三 索敵、遭敵、開戦
静かである。
秋の高山の天気は変わりやすいが、本日は朝より続く晴天。
戦闘服に身を包み、簡易な火点設置と手に入るもので擬態した男たちは、身を小さくして微動だにせず空を観察する。
蒲原二等軍曹は、横に座る佐治鹿嶋中尉の横顔を見ていた。
蒲原は今年の春に近衛の騎兵大隊に配属になったばかりで、まだこの上官のことを知らない。生真面目で、よく身体を鍛えている人という印象が強かった。
近衛師団は歩兵や砲兵のみならず、需品科や厚生科まで自前で保有する大所帯の部隊だが、第二連隊鷲獅子騎兵大隊の大隊長仲月見イスカ少佐と、その副官佐治鹿嶋中尉については、師団の内外でも知る者が多い。
蒲原から見える鹿嶋の横顔には、小さな赤い輝石の耳飾りが見える。この国では、自分の大切な人の輝石を装飾品として身に着ける風習がある。当然鹿嶋の耳飾りは、仲月見少佐の輝石、柘榴石であると誰もが思っていた。
蒲原は近衛に来たばかりの頃、そうした事情を詳しく知らなくて、何の気なしにその耳飾りを指して「柘榴石ですか」と聞いてしまったことがあった。
周りの人間はさぞ、ぎょっとしただろうが、当の鹿嶋本人は、ささいな葛藤もなく、すぐに「違う」と答えた。それから、「ある人の輝石を模して身に着けているものだけど、柘榴石ではないよ」と続ける。
そばにいた誰かが、ならばそのことはきちんと周りに断った方がいいのではと提案した。
イスカと鹿嶋が、ある種の特別な関係でないことは、近くにいる人間なら誰もがわかっていることだからだ。
この二人の間はネールランド紛争から続くというから、付き合いは長いが、見ているとその関係は姉弟に近い。
でも鹿嶋は、「それは私だけが知っていればいいことだから」と言うだけだった。
この赤いきらめきが、誰を想って付けられたものなのか。未だに蒲原は知らない。鹿嶋には、浮ついた噂も一向に立たないから、隊の者のなかには、実はもう死んでいる人間を想っているのではと言う人もいる。
先ほど鹿嶋が探しに行かせた馬橋二等兵。彼もまた、蒲原の少し前に近衛に来た若い兵士だ。鹿嶋は、彼の母親がマヨルカの出身であることなどよく知っていたものだ。
実は誰かが何気なく言葉の端に乗せたことを、まめによく覚えている人なのかもしれない。
鹿嶋のような男が想う人が、もうこの世にいないなんて、そんな悲しいことがなければいい。
座っていても肩に重く響いてくる通信機の圧を感じて、蒲原は仲間と一緒に空を見上げた。
「佐治中尉」
単眼鏡をのぞいていた者に呼ばれて、鹿嶋が反応した。
「十時の方向です」
山の際をかすめるように、異形の影が下りてくる。
雲を割って現れたその影は、巨大な蛇を思わせる細長い胴体に、薄くしなる翼を持ち、光をはじく青白いうろこをまとっていた。ひとみの色は、遠すぎてまだ見えない。
「はやいな」
かなたに粒のように小さく見えていた龍の姿は、ぐんぐんと近づいてくる。やはり空を飛べるものは速い。
日高見国の飛行船の航行速度は、約時速百キロである。それよりも圧倒的に疾走感のある龍は、どれほどの速さで飛んでいるのか。
鷲獅子も最高速度は相当に速いが、人を乗せて騎獣となることを前提とすると、その速度は抑えがちだ。
あっという間に龍は鹿嶋たちが身を隠す森の上空を通り過ぎようとする。
「このままやり過ごせ。やつら聴覚がどれくらい敏感かわからない」
小声で鹿嶋が言って、みな息をひそめた。
蒲原は声は出さないが、実際に龍が現れたことをすぐに各所に連絡せねばならないので、指先だけで小さく通信機のダイヤルを動かした。
そのとたん、通り過ぎた龍が上空で跳ねるような動きをして頭を巡らせあたりを探り始めた。あきらかに何かを探している。
そして、見つけた。
おかしい。まっすぐにこっちに向かってきている。
「機関銃用意。撃ち方はじめ」
鹿嶋は冷静に命じ、銃手もそれに応じて龍に向かって機関銃掃射を開始する。七.七ミリ弾は龍に通用するか。重機関銃の掃射で一度は龍は空中に戻ったが、すぐにまた反転、向かってくる。
——何を狙っている
鹿嶋は龍が滑り降りてくる軌道を見つめた。
「蒲原! 捨てろ!」
離れた場所で連絡を試みていた蒲原に向かって、鹿嶋が叫んだ。
鹿嶋は蒲原を突き飛ばし、走り抜けて向かってくる龍の正面に立つ場所で抜刀した。白刃のきらめきを目に入れて、龍は地面に腹をこするかと思うほどの低空から、水中を泳ぐような動きで自在に反転し、すぐに空へ戻っていく。
「捨てろ!」
鹿嶋はもう一度叫ぶと、蒲原から肩紐を刀で引きちぎって通信機を奪い、見せつけるように木々のなくなった場所に放った。
まるで、金属の中に情報が詰まっていることを知っているかのように、龍は狙って再びおりてくる。
滑空してきた龍が咥え上げ、強靭な顎で雑にかみつぶすと、金属片となった通信機がばらばらと散っていく。
機密性の高い通信機を放棄して撤退する際には、完全破壊が求められる。堅牢すぎて専用の破壊指南書が用意されるほど頑強な通信機が、一瞬で粉々にされる。
——奴らは、わかっているのか。
引佐荒海大佐の言葉がよみがえる。鹿嶋に自ら首を差し出した、斉京の龍の最後の姿が近づいてくる。
蒲原の持つ通信機が、他の人間を呼ぶものだとわかって襲った。あきらかにそれをまず壊そうとしていた。奴らは、わかっている。
「後退だ。最後の通信内容によれば、古瀬中隊も第一宿営地までは来ている。こいつらが非常に攻撃的だってことを伝えなきゃ、全滅しかねない」
「佐治中尉殿は!?」
「あいつ、すっかりやる気じゃないのか。素直に退かせてくれないなら……」
鹿嶋は、さきほど自分が刀を抜き、龍の前に立った時、正直死んだと思った。事実、あのままの勢いで龍が突出していれば、生きていなかった。
だが龍は来なかった。抜いた白刃を恐れたのか? それとも鹿嶋の存在がそうさせたのか。
七年前、斉京の街で龍を切り伏せた自分の力は、あれは本物だったのか。紗蓉子が鹿嶋と共に行く未来を捨ててまで、見つけてこいと言った運命は、そこにあるのか。
駆けながら、鹿嶋は笑った。誰も知らないところで、佐治鹿嶋は滾っていた。
俺のこの力は、真に龍に通じるのか否か。
鹿嶋達が山中で龍と会敵する少し前に、訓練時の宿営予定地まで進み、待機していた古瀬隊にも混乱が生じていた。
古瀬隊もほぼ同時刻に、別方面から山を越えてきた龍の襲撃を受け、同じように通信兵が襲われていた。
通信機は失われ、外部と通信は途絶した。龍の飛来を確認するため山中に残った者たちとの連絡も不可能となっている。
鷲獅子騎兵大隊第二中隊を率いる古瀬悠大中尉は、このまま撤退するか鹿嶋班を援護するため待機を継続するか、判断を迫られていた。通信が途絶しては、合流や連携の手段もない。
すでにマヨルカから避難してきた住民は、祥元の街まで避難が完了していたのが救いか。
その古瀬中隊で、ひとりの初年兵が、鹿嶋班との合流を下士官に進言している。
「許可できない。佐治中尉たちが山中の、どの場所で展開しているか知るすべがない」
下士官である曹長は至極もっともな意見で、初年兵をいさめる。
「わたしは加療術が使えます」
初年兵の言葉に、曹長の眉が少しだけ動いた。加療術と言えば、今日日衛生中隊でも使用可能なものがまれな、貴重な技能である。
それが本当であれば、この初年兵は、騎兵より適した活躍場所がある。
曹長は小柄ではないが、線の細い女を見た。仲月見イスカ少佐が数年前に近衛で初めての女軍人となってから、所属する女性も増えた。しかしそれは上級幹部以上の話であって、兵卒に女性が入ってくることはめずらしい。
彼女は先月に古瀬中隊所属となったばかりだ。
「けが人が出ているかもしれません。きっとお役に立ちます」
彼女はさらに食い下がった。
「わかった。一応古瀬中尉にはお伝えするが、許可は下りんと思うぞ。貴様、名前は」
「日野、紗蓉子と申します」
悲痛な顔をした二等兵はそう名乗り、「彼らをお助けしたいのです」言った。




