表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ある魔法使いの副官―運命に選ばれなかったものたち―  作者: はやぶさ8823
第2章 ある魔法使いの副官 鹿嶋追憶 2820年
6/93

一 隠された妹 2820年

 

 大公紀歴二千八百二十年


「イスカはどこだ」


 今日、何度目か、寝台の上で皇帝陛下がお尋ねになる。


 日高見国(ひたかみのくに)今上(きんじょう)の陛下は、若いころの遊興がたたり、近ごろ()せる時間が長くなっている。特定の病を得て療養しているというより、単に不摂生と不養生が何十年も続いた結果、肉体の寿命を早めたのだと、その息子の皇太子は思っている。


「ここにはおりません」


 すぐそばに侍っていた皇太子が抑揚のない声で答える。


「呼べ」


 有無を言わさぬ要求である。


「呼んでも参りません」


 その返答に、何事か返そうとして身を起こした陛下は、激しくせき込み、周囲の者に促され、また寝台に沈む。


「イスカには、扶桑国(ふそうこく)へ行ってもらわねばなりません」


 それだけ言うと、皇太子は(きびす)を返し、皇帝陛下の寝所を後にする。


 日高見国(ひたかみのくに)が属する東方諸国。


 その南部の国、扶桑国へは、数十年前より群島諸国からの移民が渡ってきていた。移民街も各地で発達し、群島諸国からの交易で扶桑国は発達した。群島諸国からの民もよくなじんでいた。


 それが数カ月前、移民解放軍と名乗る軍が突然蜂起した。 


 解放軍は扶桑国(ふそうこく)に国土の割譲を要求し、独立を宣言して、東方諸国大陸を北上する動きを見せ始めた。すでに扶桑国(ふそうこく)が単独でこの蜂起を食い止めることは不可能。そのため、東方諸国最大の国、日高見国(ひたかみのくに)に物資・資金面ともに支援の要請があった。


 日高見国(ひたかみのくに)にとっても、このまま扶桑国が飲まれて、日高見国(ひたかみのくに)扶桑国(ふそうこく)の間にある小国まで(ほふ)られたら、直接国土が戦場になりかねない状況である。助力は避けられない。



 皇太子は、呼び出したきり待たせたままだった人物を探して、皇居公文書館へ向かう。


 公文書館には、古い魔法の研究書や論文、そして日高見国(ひたかみのくに)の歴史書が収蔵されている。皇太子は国の歴史研究を専門としているから、もっぱら歴史書や古文書にしか触れることはない。


 何百年も前に書かれた詠唱魔法の研究書など、現代においてはほとんどの人間にとって、歴史研究的価値しか残らない書物である。


 書かれている内容は、起こりえないという点で、おとぎ話や絵空事と大差ない。それらに実用書としての意義を見出す人物はいない。ただ一人、皇太子の腹違いの妹、仲月見(なかつきみ)イスカを除いて。


「イスカ」


 彼女は薄暗い公文書館の中で、天井に近い高さの本を取り、脚立の上でそのまま読んでいた。皇太子自身は触れたこともない、詠唱魔法の専門書だ。


「兄上」


 この隠し子ならぬ、隠し妹ともいうべきものは、皇居の中で二人きりの時にしか、皇太子である自分をその言い方で呼ばない。そして今は、その条件に合致している。


 呼びかけに答えて、脚立を一段ずつ降りず、一足で床に降り立つ。そのようなふるまいも、彼女の格好からは、さしておかしい印象ではない。のり(・・)を付けられてアイロンがあてられたシャツに、長めの短髪。長めとはいっても、女ではありえない長さである。


「わたしは詠唱魔法が使えます」


 そう彼女が告白してきたのは、イスカ十二歳の時のことだった。

 魔法が使える者のなかでも、詠唱魔法の使用可能者は年々減少してきている。


「兄上のお役に立てれば」とはにかむ彼女の言葉に嘘はなかったはずだ。ほかの誰にも伝えないでと頼まれたのに、自分は迷わず周囲に吹聴した。それ以来、腫物(はれもの)のような存在だった皇帝陛下の庶子は、使える駒に格上げされた。


 もはや近代化と機械化がすすんだ世界では、軍事の主戦力は、個人の才覚に寄らない平準化を求めている。


 特に能力に優れた魔法使いの働きが、大きく戦局を左右する時代は終わってしまった。


 ある一定以上の威力のある他対象攻撃魔法は、使うのも習得するのも無駄という時代になってしまった。

 

 しかしここにきて日高見国(ひたかみのくに)は、いまいちど詠唱魔法によって武力闘争を解決しようとしている。目の前の、仲月見(なかつきみ)イスカを利用して。


 皇太子は妹の秘密を周囲に明かすことで、イスカではなく、自分自身が役に立つ人間だと思われたかった。そしてそれと引き換えに、イスカからの信頼を完全に失う。


 今も彼女が「兄上」と呼ぶその硬質の声色には、怨気がこもっているような気がする。


「先日の話だが……」


扶桑国(ふそうこく)へ行けという話ですね。行きます」


 イスカは持って降りてきた本を、すぐ横の卓の上に置き、迷わずに答えた。


「特に戦場にとどまることになる。世話をするものや、お前の事情を知るものをつけよう。もちろん女の……」


「必要ありません。男として参りますので、気遣いは無用。わたし、この格好けっこう気に入っています」


「……そうだろうな」


 イスカの生家である仲月見(なかつきみ)公爵家で絶え間なく行われていた実母からの壮絶な虐待は、イスカ十歳のころ、彼女自身の意思で男装をはじめて以来、止んだと聞いている。


 いまは完全に存在を黙殺する形に変わったらしい。


 皇居の公文書館への出入りが許されているのは、仲月見(なかつきみ)家の子息であるからだが、素性を詳しく知らない下級女官あたりからは、イスカは麗しの年若い貴公子だと思われている。


「戦争にはどのみち行かねばなりません。避ける方法はない。考える猶予をくださったのは、あなたの情けだ。ちがいますか」


 皇太子は答えない。そうだったような気もするが、断わられても行ってもらうしかないことは確かだった。


「行きます。その代わり、条件があります。ああ。そうだその前に。兄上、生きて戦場から戻ったら、私はそのまま軍に残ります」


「正気か?」


「もともとそのために国軍大学校へ入りました。いろいろやりたいことがあるので」


 確かにイスカは高等学校を飛び級で免除され、今春に三年制の国軍大学校を卒業。今は半年間の士官候補生学校入校中だった。そこを引き上げさせ、呼び戻したのだ。


「兄上、あなた戦いなんてお嫌いでしょう。私を皇太子の名代にしてください。あなたの代わりに私が軍務について差し上げます」


 皇太子は目の前の妹を見つめ、しばらく考える。並みの暮らしをしていれば、戦場に行くことも、軍人になることもなかったであろう令嬢の姿を。



 この異母妹が、不祥(ふしょう)の庶子と呼ばれる所以(ゆえん)は、その生まれのおぞましさにある。


 イスカの母は仲月見(なかつきみ)公爵家の一人娘であった。家格で言えば、皇帝の妃のひとりとなってもおかしくはなかったが、ひとり娘(ゆえ)、婿を取り家を守ることになった。家格は劣るが、幼少の頃より知己(ちき)であった伯爵家の次男と結婚。幸せに暮らすはずだった。

 

 ところが、何年も前からイスカの母を側室にと望んでいた皇帝陛下は、あろうことか公爵家の屋敷から彼女をかどわかし、皇居に一年のあいだ幽閉した。


 一年後、解放された仲月見公爵夫人の腕に抱かれていたのが、イスカだった。夫人は愛せるはずのない子と家に帰され、仲月見公爵は自分の子ではないが、決して殺すことも捨てることもかなわぬ子を育てることになった。


 皇太子の母である皇后陛下は、その生まれと、仲月見(なかつきみ)家でのイスカの扱いに心を痛め、大変同情的であった。学校にも行かされていなかったイスカを皇宮に通わせ、教育を施すよう手配した。


 皇家にも皇帝陛下にも恨みがあり、皇太子である自分のこともよくは思っていないイスカが、日高見国(ひたかみのくに)の危機に協力的なのは、立場上イスカを嫌って排してもおかしくなった皇后陛下の、に報いるためであろうと思う。


 イスカがある日、「仲月見(なかつきみ)の家に姫はひとりでよいのです」と言って、それきり女の格好をするのをやめてしまったことを、皇太子は今も覚えている。


 そして、その選択は正しかったとも思っている。イスカは、彼女の母である仲月見公爵夫人の若かりしころに、あまりに似すぎている。皇帝陛下が狂おしいほど欲した美しさを受け継いでしまった。違うのはひとみの色くらいのものだった。榛色(はしばみいろ)の透ける翠のひとみだった。

 

 皇太子はこのまま父帝の命(つい)えるまで、イスカを御前に立たせず逃がすつもりでいる。信頼を取り戻すためではない。それが兄の役目と思うからである。



鷲獅子(しゅうしし)にも、乗ってみたいと思っています」


 軍務につくことについて、イスカはさらにそう言い添えた。


鷲獅子(しゅうしし)か。近衛になるのが目的か。条件というのはそれだろうか?」


 皇太子の問いかけに、イスカは「いいえ」と答える。


「妹君のことです」


「妹?」


「皇太子殿下にはもうひとり妹御がいたはずだが、お忘れか」


 今日一番の怒気を含んだ翠の瞳が、皇太子をにらみつける。



 イスカと鹿嶋が、北の海に龍を逃がした日から、さかのぼること七年。

 仲月見イスカ、十九歳になる年の、春のことであった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ