二 秋晴れの空 燃える兆し
近衛師団第二連隊の山岳行動訓練は、毎年、降雪前に崇零山脈で行われる。
崇零山脈は日高見国の北の果てに広がる峻険な山々である。この山を、戦闘服で個人装具一式を背負ったまま登頂、尾根を縦走して下山する。
近衛には専用の制服が用意されているが、戦闘服は陸軍と共通の灰色がかった緑色だ。
険しい山道では、地形、気象などが平地とはまったく異なる姿を見せる。それを克服し、作戦行動を完遂するには、編成、装備、各所通過の要領などを、高峻な地帯に適応させなければならない。
しかし訓練はあくまで訓練であり、困難な山岳地帯に臨むにしても、最低限部隊の人員の安全の確保には努めねばならない。
そのため鹿嶋は本部付中隊からさらに少数の分隊を編成して、訓練前の現地調査におもむいていた。
現地調査とは、地図や地形図を参照して作成した予察情報と、現地での実際の土地の様子を照らし合わせる作業だ。
毎年似通った経路で訓練を行うが、相手は自然の山々である。一年の間に起こった天候災害や自然現象で、現地の様子が大きく変わっていることも珍しくない。
また、敷設設備、例えば橋などは、建設当時より経年の劣化で通行に難が出ている場合もある。季節的要因で通行が困難となっている個所や、逆に通過が容易になっている個所もあるだろう。
部隊に備える地図の更新も含めて、訓練現地調査は、地味だが重要な作業である。
地味で目立たないが、着実な成果をあげるには重要である。これが軍には山のようにある。派手な火砲の活躍や、戦闘訓練だけでは強靭な軍隊というものは作れない。
鹿嶋はこうした地道な作業や、こまごまとした積み重ねが大きな結果に変わる達成感が好きだった。自分には隊の一番上に立って人を率いるより、こうして支えている方が向いている。
もしも階級があがり大尉となれば、どこかの隊で中隊長を務めねばならない。それは近衛ではないかもしれない。イスカのそばを離れることになる。
——迷って、ここまで来てしまった。
紗蓉子と約束した十七歳の自分の"五年後"は、二年前に過ぎた。それでも二年前、紗蓉子が皇女として成人の儀を行っていれば、鹿嶋も迷わず進むことができた。
が、実際は紗蓉子殿下は今に至るまで成人の儀を先延ばしにし、いまも皇女宮から出てこない。その理由を確かめる術が、鹿嶋にはなかった。会いたいと思って居場所も知っていても、自分にはとても遠い人だった。
「佐治中尉」
通信兵である蒲原三等軍曹が、鹿嶋を呼ぶ。
日高見国国軍は、同じ通信機を運用している。皮のケースに収納された通信機本体を肩かけの紐で下げて、腰部分に固定する。重量は相当にあって、とにかく間近で砲撃にあっても通信機能を確保できるよう、堅牢に作ってある。
今その蒲原三等軍曹の腰に下がっている通信機から、まさに何かの連絡が来ている。
「北面の宿営予定地点を調査中の第一分隊より受電」
「どうした」
「どうやら山中でけが人を収容したようです」
「登山者か?」
「どうも違うようで。一度中尉に見ていただきたいと押田班長が言っております」
鹿嶋が第一分隊と合流すると、そこには座り込む男と、それを取り囲む自部隊の面々がいる。
「なにがあった」
言いながら、鹿嶋は軍人たちに囲まれている男を見るが、あきらかに登山者ではない。装備が崇零山脈を踏破するには軽すぎる。なにより、
「彼はどこから来たのか」
鹿嶋は周囲の人員にたずねる。男は、日高見国の人間には見えない。人種的特徴が異なっている。
「マヨルカの者ではないかと話していました」
班長の押田が進言する。
「マヨルカ」
マヨルカは国ではないが、日高見国から独立地域として見なされている東方諸国の一地域だ。崇零山脈を超えた向こう側に、彼らの居住地域は広がっている。峻険な山脈に隔てられ、近世になるまで日高見国と交流はなかったが、今は友好的に付き合っている。
「マヨルカの人間がなぜここに? 山に慣れた民族にしても、軽装すぎる」
「言葉のわかるものがいなくて、事情がきけていません」
「マヨルカの言語は私も習得しなかった。蒲原軍曹」
呼ばれて蒲原は鹿嶋の横に付く。
「馬橋二等兵を探してくれ。確か母親がマヨルカの出身だった。言葉がわかるか確認して、できるようなら連れて来てくれないか」
蒲原はうなずくと、すぐに動く。
ほどなくして呼ばれた二等兵によって、マヨルカ出身のこの男が、日高見国の山中にやってきた理由が明かされる。
「龍に襲われたと言っています」
言葉を通訳している馬橋も、にわかには信じられないという顔をしている。
「彼らの街は、マヨルカ側の山脈のふもとにあったのですが、銀黎界からやってきた龍が山脈を超えようとするとき、いつも街を通過するのだそうです」
銀黎界は東方諸国から海を隔たる北の果ての大地である。確かにそこから龍がくるのなら、進路によっては日高見国のまえに、マヨルカを通ることになるだろう。
「しかし今回は……」
必死に話す男の姿を見ながら、馬橋は訳すのをやめて男の訴えを聞くのに注力している。
「今回は……龍が一度に三頭やってきて……街を、襲った」
三頭の龍と聞いて、誰もが身体をこわばらせた。一頭だけでも無力化するのにかなりの時間と火力を要する龍が、三頭。
「街がほとんど壊滅し、マヨルカ側に逃げられなかった人々が、山を登ってこちら側に逃げてきていると」
鹿嶋が重要なことをマヨルカの男性にたずねようと、馬橋に取次ぎを頼もうとしたとき、別の人員から声が上がる。
「佐治中尉!」
「今度はどうした」
「人が次々登山道を降りてきています。女子どもも混じっていて」
「みなマヨルカの者か」
「おそらく」
それを聞いて、鹿嶋はいまいちどマヨルカの男性と向き合い、馬橋二等兵に問う。
「馬橋二等兵。確認してほしい。マヨルカで街を襲った龍は、彼らを追ってきているか」
「それが……俺もきいてみたのですが」
「どうした」
「わからないと言っています。いま龍がどこにいるのか、わからないと」
鹿嶋はぐっと唇を噛んだ。急峻な現実が、彼を襲おうとしている。
毎年訓練の宿営地として使われている開けた草地に、次々と山を下りてきたマヨルカの人々が集められる。
「再び分隊を編成しなおす。三分隊体制をあらため分隊は二編成。これを第一分隊、第二分隊と呼称する。これより第一分隊はマヨルカからの避難民を伴い、下山。崇零山脈登山口近くの祥元町に待機する古瀬中隊と合流。以後古瀬中尉の指示に従え」
すでに鹿嶋は皇都へ連絡し、近衛師団第二連隊連隊長の引佐に、最寄りの基地から最低限の火砲を祥元の街に手配してもらえるよう依頼した。仮に龍が飛来しても、祥元の街で討伐までする必要はない。だが、なんの準備もなければマヨルカの街同様、祥元は壊滅を待つのみだ。せめて奴らを追い散らし、街に近づけないだけの装備が必要である。
「第二分隊は私とともに山中に残り、マヨルカの街を壊滅させた龍が、山脈を越えて日高見国側まで侵入するか、監視を続ける」
龍の飛来が実際に確認された場合、いち早く情報をもたらす先鋒となるためだ。
「標高があがれば低木が多くなり身を隠す難度があがる。なるべく低地の森林の中から、監視のみを任務とし、仮に龍を確認した場合でも攻撃の要なし」
山中に残る分隊はさらに班にわけられ、それぞれに班長を据えて、一班には鹿嶋がついた。
「攻撃の要なしとは言ったが、攻撃しようにもできないな。ろくな火砲がない。使えるのは重機関銃だけか」
鹿嶋の班に編成された兵が答える。
「当日の行軍速度の目安を知るため、銃、弾薬箱、それぞれ人員を配して二梃ずつ持ってきています」
「弾薬の充足率は」
「行軍時重量を再現するため、目いっぱい持ってきています」
鷲獅子騎兵大隊に配備されている重機関銃は、国軍陸上部隊の歩兵に配備されるものと同一である。
騎獣がいなければ、歩兵として運用するしかない人員が多くいるのが、鷲獅子騎兵大隊の特徴でもある。
口径七.七ミリ。このの重機関銃は、遠距離射撃の能力を増大させ、トリガーは引き金式ではなく、押し鉄式を採用。寒冷地での運用に便がある。取り回しも含めた扱いやすさを従来品よりも追求したものだが、それでも本体重量三十キロ近く、三脚を含めた重さは、さらにその倍になる。山岳行動で携行するなら、分解し、個人の負担を分散して歩兵部隊と随伴させなければならない。
「高射専用脚は」
「一脚あります」
「使わないのが一番だが、一応わたしの班に持たせてくれ」
通常の三脚よりも仰角に融通が利くように設計された高射専用脚は、もともと上空を飛ぶ飛行船等を狙う目的で作られた。水平から最大仰角八十度、重機関銃なら高度六百メートルまでは照準可能である。
「鷲獅子がいないのがつらい。今日は調査のみの予定だから、古瀬中尉の隊も一頭も連れてきていないだろう」
「本当に来るんでしょうか。三頭も」
マヨルカの人々から直接龍の様子を聞き取りした馬橋二等兵が、不安そうにしている。
「来るはずがないと楽観視するには危険すぎる状況だ」
だが、と鹿嶋は状況が好転する可能性を示唆する。
「今朝方、仲月見少佐が日高見国にむけて出立したと連絡があった」
イスカが出立した西方諸国東端の国から、崇零山脈までは間近である。引佐大佐はイスカにも状況を伝えると言っていたから、うまくいけば龍が山脈を越えるころに彼女が合流し、うまく事が運ぶかもしれない。
仮に三頭が、イスカの言う理性を失った龍であっても、彼女の詠唱魔法と十分な火砲があれば、対処可能である。
「とにかく我々は、今日は当分空を眺めて待つしかないな」
秋晴れの美しい空を純粋に楽しむ気持ちで見られないのは、少し惜しい。
この空の中を、光るうろこを晒して龍が飛ぶ姿は、さぞ美しいだろう。ただの龍の飛来なら、遠く眺めて見逃してもいいかもしれない。それがマヨルカで一度街を襲っている個体となれば軽く見ることはできない。
鹿嶋は腹に強く力を入れて、歩き出した。




