一 龍は理を持つか
大公紀歴二千八百二十七年 十一月二十日
イスカは紗蓉子殿下の抱える問題について皇太子殿下から呼び出されたあと、今度はほんとうに、国外で起きているめんどう事に駆り出されて国を空けていた。
なんでも、他国に嫁いだきり十年近くも不遇をかこっている、ある国の王女さまを奪還するのだそうだ。
すでに仲月見イスカ少佐と金邑眞夏上等兵が旅立ってから、ひと月半が経とうとしている。
鷲獅子騎兵大隊の山岳行動訓練までには戻るというイスカの約束は果たされるだろうか。鹿嶋は秋から冬に移り変わろうとする季節を、庁舎の窓から見える景色に感じていた。
鹿嶋は訓練直前になってイスカが戻ったとしても、滞りなく業務が進むように環境を整えるだけだった。
「佐治中尉」
鹿嶋は大隊本部で電話を取ったものに呼ばれて、顔を上げた。
「黄鉄鉱の旦那がお呼びですよ。連隊本部まで来て欲しいと」
「わかった。すぐに行くと伝えてくれ」
電話を取った二等兵は、追加で情報を付けくわえる。
「それほど急いでいる様子はありませんでしたが、なんでしょうね。仲月見少佐がお戻りにならないんで、気にされているんでしょうか」
「どうかな。今さらあの人が少佐の在る無しで大騒ぎするとも思えないが」
鹿嶋を近衛師団第二連隊本部まで呼び出したのは、連隊長引佐荒海大佐。通称、"黄鉄鉱の旦那"である。この通称は、大佐の御守石が黄鉄鉱という鉱物であることに由来する。
黄鉄鉱は硫化鉱物の中では最も硬度が高く、加工に手間がかかる。この黄鉄鉱が現すように、引佐大佐は無骨で男くさく、いかにも軍人めいていた。
多少仕事には不熱心な部分もあるが、軍の上に立つものが熱心で勤勉であると、時に下は追いつめられる。そのあたりの塩梅を考えてやっている人だった。
また女だてら初めて近衛に入ることになった仲月見イスカを、偏見も優遇もせず他と同じ待遇で引き受けたのも、この男だった。鹿嶋にとっては恩人の恩人のようなもので、鹿嶋自身も、近衛に入った当初から、イスカとの関りで何かと目をかけてもらっている。
「佐治鹿嶋中尉、まいりました」
連隊本部で声をかけると、奥から「おう」と声がして、鹿嶋は引佐の執務室へ招き入れられる。
「仲月見はまだ戻らんか」
「大隊の山岳行動訓練には間に合うように戻ると言付かっておりますので、私はそのつもりで準備をしています」
鹿嶋は引佐に、応接用の座卓周りに腰かけるよう促されて座った。
「かた苦しいな、鹿嶋」
言って、引佐は執務用の机の引き出しから、洋酒の小瓶を出してきて、寄こそうとする。
「いま昼間ですよ」
「酒が多少入ったところで使い物にならなくなるほど、柔じゃあるまい」
「遠慮しておきます」
「お前は夜も付き合いが悪い」
「花街以外の店での飲みなら付き合いますが」
引佐は遊びが多少を過ぎて派手であり、鹿嶋にとってはその点が唯一の欠点だった。何度か女相手に飲むような店に連れていかれてひどい目にあっているので、そうした誘いは一律で断っている。
「女がいなきゃつまらんだろう」
「その意見には賛同しかねます」
「佐治中尉を連れて来てくれって姐さん方にはせがまれてるぞ俺は。仲月見が潔癖だから合わせているのか鹿嶋」
「そうでもありませんよ。少佐は自分には厳しいが他人の事情には寛容な人です。それがよその人間を苦しめない限りは」
「そうだったな」
「こんな話をするために私を呼び出したのではないでしょう」
酒が飲めないとわかったからか、引佐は今度は煙草を取り出した。
「仲月見は十月に龍の討伐に出ただろう」
「ええ」
「まあ、実際殺しちゃいないがな。その前にも、今年だけで四件龍がらみの事件に駆り出されている」
「おっしゃるとおりですよ」
引佐は鹿嶋の向かいのカウチで体を伸ばし、煙を吐き出す。なにやら考えている。
「うち一体は、たしかに殺したな?」
「……はい」
「火砲で迎撃するしか奴らを殺す方法がない以上、軍が出ばるのは仕方がないとはいえ、俺は奴らにどういった態度で臨むべきか、決めかねている」
「態度、とは」
「俺たちが訓練で積み重ねている戦闘行動とはどういうものだ? ただ火砲をぶっ放して敵をせん滅するか陣地を奪うか、そんな単純なものか?」
「……いいえ。相手が何を考えているか、どう動くか。彼我の戦力と思考を読み取る技能が必要です」
「その通りだ」
引佐は煙草をもみ消して、手を組むと鹿嶋の前に身を乗り出した。ここからが本題なのだろう。
「鹿嶋。龍は、あいつらはわかっているのか?」
力のある軍人の目である。まだ若い鹿嶋にはない胆力を感じる。
「こちらの思考を読もうとするか? 先回りしようとするか? ただ目に見えるものを襲う以外に、戦う目標を定めている様子は? もしもそれがないのなら、獣と同一だ。獣狩りにだって一定の思考が必要になるが、それは動物の本能を読み取る動作だ。個体差は比較的少なく、対処法は画一的でもいい。この先、龍の襲撃がますます増えてくるなら、やつらへの対応を獣狩りと対人戦法、どちらの姿勢で臨むのか決めなければいけない」
なるほど、と鹿嶋は思う。奴らが人と同等以上の高度な思考をしているなら、こちらも相応の準備が必要になる。逆に言うと、対人で活用するような戦術が有効になるということだ。
「国軍全体で統一したいところだが、それが無理なら、せめて近衛師団としては方針を決めたいと、俺は思っている」
お前はどう思うか、と問われ、鹿嶋はしばし逡巡する。
「私は……そうですね。数度、龍とあっただけですが、奴らから人間と同種の思考の痕跡は、読み取ることができませんでした」
それが実感だ。
「ただ……仲月見少佐は、ちがうのかもしれない」
「なんか言っていたか。あいつ」
「龍について、彼とか、彼女とか、彼らと呼びます」
引佐は、口の片側だけをゆがめて笑った。嘲笑はない。懐かしむような笑いだ。カウチにもたれて天井を見上げ、間をおいてから切り出す。
「イスカが近衛に来たばかりの頃、あいつは情報学校から国軍省の国軍特務部隊警務連絡班に配属になって、世界中できな臭いことに巻き込まれたあとだった」
鹿嶋が国軍大学校在学中の話である。
「皇太子殿下も気をゆるせるほどの身元の確かさを持ち、詠唱魔法使用者。使いやすくはあったのだろうが」
引佐は、国軍の中でも数少ない、イスカの出自を一から正しく把握している人物である。
「だいぶ疲弊していたよ。だまし合いと腹の探り合い、裏をかいて陥れて、裏切って放置。イスカはやろうと思えば完璧にやるだろうが、向いていない。わかるだろう鹿嶋」
鹿嶋は無言でうなずく。そのころは、鹿嶋もイスカに直接会っていない期間が長かった。
「国益のため、国のためといって、すでにネールランド紛争で十分すり切れていたあいつが、なにがきっかけか、もういちど軍で一からやっていく気概だというんで、俺のところでひきとった。皇太子殿下からの頼まれごとでもあったが。そこで俺は最初あいつに、騎兵大隊で騎獣にするための鷲獅子の捕獲だけを半年くらいさせていた。鷲獅子は耀鋸山にしかいないから、あっちに拠点を移させてな」
鷲獅子の捕獲は地味でやりたがる者が少ないが、重要な任務である。なにしろ騎獣になるまで鷲獅子を慣らすのに時間がかかるし、捕獲の絶対数も多くは確保できない。騎兵大隊に勤務しながら、騎獣の充足待ちで、ただの歩兵として所属している兵も多数いるのだ。
「うまくやるんだよ。イスカは。うまく慣らして、まるで自分からついてくるみたいに、大人しくさせて連れてくる。その半年で、騎兵大隊の騎獣の充足率が跳ね上がったくらいだ」
そう語る引佐の顔は、明るかった。
「俺はあのころ、イスカは人間が嫌いなんじゃないかと案じていたが、半年でだいぶ顔つきが良くなったから、部隊に戻した」
彼女が人を十把一絡げにして嫌うなんてことがあるだろうか。鹿嶋には思いもしないことだ。
「イスカなら、動物の機微からなにかを読み取るということも、あるかもしれない」
機微。と言われて、鹿嶋は自分がもっとも間近で対峙した、斉京を襲った龍のことを思い出してた。
あれは目の前でその瞳を見るまでは、確かにただの獣と感じていたが、鹿嶋に首を斬らせんと頭を差し出したその時は、理性の在処を信じられた。あれは一体、なんだったのか。
「耀鋸山の上空には、よく龍が渡って来ていたらしい」
引佐の声で、目先のことに引き戻される。
「半年の捕獲任務が後半になるころは、あいつも元気になってきて、定例の報告でよく話してくれたよ。今日も空を龍が渡っていきましたってな」
引佐は立ち上がる。話は終わったらしい。
「山岳行動訓練の現地調査は、明日からか」
「ええ。すでに予察は完了しています。仲月見少佐のもどりがいつになるかわかりませんが、お伝えした通り、私は少佐が訓練に参加される予定で行動します」
「それでよろしい。万事よろしく頼んだ」




