五 花の手紙と少女たち
ユリアナは、ひとり暮らしの小さな家の前に座って、手紙が届くのを待っていた。蒼海国に留学中の彼女は、今年で十七歳になる。
やがて自転車が坂をくだる気配がして、翠色の目をした郵便配達員が彼女の家にやってくる。
彼女は配達員を見送って、すぐに手紙の封を切る。友人花也子が書いた、短い手紙を読むために。
「イスカ、お前はふたりの手紙をそれぞれ調べて、互いの父親のことを聞き出せ」
相庭とベイエフェルト、ふたりの子どもたちが手紙でやり取りしていると聞いた志水は、イスカに命じた。彼女からは返事がない。
「代筆だ。筆跡をまねて。できるだろ」
「……わかりました」
——そんな顔すんなよ。
イスカの顔には、少女たちのひみつを暴かねばならない苦痛が見えた。それ以外の手紙なら、機械的にあらためていたであろうに。
手紙は西方諸国でもっとも普及しているアルモリカの言語で書かれていた。
『花也子さま
以前あなたにいただいたしおりのお花と同じものを庭に植えたとお話しましたね。
あれから三年もたって、ずいぶん株が増えました。あなたもお庭に来て、一緒に見られたらいいのに。』
『ユリアナさま
お花が咲いて、私もとてもうれしく思います。
ユリアナさまがおひとりでこの国にいらしてから、そんなに経ったのですね。
私も、ユリアナさまのところに行きたい。この家はいまとても暗いの。みんなびくびくしている。
お父さまは怖い方だけど、家のなかでこんなにも張りつめていることって、今までなかった。』
『花也子さま
ヘルマタイは安全な国とは言えなかったので、私は留学を理由にひとりで暮らせるようになったけど、あなたはそういうことできるのかしら。
自由になって、こわいことも近くで見なくなって、ここでの暮らしはとてもいいです。でもときどき、ひとりでどうしても寂しくなることがあります。
そんなとき、花也子さんがそばにいてくれたらいいなと思うの。』
「このふたり、会ったことがあるようですよ」
何度目かのやりとりのあと、イスカが志水に報告する。
「相庭とベイエフェルトは確かにつながりがあるが、直接の面識はないと思っていた。違うのか」
手紙のやりとりの期間も相当に長いとみられる。ふたりの年齢を考えれば、少なくとも初めての対面のときには、彼女らの父親の同席があったはずだ。
ベイエフェルトと直接やりとりしているのは、ヘルマタイの現地企業の人間のみと考えられていた。だが二者のつながりは、もっと深いのかもしれない。
イスカはユリアナから花也子への返信に、「家の中がはりつめている」という状況について詳しく聞く文章を書き足して、丁寧に封を戻した。
ユリアナから送られる手紙は、いつも同じ東方諸国の女の名前が差出人になっている。ユリアナ自身の名で手紙を送ることは叶わないのだろう。
お互いどの手紙もとても短かった。分厚い手紙は相庭邸で見とがめられるし、花也子にはじっくり手紙を書く時間がない。花也子は、家の者から隠れて書いているのだろうか。ときどき字も乱れていた。
『ユリアナさま
いろいろと、見たこともない人たちがたくさん出入りをするようになっているのです。
みんな怒ったような顔をしていて、落ち着きません。
学校の行きかえりも、早く帰ってくるようにという言いつけから、送り迎え付きに変わりました。
なにかが起こりそうだとわかっているのに、なにもできずにいます。苦しい。
はやくここから遠くに行きたい。』
『花也子さま
私のお父さまもそうでした。私のことが大事だと言いながら、いざというときには真っ先に私のことをいないもののようにあつかう。
私が見たり聞いたりしたことが、なにひとつ私の中に残っていないと思い込んでいるようでした。
長いお休みに入ったら行こうと言っていた牧場に行く日を、早めましょうか。』
「イスカ」
手紙を広げて、ペンを持ったままぴくりとも動かないイスカに、志水の声が呼びかける。
「このふたりは、父親たちのする、あやゆる悪意の成れの果てをすべて見ていたのに、それを黙殺されていたのですね」
大人たちは、どうせ子どもだからわからないと、彼女たちのなかに何が残っているか確かめもしない。
「その痛みを、このふたりは分かち合っている」
一方で志水は感傷に流されず、冷静で、なおかつ冷徹だった。
「どちらかが相手を騙そうとしているおそれは」
「ないとは思いますが」
「場数を踏めば、女の方が騙しに関しちゃ上だろ」
「人によります。志水さんはしょっちゅう騙されてそうですね」
「うるせェ」
「無駄に情が深いから」
「無駄は余計だろうが」
「私なんかの面倒を見る羽目になっているのが良い証拠です。情が深いと早死にしますから気を付けてくださいね。私の友人も、それで死んだようなものです」
イスカがネールランド紛争で失った国軍大学校時代の友人は、行かなくてもいい戦争にイスカを追って従軍し、死んだという。
「戦争なんだ。お人よしだろうが悪人だろうが、死ぬときゃ死ぬさ」
「彼は死ぬ必要なかった」
気を付けてくださいね、とイスカはもう一度言った。
「……わかった。気を付ける」
あまりにも真に迫ったその眼差しに射抜かれて、志水はそう答えるよりほかなかった。
「本当の名も知らずに死なれるのはさみしい」
「なに?」
「どうせ志水も緒方も、本名ではないのでしょう」
志水は少し考えた。そしてここで言っても、支障はないという結論に達した。
「……清鷹は本名だよ」
見上げたイスカの翠のひとみは、いつになく丸かった。
「じゃあ、清鷹さんと呼んだ方がいい?」
「絶対にやめろ。なめてんのか」
それから数日して、事態は動いた。
「ベイエフェルト将軍が蒼海国に来ることになりました」
「直接か」
「はい。ユリアナが花也子に知らせてきました。そちらはどうですか」
志水は主に電話等の秘聴で、相庭邸から情報を得ていた。
「相庭は……末端の密売人を何人か整理しようとしているらしい」
「路上で売りさばくような奴らですか」
「そうだ」
「大口の客にしぼるつもり?」
「そうかもしれないが……あるいは……」
「もうひとつ、相庭は南部の農場地帯の土地を売る準備を始めたようです。契約書については郵便でのやりとりはさすがにしていませんが、覚書を見つけました」
「それは……」
「今、緒方さんが薬物の製造拠点があると予想して探っている場所ですね」
志水はしばらく考えていた。
「一週間ほど前に、ヘルマタイでベイエフェルトが直接指揮している傭兵団が違法行為で摘発された。こんなこと初めてだ。ほかにも数団体の傭兵隊が金鉱山での営業を停止されそうだが、これは偶然ではないのかもな」
「それを受けて、相庭に接触をはかっている?」
志水はうなずく。それから思い付き程度のぼんやりさでつぶやいた。
「……相庭のほうが……ベイエフェルト将軍を切ろうとしているのかもなあ」
「その可能性は高いです。金鉱山の採掘と異なり、違法薬物の製造と密売はあきらかな犯罪行為ですから、アルモリカと裏でつながっていても蒼海では無力です。日高見国も現に追ってきている。何かの間違いで失脚する恐れは常に付きまといます。相庭は娘を、犯罪とは無縁な蒼海国の良家に嫁がせたがっている。金の採掘があまりに順調で、業種替えを検討しているのでは」
「薬物からは足を洗いたいと」
「その場合、邪魔になるのはベイエフェルトです」
「ベイエフェルトにはそのまま金採掘時の護衛業を続けてもらえばいいだろう」
「でも、たった一度の摘発で即座に相庭に接触をはかるほど、将軍は必死です。相庭とベイエフェルトのあいだには、共有する秘密や過去があるのかも」
「考えられるとすれば……ベイエフェルトは軍需企業に支払われるはずの傭兵あっせんの報酬を……アルモリカに渡す前にピンハネしていた」
「それを私も疑っています」
「薬から手を引いて、金採掘一本でやっていくために、相庭の野郎、ベイエフェルトをアルモリカ本国へ売ったのかもな。それで自分は、金採掘方面でアルモリカとのつながりを強くできる」
「お互い弱みを握っている人間はいないほうがいいですからね。これを機会に排除しようとしたのかも。現地の傭兵団の元締めなんて、他でいくらでも代用がききます。ベイエフェルトに固執する理由がアルモリカにはない」
「蒼海にベイエフェルトが直接乗り込んでくるんだろう?」
「はい。花也子からの最後の手紙には、相庭が人と、武器まで集めているとありました。屋敷はいつにも増してピリついていると」
「ユリアナはそれになんて返した」
「なにも。それきり返事は受け取っていません」
「撤退だな。この件からは一度手を引く。製造拠点と思われる土地の行く末だけは確認する。別の薬物密売組織に売られたらかなわん。ヘルマタイの傭兵業からアルモリカへの資金流入も、ベイエフェルトが挿げ替えられるなら一度仕切り直しになる。どう転がろうと、相庭経由での東方諸国への薬の流入はいったん止むだろう。交渉がいいほうに転ばなくて、二者間で抗争となるかもしれん」
周囲をかぎまわっているせいで、巻き込まれるのはごめんだ、と志水は即座に拠点ごと場所を移す準備に取り掛かる。
現地諜報員は、情報を取るだけでなく「危機が高まる前に消える」判断こそが最重要な任務である。
「お前ももうこれ以上この件には関わるな」
いいなと志水は念押しした。




