四 嘘と沈黙
日高見国の香久宮紀恭皇太子殿下。
仲月見イスカと殿下の関係は浅くない。
イスカが若くして近衛師団鷲獅子騎兵大隊の大隊長を務めているのは、皇太子殿下の取り立てによるものだ。
イスカを鷲獅子騎兵大隊の大隊長にすえて後、皇太子自身は近衛師団の師団長に就任した。
皇太子自身が軍務に直接就くことはほとんどない。
危険な戦場や軍務に、皇族の代わりにおもむき、その責務を果たすのは専らイスカだった。その浅からぬ縁をたよって、何か困りごとがあると彼女は皇太子に呼び出され、使われる。
東宮御所は、西文化政策における洋風建築の代表作だ。西側の国々の宮殿を手本に、国賓の迎賓館も兼ねている。
前庭を抜け、白煉瓦造りの建物の迎賓区画をぬけ、居住区に入る。そのさらに奥の中庭。完全に私的な空間の東屋に、呼び出したご本人は待っていた。
「召喚に従い、参内いたしました」
先頭に立つイスカの顔は、鹿嶋からは見えない。この二人のこうした私的な会合に、たいてい鹿嶋は金邑眞夏上等兵と共に同行するが、居心地はよくない。
「このたびは、どのようなご用件で」
席につくなり、イスカが切り出す。皇太子は、あらゆる前置きをはぶいて、いきなり本題に突入した。
「紗蓉子のことなのだが……」
自分から呼び出しておきながら、皇太子殿下は視線を逸らす。
稚日宮紗蓉子皇女殿下。紀恭皇太子殿下の妹君にあたり、仲月見イスカはこの皇女殿下ともかかわりがある。
「紗蓉子さまのことで呼び出しですか? それならば、大歓迎だったのに」
「いったい何だと思って来たのだ。おまえは」
「てっきりまた、なにかめんどう事を任されるものかと」
「めんどう事と言えば、まあ、その通りではある」
皇太子殿下は、かくしもせずに大きなため息をつく。イスカは紗蓉子殿下が抱える問題について、自分から話し出す。
「紗蓉子殿下はもう二年近く、成人の儀を見送っておられます。そのことについてのご相談ですか? なにか理由があり、儀式を見送っておられるなら、わたしはその憂慮を除く手助けをしたい」
「そのような理由があるとは、聞いていないが……」
そう前置きしたうえで、皇太子はおそるおそる答える。
「降嫁先の選定について悩みがある様子と、そばに付くものから報告されたことはある」
「降嫁先……ですか」
「そうだ」
「紗蓉子は、皇女宮の外にこそ出られぬが、皇籍を持つものとして、わりと仕事はおもしろくしているようでね」
日高見国の皇女は特殊である。
誕生ののち、その名を国民に知らせた後は、公務も行わず、公の国事にもほとんど姿を現さない。
宮家に女子が生まれた場合も同様である。
その状況でも、紗蓉子殿下は名代を立てたり、名義を貸すなどして、国内の母子院の整備や、親を亡くした子の扶助制度の拡充など、福祉分野の充実に尽力してきた功績がある。
降嫁して皇統から籍を抜くということは、そうしたかかわりも断たれるおそれがある。
「成人の儀を終えたら、すぐに降嫁し、皇宮を出る必要があるわけでもないでしょう」
イスカの疑問ももっともだが、皇太子には別方面の心配もある。
「そもそも降嫁先がないのでは、という不安もある」
日高見国の皇統は、男子の出生率の高い一族である。皇統を継続していく上では、非常に有利な血筋である。いっぽうで、当代では宮家も含め、生粋の皇女は、紗蓉子殿下ただお一人という状況である。
つまりは皇女の降嫁という状況自体が、非常に発生しづらい。
「どこか宮家にお年の近い王子がいらっしゃるのでは」
「あったが、みな打診があると察知すると、早々に婚約するか、妻をめとってしまった」
避けられているのだ、と皇太子はやり切れぬという口調でぼやく。
「まったく、わが国の歴代の皇女のあつかいは低すぎますよ。宮家も、いつ自分たちの家系に女子が生まれるかわからないのに」
「ただの宮家出身ならここまでこじれなかったと思うが、皇帝陛下の嫡子であるから、あつかいが難しいと思われている」
「いっそのこと鹿嶋などどうです」
あらぬ方向から着弾して、鹿嶋は思わず高級な薄い陶器の器を取り落としそうになる。
「大丈夫か」
「失礼しました。やぶから棒すぎて」
一応は案じてもらうが、それでイスカは止まらない。
「鹿嶋なら間違いありません。侯爵家の出ですし、信用できる男です」
「なるほど。鹿嶋、大尉に昇進する意思はあるかい」
一応は内々の決まりとして、皇女の降嫁先として、軍属であるなら大尉以上という決まりがある、らしい。
「鹿嶋さん、話がまとまりかけてますよ」
眞夏の声は弾んでいる。
「笑い事ではない」
「唐突に鹿嶋さんに嫁が来そうで俺は笑ってますが」
「こんな場で話はまとまらん。少佐。皇太子殿下も、お話の途中ですが」
恐れ多いとは思いながら、鹿嶋は二人の会話に割って入る。
「わたしは大尉になる気はあります」
「あるのか」
「あります」
イスカが思ったより意外そうな顔をする。自分で言いだしておいて、それはないと思うが。
「ですが降嫁先の選定など、皇女殿下の一生にかかわることです。そのような大事なお話を、ご本人不在のまま推し進めるのはあまりに短慮です。それこそ殿下の立場をないがしろにするものです。成人の儀の見送りについても同様です」
鹿嶋はなるべく感情が乗らないように気を付けて発言した。正論であるから、目の前の二人には効くはずだ。
「紗蓉子殿下ご本人に、きちんとおたずねください」
「そうか。確かに。それに鹿嶋の考えもきちんと確認していなかった」
イスカの口調は静かになっていた。幾分落ち着いてくれたらしい。
「わたしの考えについてはお答えしかねますが、少なくとも会ったことのない男に、この場の勢いだけで嫁がされるなど、殿下があまりに不憫です」
紗蓉子殿下についての話し合いは、なんの結論も得ないまま終わった。
近衛師団庁舎にもどる途中、いままでとは調子の異なるイスカの声がかかる。
「鹿嶋。内密だが、紗蓉子殿下はほんの数カ月だが、皇修館にお通いだった時期がある」
皇修館とは、日高見国で爵位を持つ家庭の子女が教育を受ける学校である。鹿嶋は卒業することは叶わなかったが、そこで学んでいた時期がある。
「初耳です」
「本当に秘密だったからな。その時期、鹿嶋も同窓だったのではないか」
「その時期というのがいつかはわかりませんが、下手をすると中等部と高等部で、学舎すら一致していませんよ」
学年が離れておりますから。と、鹿嶋はつとめて素っ気なく答える。「そうか。それもそうだ」とイスカが答え、その会話は終わった。
イスカは卓の上にばらまいていた輝石を皮袋にしまい始めた。
黄色の輝石を手に取って、念入りに光にかざす。
「輝石はお決まりになりましたか」
「ああ、黄玉。きれいだ。明日、あの子にあげよう」
秀麗な少佐殿は晴れやかな顔で茶を飲み干す。
「さてそれでは」
一度大きく伸びをして、イスカは気持ちを切り替えるように、天井を見上げる。
「明日からまた、きりきりと働かねば」
鹿嶋は「はい」と返事をして少佐の執務室を辞し、人気のなくなった暗い庁舎の廊下を戻っている。
また嘘をついてしまった。しかしそれもすべて、ただ仲月見イスカ少佐のためであった。
鹿嶋は、イスカが紗蓉子殿下のことをどれほど大切に思っているか知っている。そのために、自分と皇女殿下との関係を、イスカに告げられずにいる。
紗蓉子皇女殿下は、仲月見イスカの異母妹である。つまりイスカは今上の帝の庶子という立場にあるが、皇宮の外で、この事実はひろく知られていない。
そして佐治鹿嶋という男は、仲月見イスカと出会うもっと前から、紗蓉子皇女殿下を知っている。
知っているどころか、鹿嶋はかつて、紗蓉子殿下がこの国の皇女の立場にあると知りながら、彼女を連れて、遠く誰の手にも届かないところへ逃げようとした。
皇女を連れて逃亡など、捕まれば死罪は避けられない大罪である。その罪の重さも知りながら、当時少年だった鹿嶋は、迷わずその道を進もうとした。
それだけが、紗蓉子を救う、唯一の方法であると信じていたから。