六 その儚さ
秋口の気持ちの良い穏やかな天気の休みの日。
寮の外に出られる休日に、残っている学生は少なかった。大抵、僕とイスカは帰宅しても歓迎される保証がないから、不健康にも居残り組になることが多かった。そんな日に、イスカはよく未来の話をした。
「稲積が言っていたことを先生に伝えてみたら、先生の同期に、似たような考え方で今も軍人をやっている人がいるらしいよ」
「へえ」
「いま、近衛にいるらしい」
「近衛と言えば、鷲獅子騎兵だね」
「そればかりではないけどね。鷲獅子は飼って慣らすのにも時間がかかるから、騎兵全員分の騎獣が満たされたことはないらしいよ」
「イスカは近衛になるの」
「卒業時の希望兵科には、出してみようと思う」
近衛師団は人気職種だった。皇家直属の兵となると格も高いし、配属が必ず皇都になるから地方に赴任しなくてもいい。
「特に希望がないなら、柏も一緒に行こうよ」
兵科は成績の良いものから希望通りに埋めていくとも言われるが、各都市の方面隊の人員の充足数にも左右される。成績が良くても、最初は第四希望くらいの部隊に配属されることもあるらしい。
かくいう僕は、落第や赤点は取らないものの、とびぬけて良くできる項目がないので、近衛を希望しても通る気が全然しない。
「……僕は無理かな」
「じゃあ、どこに希望を出す?」
具体的にどこということはない。
「僕は本当は、魔法の研究者になりたかったんだ」
「魔法の? 何を研究するの」
「何を、と言えるほど道が定まっているわけじゃない……けど、魔法を使える人間は世界中で生まれているけれど、やはり割合で言うと、東方諸国の人間に生まれやすいみたいじゃないか」
「そう言われているね」
「でも、西側諸国の様な生活形態や、文化を取り入れだしてから、この国でも魔法を使える人間の数は顕著に減りだした。下の世代ほど、魔法から遠のき始めている。それって、魔法が日高見国ほど一般的ではない西方諸国の暮らし方を取り入れだしたから、魔法を使わなければいけない機会が減ったことも原因だと思うんだ」
僕はイスカの前でだけ、こんなことを饒舌に話す。
「イスカ、蓄音機って知っている?」
「うん」
「僕の家にもひとつあった。でもある日それが壊れて、僕はお母さまに見てほしいと頼まれたけど、そもそも蓄音機の仕組みを知らなかったから、直し方はおろか、なぜ壊れたのかもわからなかった」
高価なものだから直したかったらしいが、だったら専門の業者を呼ぶ方がいい。中身を知らないからお手上げだった。
「理論や仕組みを知らずに使っているものって、壊れたら直せない。みんながいつのまにか魔法を使えなくなったとき、なんで使えなくなったかわからなかったら、その時点で魔法は終わりだよ。きっと復活はしない」
「柏はそれがいやなのか」
「嫌というか……そこに確かにあったはずのものが、なかったみたいにみんなに忘れられるのが寂しいんだよ」
せめて魔法と言うものがこの世にあったことだけでも残してやりたい。そう思うのだ。
「イスカは魔法を使うとき、どういう風に使うの」
「どう……って急に言われると難しいかもしれない」
それから彼女は、自分の両方の手の平を、そこに文字でも書いてあるかのように真剣に眺めていた。なんとなく訊いた問いに、まじめに向き合ってくれる。
「私は、魔法とは自分の中の魔力の源泉との対話だと思っている」
「私」と「あなた」の対話である、とイスカは言う。
「魔法は、人と神秘の間、その瀬戸際に潜む奇跡を手繰り寄せるようなものだ。私はいつも自分のなかの魔力の源泉に問いかけて、今どの程度の奇跡を手元に呼べるか確かめている」
「初めて聞く感覚だよ。魔力の源泉って」
「きっと誰にでもあるものだと思う。魔法が使えるかどうかはその源泉を知覚しているか、もしくは無自覚でもそこから魔力をひっぱって来れるかにかかっているんじゃないか」
イスカが手をあてて探ろうとする胸のあたりを、自分の体でもふれてみるが、僕のなかにそれがあるとは、とうてい思えなかった。
三人でいる思い出は、寮の部屋の中のことが多かった。だから大きな学校行事というより、日々の小さな会話とか、部屋でただそれぞれ過ごしていただけの時間をよく覚えている。
時々、卒業式前日や、創立祭の後夜祭など、消灯時間がずれ込んでも厳しく罰せられない日があった。そんな日もイスカは早々に寝てしまうから、僕と稲積は全然オチも結論も生産性もない会話を延々と何時間もしていた。
そんな夜は灯りを消したまま話をしていて、調子に乗った学生の誰かが打ち上げた花火が破裂して光って落ちていくのを見ていた。
そういうある夜に、稲積が急にイスカのことが好きだと言いだした。僕は直感で、僕の好きと彼の好きの意味が異なることを感じたけど、イスカが女だと稲積には伝えなかった。
僕は三人で、ずっと友達でいたかったんだと思う。
何か破滅的な感じがすると僕は言った。
遠回しにやめておけと伝えたかった。
でも稲積は、男とか女とかじゃなく「仲月見イスカ」だから好きだと言う。そう言われて、僕は何も言えなくなった。稲積とイスカがどうにかなっても、二人とも僕と友達ではいてくれるだろうか。そして稲積のこの心は、イスカを傷つけはしないか。そういうことを気にしていた。
僕は軍人には向いていない。今もそう思っている。でも三人でいるのは楽しくて、僕ももうこの学校を卒業する覚悟を決めていた。
イスカも稲積も、僕よりはるかに優秀だった。同じ道をたどっても、とても二人のようにはなれないだろう。それでもよかった。そう思っていたけど、僕は入学後一年で、国軍大学校を離れることになる。
訓練中に大きなけがをした。日常暮らしていくことに問題はないけれど、もう軍人としてはやっていけない。すでに学校を卒業して勤めていれば、内勤に移るという手もあるらしいが、まだ学生の身分ではそれも厳しい。僕は学校を離れなければいけなくなった。
学校を離れる日、二人は駅まで見送りに来てくれた。まだ一年目で、ロッカー一つに入りきる量の荷物しかないから、身軽だ。
「柏はこれからどうする」
稲積はまた背が伸びていて、立ったままずいぶん高いところから僕に話しかけた。
「とりあえず家には戻るけど、すぐにまた、なにか始めないといけないと思う」
働かなくてはいけなくなるだろう。新しい学校に入ることは難しいかもしれない。
「やりたいことがあったんじゃないのか」
イスカは僕が座る待合のベンチに並んで座っている。
イスカ、僕は花室の家でわりと不自由なく暮らさせてもらっていたんだよ。じっとイスカの目を見ていると、思い出すことがある。
僕が生まれて、少し離れて二人の弟が相次いで生まれた。弟たちのことはかわいかった。生まれた時の、その姿を知っているからだろう。彼らが大きくなってくると、みんなが本人たちの前で、弟たちの赤ん坊のころの写真を見ながら、小さなころの思い出を語る。
僕は写真は残っているけど、誰かが語ってくれる、幼い日の自分の思い出なんてなかった。
明確な差別とか区別じゃない。ただみんな僕がそこにいることに気づかなかっただけなんだ。僕はその日、自分が「気づかれない」存在なのだと知ってしまった。一度わかってしまえば目につくことはたくさんあった。
僕だけは、学用品の不足を自分から申告しないと新しいものが用意されなかった。僕だけが、服も靴も、小さくなったことを訴える必要があった。僕の成長に自然に両親が気付くことはない。
季節が代わるときも、僕だけは厚い肌掛けも外套も、夏の蚊帳も、自分で引っ張り出すか、家の使用人に頼んで出してもらう必要があった。明日は寒くなるからと、「お母さま」が気にかけて先回りして用意してくださることはなかった。
弟たちと遊んでいるとき、勉強しているとき、ふと顔を上げても、両親と目が合うことはなかった。彼らは僕を見ていないから。同じような環境で育てられ、兄弟間で与えられるもので直接差別はされず、むしろ長男だったから、僕が一番いい条件で育ててもらっていたかもしれない。
だけど、親として当然の愛情がいきわたる場所で、僕は気づかれない。
僕がちびた鉛筆を使っているのを知って、生みの「お母さん」は内緒で僕を連れ出して、二本だけ鉛筆を買ってくれた。言えばもっといいものを用意してもらえるけど、僕がその鉛筆ばかりを使った。
寒さがしんと堪える朝に、枕元に手袋を置いてくれたのは「お母さん」だった。
小さくならない限り新しいものが用意されない僕の靴を、新品のように磨いてくれるのは「お母さん」だった。
誰も応援に来ない運動会、おつかいのついでに学校の外柵の向こうから僕を見ていてくれたのは、「お母さん」だった。
僕が遊んでいるとき、どんなに遠くにいても「お母さん」を見つけるとき、僕たちの目は合ってた。
僕を生んでくれた「お母さん」が、気づいてくれた。
やりたいことならあるんだよ。イスカ。
「僕はまた、別の学校に入りなおしてそれで魔法の研究者になる。夢だった」
「うん」
「それで、ひとり立ちしたらその時は自分の産みの親と……お母さんと暮らすよ」
「うん」
「イスカ。稲積。ありがとう。君たちのこと忘れない。君たちの立場も、僕の立場もこれからずっと変わり続けるが、僕だけは最後までふたりの友達であると約束する」
友達は、ただ生きているだけで縁が続いていく家族とは違う。双方に続けていく意思がなければ簡単に途切れてしまうものだ。そのはかなさが、僕は不安だ。いつかみんなが僕を忘れても、僕だけは死ぬその日まで友達だよ。




