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ある魔法使いの副官―運命に選ばれなかったものたち―  作者: はやぶさ8823
第3章 ある魔法使いの副官 鹿嶋躍動 2820年
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十五 帰る場所があるなら

 ひざの間に置いた鉄帽を、人差し指でコツコツと叩かれて、鹿嶋(かしま)は目を覚ました。


 最近特に攻撃の命令が短い間隔で続き、疲れがたまっていた。いよいよ明洗が(めいせん)が近づき、司令部は焦っているのか進軍を急いでいる。陸上戦艦(ランドシップ)部隊の上陸が近いのかもしれない。


 鹿嶋を起こしたのは、若い細身の兵だった。顔つきからして、鹿嶋より少しばかり年上だろうか。


佐治(さじ)二等兵?」


 訊かれて鹿嶋は開かない目をこすり、「はい」と答える。


「お呼びなんですよ」


と言われて、連れ出される。寝ていた身で言うのも申し訳ないのだが、いつ攻撃命令が来るかわからないために、鹿嶋はあまり遠くには行きたくない。

 

 イスカを守るという約束を果たさなければいけない。


 稲積(いなつみ)はあの後すぐに前線から下がり、療養に入った。本国の病院に入ると言う話もあったが、それは本人が固辞して野戦病院どまりとなった。

 

 イスカは相当安心したと思う。これで少なくとも、稲積がここ数日のあいだに死ぬという道はなくなった。鹿嶋はその日から彼との約束を守り、攻撃時もそうでないときも、なるべくイスカのそばにいて彼女を守っている。そのつもりで立っている。


 

 若い兵に連れられて行った場所は、まだ家として形が残っている民家だった。裏から入って勝手口に近づいていく。


「あの、これは」


 若い兵は振りかえり、にっと笑う。


「いろいろいいものが手に入ったら、先生がどうしても佐治殿を探して呼べと言うもので」


 先生などと呼ばれるものに知り合いなどいただろうか。炊事場に続く引き戸が開けられ、そこに立つ人物を見て、鹿嶋は「ああ」と思った。


辰野(たつの)少尉殿」


「やあ、佐治殿。久しぶり」


 軍医の辰野だった。先生であることに間違いはないが、通常階級で呼ぶことが多い軍内で、やはりこの呼び方は珍しい。


「どなたのお呼びかと思いました」


「私は予備役で、普段は病院に勤めたり、大学で教えたりもしているから。彼はその時の教え子なんだよ。物好きにも大学を休んで従軍している」


 辰野は鹿嶋をよびにやった兵をしめして説明する。そのとき彼がかかげる薬缶(やかん)からは、白い湯気が立っていて、それがどうしようもなくいい匂いでかぐわしい。


「今日はこれをぜひ君にあげたくて」


「これは?」


「お茶だよ。先日、捕虜となったアルモリカの将校と話す機会があって、いい茶葉をもらったんだ」


「これが茶なのですか。花みたいな香りがします」


 鹿嶋はゆがんだアルミの湯飲みに注がれた茶に酔いしれるように煙を吸い込み、口にも含んだ。


「おいしい」


「君にもぜひあげたいと思ってね」


「あの、これ」


「よく冷ましてぬるま湯程度にしていけば、水筒にも入れられる」


 鹿嶋が何を言おうとしたのかわかって、辰野は先回りする。


「ありがとうございます」


 鹿嶋はさっそく水筒を用意しだす。


「水に当たった人は、結局よくならなくて野戦病院にいます」


「そうか。それで君はいろいろがんばっているわけか」


 辰野の言葉に、鹿嶋はふいっと顔をあげる。


「後ろにいても、いろいろそういう話は聞こえるものだから」


「私の隊を束ねているのは、仲月見イスカ曹長です。野戦に下がっている人から、くれぐれも頼むと言われているので。多少の無理は承知の上です。その人に比べたら、自分は頼りないから」


 鹿嶋は稲積(いなつみが)いなくなってから、食らいつくようにイスカの後を追った。守るためには、その人よりもっと強くなければいけないのに、鹿嶋にはその力が足りなかった。だから少しでも近くにいようとしていた。


「ほかにも珍しいものをいろいろともらった。見ないか」


 辰野は土間の式台に腰かけ、ずだ袋に入っている中身を上がり框の上にざっとあけた。


 お菓子や、あまり見ない色に塗ってある鉛筆など、珍しいものが多くある。鹿嶋は数ある細々したものの中から、赤い小さな箱を手に取る。まだ開けられていない。


「それはたばこだが」


 辰野が少々険しい顔をする。


「私は吸いませんが、今日隊に戻る予定の人が好きです。新しいのを持ってきているかもしれないけど」


 もらっても? と辰野に尋ね、了解をもらって鹿嶋はそれを戦闘服にねじこむ。それからもう一つ、これは袋に書かれている絵を見てすぐにわかった。キャラメルだ。それももらって鹿嶋は「……アルモリカの兵も、私たちと持ってくるものはあまり変わりがありませんね」と辰野にこぼす。


 水筒を琥珀色の水分で満たして、鹿嶋は民家を辞した。


「今日、その人がちょうど原隊に戻る日だから、いい土産ができました」


 ありがとうございますと頭を下げる鹿嶋に、辰野は「茶はすぐに悪くなるから、早めに。君も飲めよ」と手を振る。



 駆けて駆けて、駆けていく。若い鹿の躍動を誰にも止められないように、鹿嶋は戦場を飛ぶように駆けて、会いたかった人を迎えに行く。


 鹿嶋たちがいる第一次防衛陣地の後方、将校たちの詰め所の近くで座って待っていた。野戦病院や本土の病院から戻ってきて、原隊に復帰を報告する者たちがほかにもいる。

 目当ての人が詰所から出てきたのを見て、鹿嶋は跳ねるように座っていた地面から飛び出した。


稲積(いなつみ)!」


「よう」


 彼はほんの昨日、別れたばかりの人の顔をして、気楽に返事をする。


「なんか、顔色いいね」


「当たり前だ。あんな休ませてもらってよくなってなかったら大問題だ」


 辺りを見回そうとする稲積の先をついて鹿嶋は、


「イスカさんは元気だよ」と教えてやる。


「そうか」


 歩き出す稲積を見送る。


「来ないのか。鹿嶋」


「最初はふたりで会ってきなよ」


 稲積は拳で鹿嶋の肩をちょっと小突くと、また歩き出した。


 

 負傷や病気から復帰して戻る者たちの戦闘軍服は、みな冬服だった。もちろん稲積(いなつみ)もだ。


 もうそんなに経ったのかと鹿嶋(かしま)はやっと気づく。彼はまだ夏服のくたびれたのを着ている。季節は十一月になった。そろそろ後方の兵站(へいたん)部に交渉して、冬服を融通してもらわねばならない。


 鹿嶋は二等兵としてこの戦場に来た。


 初年兵は三度三度の食事時に飯盒(はんごう)で米を炊き、食事の用意をしなければならない。米はもうすっかりうまく炊けるようになった。


 そういえば人生で初めて炊いた米で作った握り飯は、芯が残って硬かった。それも紗蓉子(さよこ)はおいしいと言って食べてくれた。今なら、もっとうまいものを食べさせてやれるのに。


 今もちゃんと紗蓉子のことを思い出すことができている。いつかその時間が少しずつ遠ざかっていくことを恐れて、鹿嶋は左腕の傷をなぞってみる。


 日高見国(ひたかみのくに)本国は今日も平和であろうか。そうであってほしくて、鹿嶋はここでやっていく決意を固めた。


 もしもこの紛争が終わって国に帰ったら、なにが待っているのか。先のことを考える時間が近ごろ増えてきている。あまりいいことではないように思う。





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