場を設けてもいいが」


「一応、次にお会いする時期については、決めることができましたので……もちろん! 皇女宮の外で、ですが」


「なるほど。わかった。紗蓉子さまが古瀬中隊にひと月ほど所属していた件については、おそらく兄上が一枚かんでいると思うから、今度お聞きしておく。紗蓉子さまがお話ししたがらないようなら、無理に聞き出さなくてよい」


「ありがとうございます」


 そこでようやく鹿嶋は顔を上げた。


「……これからの大隊の動きは、どうなりますか」


「一度に三個体の龍の襲撃となると、これが続けば国民の安全が脅かされる。もっと能動的に対策を講じなければいけない。私は皇太子殿下のご命令で、西穏地(にしおんじ)の魔女殿にお会いすることになった」


「西穏地の魔女」


 鹿嶋はつい間の抜けたような声を出す。西穏地の魔女とは、日高見国(ひたかみのくに)に昔から住むと言われる魔法使いの呼び名だ。国内の各地の伝承やおとぎ話の中に、たびたびする存在である。


  鹿嶋はむかし、その名を一度戦場できいた。西穏地の魔女は、詠唱魔法にめざめる兆しのある子を引きとり、育て、保護しているという。


 イスカは皇統につらなるその血筋のせいで、その保護の対象にはならなかった。「逃げられなかった」と、戦場でイスカのために命を散らした男は言っていた。


「それは……実在するのですか。てっきり子どもの寝物語のたぐいかと」


西穏地(にしおんじ)の魔女殿は、詠唱魔法使用者だ」


 魔女が、"高名な魔法使い"をあらわす通称であれば、その人物が詠唱魔法の使用者であることは十分ありうる。


「国の命に従うような方ではないが、悪人ではない。らしい。実を言うと私もお会いするのは初めてだ」


 イスカはなんとなく楽しそうだった。詠唱魔法使用者同士が、対立関係もなしに出会うのは(まれ)だからだろうか。


「もう何百年も前から同名で国の記録に名が残っているから、世襲なのかもしれない。代を変えて長く国の歴史に関わっておいでだから、龍のことについてもお詳しいのではないか……ということだ」


「なぜ少佐が直接向かうことに? 皇宮にお招きするなり、皇太子殿下が直接にお会いになったほうが話が早いのでは」


「当代の魔女殿がどういう人物かによるが、なかなか気難しい人らしい。実際会いに行っても、対面の叶わないものも多いとか」


 魔女殿のお目がねに叶わないと、お姿も見せていただけないらしいとイスカは言う。


「少佐なら可能だと?」


「どうかな。行ってみないとわからないね」


 国難に際してそういう人物が協力的でないと困るだろうに、イスカはわりと気軽だった。


「向かうのは明日以降になろう。今日は最後の一押しで仕事をしたあと、午後は仲月見(なかつきみ)の家に帰国の挨拶に行こうと思う」


「わかりました……」


 仲月見の名が出て、鹿嶋はぐっと腹に力をこめた。この後にしなければいけないことについて、考えをめぐらす。


 イスカは置屋の面々と、三津には個別に礼を言って下宿をあとにする。庁舎に向かいながら、鹿嶋は確認が後回しになっていた前の任務について尋ねる。


「隣国の王女の奪還ですが、首尾はどうでした」


「上々だよ。隣国の姫君とは友人になった」


「それはよかった。眞夏はいかがでした」


「よく働いてくれたよ。心配ない」


「それならいいですが」


 朝の人の通りもまばらな花街を、イスカのあとに続いて歩いた。早朝に出た霧が残る道を、朝日が透かして照らしている。




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