国外に出ず、諜報活動をする方法 2824年
利南学校。
日高見国国軍の将校や下士官に、他国の言語を習得させるための学校の、通称である。正式名称は、国軍情報学校言語教育部。
佐治鹿嶋は国軍大学校を卒業後、幹部候補生学校を経て隊付任務終了後、近衛に配属される。
現在の階級は少尉。
まだ仲月見イスカ大尉のそばにつくために、着実に歩んでいる。
鹿嶋は二カ月前から利南学校へ半年間の期限をもって入校中であるが、どうも勉強に身が入っていない。
勉学はもともと好きではない。国軍大学校入校時は、完全に勢いと夢に浮かされていた。
ここでは一度に四か国語を学び、最終試験で合格点を取らなければ落第となる。その後の出世や配属に大きく影響することはまちがいない。
「佐治、どうにも覇気がないな」
机に突っ伏している鹿嶋の横をすり抜けるとき、そう言ってつつくのは、同期の水窪耕哉。
「お前、近衛に戻る気はあるんだろう?」
「あるよ」
鹿嶋の近衛配属に当たって、仲月見イスカの個人的配慮がどれほどあったのかわからない。なかったのではないかと、鹿嶋個人は思っている。
特定の個人をことさらよく扱うことは、不正とは言わないまでも公平とはされない。合理的に説明のつかない配慮を、イスカが個人的感情を介入させて看過するとは思えない。
しかしそれはあくまで鹿嶋個人の見解である。
国軍大学校在学中から、イスカは手紙で鹿嶋に近況を知らせて来たり、外向けの学校行事に顔を出した。
中にはどうあっても鹿嶋の得ている立場を邪推するものもいる。
「佐治よ、お前がそうしてだらしがないと仲月見大尉の品格まで疑われるのだぞ」
水窪の苦言は続く。彼は国軍大学校を首席で卒業し、イスカとも面識がある。
「そうは言ってもな」
イスカは現在日高見国国軍が抱える唯一の詠唱魔法使用者として、任される仕事の重さや待遇は、大尉という階級に見合わない。
詠唱魔法使用者である事実は秘匿扱いだが、女性として初めての近衛師団の団員でもあり、彼女自身の注目度は高い。
個人の伝手や相性で、自分のそばに置くものを選ぶ将校は当然いる。しかし、イスカと鹿嶋の関係は、周囲に常に不穏な憶測を呼んだ。
「仲月見大尉のそばにあって、誰も文句が言えないような人間になろうという気概がないのか、貴様は」
水窪にそう言われると頭が痛い。だが、そもそもイスカは鹿嶋の想い人の実姉である。
「善処する」
それだけ答えて、鹿嶋は教場をあとにする。
「あったことより、なかったことを証明するのがなにより困難」とはイスカがよく言う言葉だが、その通りだ。
幸い鹿嶋と関わりのあるものは、実際の彼を見て考えをあらためてくれることがほとんどだ。
水窪もはじめはもっと攻撃的だった。だが、周囲の人間の言うことがただの噂とわかってからは、「軍人として、仲月見イスカを支える人間とはなにか」というものを鹿嶋に突き付けてくる。
——語学は嫌いなんだよ。
話せなくてもいいのに、という気持ちがにじみ出て、どうしても勉強に身が入らない。
専用の通訳や、資料の翻訳者が軍には用意されている。そこまで自分が必死に語学を習得する要を感じない。
あまりに嫌すぎて、その通りのことをイスカに手紙に書いて送ってしまった。半年もこんなところで座学に潰されるより、鹿嶋は早く近衛での勤めになれて、イスカの力になりたかった。
利南学校が収容されている国軍情報学校は、語学以外にも情報教育に必要な地形図の見方や地誌、情報資料の収集の手法を学ぶ部署などが置かれている。
外柵は高く内部が見えないように配慮されており、広い中庭がある。
敷地のはずれには渡り廊下で結ばれた大講義室がある。外部から講師を招いた集団講義が行われる場所だ。
いまいち没頭できない勉強のことに頭を悩ませながら、中庭の回廊を歩いていると、数カ月ぶりに見る懐かしい人の姿に、鹿嶋は思わず声をあげる。
「イスカさん!」
榛色が透ける翠の瞳が、こちらを見る。
駆け寄った鹿嶋にイスカは、
「やあ、佐治少尉」
と階級で呼びかける。鹿嶋は思わず名で呼んでしまったことを恥じて、あわてて言い直す。
「大尉、本日はどうしたのです。情報学校に御用が?」
イスカは近衛に配属される前、一年ほど軍役の空白期間がある。鹿嶋が国軍大学校在学中のことである。その期間、国外で諜報活動を主にしていたらしい。
それは鹿嶋の推測でしかないが、いつかは本人にきいてみたいと思う。だからイスカが情報学校に姿を見せることは、鹿嶋にとって意外ではない。
「特別に講義をしてもらえないかと校長に頼まれてね。休暇をこちらで過ごしがてら、一日だけ受け持つことにした」
「あなたが講義を?」
「ああ、明日ここでする予定なのでよろしく」
イスカは背後にある大講義室を示す。
「そうだ、佐治中尉。明日の夜は一緒に食事でもどうだろう。勉強も大変だろうから息抜きに」
「はい、ぜひ」
二人は笑顔で別れた。
仲月見大尉が特別講義を行うという話は、その日のうちに学生の間に広まった。前々から打診はしていたが、急遽本人から承諾があり決定したらしい。
大講義室は教壇の前に平場の机が数列あり、徐々に座席が階段状になる。
普段は階段状座席の上の方ばかり埋まっていく講義室は、この日は平場の座席がすでに満席に近かった。
イスカはこの国では珍しい女性の軍人であり、近衛にあって初めての女性である。その人格や功績と無縁のところで、名が広まりがちな仲月見大尉を一目見ようと、人が集まっていた。
参加資格は情報学校に在籍している者なら制限はない。鹿嶋は平場席の一つ空いていた端に大急ぎで座る。
ざわつきがちだった講義室は、イスカの入場で静けさを取り戻す。彼女は訓練や実際の戦場で身に着ける戦闘服ではなく、近衛の制服を完璧に着こなして登檀した。
初めにイスカは、自分の階級と所属を明らかにする。誰もが自分のことを知っていて当然という考えは、彼女のなかにはない。
「私は今日、情報を扱う将校としての現実を見せにここに来た」
彼女は講義室に響き渡るよく通る声で、話し始める。
「諸君は、軍における情報の取り扱いや分析について、どのような想像をしているだろうか。たとえば、活動写真や冒険小説に登場するような秘密の諜報員が、危険を冒して機密情報を集めるようなものか?」
言いながらイスカは、数々の資料を大黒板に貼り付けていく。
「戦場ではまさに敵陣地近くまで侵入し、将校斥候で直接に敵情を見る必要もある。だが、情報とは集めるのはもちろん、その分析にこそ、最も注意を要するものだ」
すべての資料を貼り終えると、イスカは再び正面を見据える。
「たとえば、私は現在『宿題』として、国軍大臣より、アルモリカにおける新型軍艦の建造計画の有無を調査する任務をたまわった」
この『宿題』の内容はだいぶ簡略化され、最も重要な事項については省かれているだろう。イスカの講義は続いていく。
諸君はこのような指令を受け取った場合、どうするのが最善と考える? 直接にアルモリカ本国へ乗り込み、諜報活動を行わなければ情報は得られないか?
答えは否だ。私はこの宿題に関しては、可能な限り国内で情報を集め、精査し、そのうえで必要であれば現地に赴こうと思っている。
ではまず、何をしなければいけないか。
その前に、情報には軍事や国政の判断に使用できる「情報」と、分析にかけられ情報となる以前の「情報資料」が存在することを断っておく。
将校の任務とは、軍事・外交・経済・地政学を総合して判断を下すことであり、その判断の根拠となるのが「情報」である。そして「情報」は、適切な「情報資料」を収集・精査し、構造化した上で初めて成立する。
諸君にはまず、この「情報」と「情報資料」の違いを明確に意識してもらいたい。私がこれから述べる収集作業で集めたものは、すべて「情報資料」に該当するものだ。
私は最初にアルモリカの製鉄業について知りたいと考えたが、アルモリカは自国内の製鉄量を公表していない。国益に関わる重要な情報であると認識しているからだ。
だがそれがわからなくても、製鉄量を予想することはできる。
まずアルモリカの製鉄能力を把握するため、かの国の以下の情報資料を五年分収集した。
1.国内の鉄鉱石産出量(鉱山局統計)
2.主要製鉄所の排水量(環境監査記録)
3.鉄鋼業界の出荷統計(通商省白書)
まず、主要製鉄所の排水量についてだが、諸君も知っての通り、製鉄には、そのあらゆる工程で多量の水を必要とする。
一トンの鉄を作るのに必要な水の量をアルモリカの製鉄所の予想生産能力から算出し、それにより排水量からおおよその製鉄量を割り出す。
さらに冷却水の再利用率や冷却方式を考慮に入れ、補正係数や過去のデータとの照合で誤差を補正すれば、その精度はより高まる。
その時点で、アルモリカの製鉄量は、国内で産出する鉄鉱石から精製できる鉄の量をはるかに上回っていることが判明した。それも四年前の時点から排水量は大幅に増加の傾向がある。
そのため私は、のちに参照する資料として、ここでアルモリカの鉄鉱石の輸入量と、そのルートについての資料を追加で求める。
一方で、アルモリカはその予想製鉄量に対し、鉄鋼業の出荷量は横ばいで、特段増加の傾向が見られない。公的に出荷される以外の方法で、鉄がなにかに消費されているということだ。
正規の販路で世に出る前に、鉄を徴収できるのは国であり、軍だ。この時点で、軍艦の建造のためであるかは定かではないが、アルモリカが国策で鉄を必要としていることはわかる。
次に、その鉄が軍艦製造に使用されているのか、確かめなければならない。
アルモリカで軍艦を建造できる技術と規模を持つ軍需関連企業は、二社しかない。その二社の製造拠点のうち、巨大な軍艦を格納できるドックを持つ造船所となれば、さらに数は絞られる。
よって対象となる造船所ドッグの、以下の資料を求める。
1.作業員の雇用推移・勤務時間表
2.固定資産台帳(機械・資材の更新履歴)
3.労災記録・安全管理報告(稼働率と連動)
どこかに作業員が急に増員された拠点や、作業時間が長大傾向にある拠点はないか。法定償却期間を多く残しているのに、酷使され、入れ替えを余儀なくされた機械はないか。
またこのほかにも、特定の機械や部材の仕入れ先の変化や、特殊鋼の調達動向も、軍艦製造の兆候と見ることができる。
疑問に思う拠点があれば、現地に行って確かめる必要も出てくるだろう。
そしてもしも、実際に軍艦の製造が確認されたならば、まだやることはある。
ここで、先ほど追加で入手したアルモリカの鉄鉱石の輸入量とルートについての資料を使う。
アルモリカに鉄鉱石を輸出している国はどこか。それらの国は、アルモリカが鉄を求める理由を把握しているのか? かの国の国策に協力的であるのか? もしそうではないなら、わが国がより好条件の輸入条件を示せば、そのルートを奪えるか。
輸出国との交渉余地を探り、鉄鉱石の供給と合わせて、政治的に制限できる可能性を精査。交渉戦術の立案を開始するべきだ。
ただいま私が示した「情報資料」は、ほとんどが万民に公開されており、特段危険を冒さずに入手できるものばかりだ。
この中で唯一私が現地の諜報員を頼って取り寄せた資料は、造船所の作業員の勤務表のみ。高度機密とは見なされない情報であり、現地諜報員のリスクは最小限だ。
初めから軍艦建造の可能性のある造船所に諜報員を派遣すればよいという者もいるかもしれないが、当然そこで実際に軍艦が作られていた場合は、警備は厳重だろう。
現地の諜報員の身を無闇に危険にさらし、仮に彼らが捕えられれば、国益を損なう恐れもある。
諸君には情報活動とそれにかかわる人員の安全性は、厳に追及すべきであるという考えを是非共有してほしい。
そして最も重要なことは、「情報資料」の分析の段階である。情報活動において最も重要なのは『情報資料の精査と分析』である。
私がいま収集した資料は、すべてアルモリカの言語で記されたものだ。
将校本人が言語につたなくても、訳者による翻訳を待てば良いと考えるかもしれないが、情報の分析が一刻の猶予もない状況では、どうするのか。
また訳者を間に置くのであれば、作為的であれ、無意識であれ、そこには訳者の思惑が介在する余地がある。悪意をもって資料を改ざんせんとするものがそこにいた場合、どうなるであろうか。
将校が言語を学ぶのは、『訳された情報』ではなく、『自分の目で見た事実』に基づいて判断するためだ。
誤訳・悪意・思い込み——情報活動には多くの誤解の罠がある。だからこそ、分析官自身が資料に当たり、異常値や矛盾を拾い上げなければならない。
それが『情報』を作り上げるということだ。
各方面から入手した多くの資料を分析して、『情報』の域に達したもののみが、判断の材料になりうる。
諸君は正確に『情報資料』を分析し、正しく『情報』へと昇華させていくことができるであろうか。
言語を学ぶ部門を持つこの学校が、情報学校と呼称されるその意味を、諸君にはいま一度よくお考えいただきたい。
鹿嶋は総身が震えるようにイスカの話に聞き入った。イスカはいま、鹿嶋があきらめて捨てようとしていたものの価値を、身をもって伝えようとしている。
それからイスカは、手に入れた情報資料の信ぴょう性の確認方法や、その情報が誰からもたらされたものか考慮する必要性について説く。
情報の分析とは、ばらばらに散ったパズルのピースを一つずつ狂いなく正しい場所にあてはめ、欠けている場所については可能なかぎり論理的な手法で類推し、答えを導き出すという、難題に直面する作業であると締めくくる。
「駆け足になったが、以上で私の講義は終わる。なにか質問があれば受けよう」
水窪が即座に挙手した。鹿嶋はそれをただ見ているしかできない。
「水窪少尉殿、なにかあるか」
イスカは水窪の名を知っていた。水窪本人もその事実に動揺し、あわてながら急いで立ち上がる。
「大尉殿が賜ったという、陸軍大臣からの宿題に、答えはすでに出ているのですか」
ここにいる誰もがききたかったことだ。みながイスカの答えを待った。
「いや、『情報資料』はまだ分析の段階にある。それに先ほど述べたように、分析の結果によっては現地に行く必要があるかもしれないから」
答えはまだ先だね。そう言ってイスカは講義中の厳しい様子とは変わって、柔らかい笑顔で告げる。
水窪は「ありがとうございました!」と直立の姿勢で礼を述べ、緊張の面持ちでもとの位置に腰かけた。
イスカは学生たちの敬礼で見送られ、講義室をあとにする。
鹿嶋はすぐに飛び出して、そのあとを追う。イスカさんと呼びかけようとして、思いなおす。
「仲月見大尉!」
佐治少尉、とイスカも鹿嶋を呼んだ。
「今夜、私はやはり行けません。やはり……あの、勉強します」
「……うん、そうだね。それがいい」
イスカは鹿嶋に甘いよ。
かつて稲積がそう言った。その甘さに頼ってはいけない。それはいつかイスカを苦しめることになる。イスカは自分の甘さが鹿嶋を堕落させたと知れば、遠ざける。鹿嶋がもっとも望まない結果を生むことになる。
「……ありがとうございました。ほんとうに……」
それ以上言う事がなくて、鹿嶋はきびすを返して講義室に戻ろうとした。
「鹿嶋!」
懐かしい呼び名がして、振り返る。
「がんばれ。待っているよ」
「はい……!」
手を振るイスカを見送って、鹿嶋はまぶしそうに眼を細める。中庭をめぐる回廊を通って、イスカは遠ざかっていく。
それから鹿嶋は人が変わったように勉強した。
すでに半年のうち二カ月が過ぎてしまっている。取り戻すためには、周囲の倍以上の努力が必要だった。たとえ努力が足りず、再びイスカのそばに戻れなくても、彼女が示した教えに従いたい。
「……お前、やっぱり手ェ抜いてやがったな」
鹿嶋はその後、卒業試験で四か国語中、三言語で高得点を出して合格。抜け殻のようになった。
今期の利南学校入校者の試験の平均点は総じて高く、歴代でもっとも落第者が少なかった。イスカの講義をさかいに心を入れ替えたものは、鹿嶋だけではなかったようだ。
「手は抜いてない。追い込んだだけだ。……疲れた。でも、水窪のおかげもあって目が覚めたよ。ありがとう」
水窪はぎょっとしたような顔をしている。
「水窪、明日からは俺たちも原隊復帰だろ。飯でも食いに行かない?」
「絶対いやだが」
「断るの早くないか。少しは悩めよ」
「悩まない。お前はそのうち大失敗をしていなくなる」
「なんだよそれ。予言? 怖いな」
「へらへらすんな! クソが!」
俺は本当に感謝しているんだけどなと思いながら、鹿嶋は怒る水窪の背中を見ていた。
数か月後、仲月見イスカは少佐に昇進。同時に近衛師団第二連隊鷲獅子騎兵大隊大隊長に就任した。それから遅れてさらに数か月後に、中尉となった鹿嶋は今度こそ副官としてイスカのそばに戻る。
水窪はそれから長く鹿嶋にとって良い友人だったが、水窪本人はかなり先まで、佐治鹿嶋をただの知り合いと言いつづけた。




