十四 それでも側にいる
イスカから詠唱魔法のなんたるかを聞いたその日、鹿嶋はやはり天蓋にやってきた。今日は中まで潜り込んで稲積の横に寝転がる。
「なんだ今日はここで寝るのか」
「ちょっと、こわい話をイスカさんに聞いたから」
「おばけの話でもされたか」
「ちがう」
鹿嶋は稲積の脇腹を小突いた。
「稲積。詠唱魔法って、ぜんぜん……万能じゃないんだな」
「ああ……」
何を聞いたか察したらしく、稲積は鹿嶋と並んで、たわむ天蓋を見上げる。
「そうだよ。まったく万能じゃない。なのに国のえらい奴らは、あの人をまるで狂いのない兵器みたいに扱うんだ。イスカが上の言うことに従うのは、権力に媚びているからじゃない。この国を助けたいからだ。善意からだよ。そこに付け込まれて、あの人は食い破られていくんだ」
鹿嶋、と稲積は年下の友人を呼ぶ。
「実は日高見国には、いまでも詠唱魔法を使う可能性のある魔法使いが、一定数生まれている。でもみんなその力を国のために使わなくなった。なぜだかわかるか」
鹿嶋は無言で稲積を見つめた。わからないのはもちろんだったが、こうして稲積がイスカに関わることを語るとき、自分になにを受け取ってほしいのか、鹿嶋は真剣に考えている。
「俺たちの国には、西穏地の魔女というやつがいる」
魔女、と鹿嶋はそのことばの持つ不穏さを確認するように小さくつぶやいた。もっと小さいころ、昔話に出てきた名前のような気がする。
「何年生きているかもわからない、バケモンみたいな魔法使いだってウワサだ。そいつが、国家が詠唱魔法使用者を兵器としてあつかい始めてから、詠唱魔法をつかう可能性のある人間を、まだ小さいうちに親元から引きとって、弟子としてこっそり育てるようになった。だからここ数十年のあいだに、詠唱魔法使用者が国家に運用される例は極端に減った」
「じゃあ、イスカさんは? その西穏地の魔女は、イスカさんをむかえに来なかったのか?」
稲積も、その理由を知らないのかもしれない。遠くを見ていた。その横顔は、少しおさまった炎のようだった。たしかに燃えているのに、激しくはなく、しずかに何かを焼いている。
「血筋かな」
炎のなかから、あぶられた何かをつかみだすように、稲積はこたえをだした。
「その血のために、イスカは逃げられなかった」
血、とは。彼の言う血とは、総身をいれかえてもまだ引き離せない、運命のようなものだろうか。
「稲積はさ、イスカさんのこと好きだよね」
「そうだな。鹿嶋流に言えば、そうだな」
鹿嶋流ってなんだよと思ったが、鹿嶋が紗蓉子を想うような気持で、と言う意味なら、鹿嶋自身が確かめたいことで間違いない。
夜の片隅で、砲弾の穴だらけの戦場でも、秋の虫は鳴けるほどはびこっている。静けさの中で、稲積は語り始めた。
鹿嶋には一番初めに、イスカさんの秘密を教えようか。
心配するな。鹿嶋に言ったって、イスカさんは怒りはしない。
イスカさんは、女だ。
それはあの人にとっては、大した秘密じゃあないんだよ。小さなころから、身を守るためにもそうしておくしかなかったのさ。
俺はさ、別にどっちでもよかったんだよ。男でも女でもなくて、俺は「仲月見イスカ」に惚れてるんだ。
でも、初めて自分が女だと打ち明けてくれた夜、稲積のことを信じているからと言ってくれた。それがうれしくて、それを聞いて、もう我慢しなくていいんだと思って……俺は。
彼女の下腹に強く手を当てて、迫った。
——あんたのこの薄い腹の向こうに何があるか俺は知りたい。これはあんたが見下げるほどの劣情だよ。イスカは俺を拒んで遠ざけ、軽蔑するか。
イスカは、
——しないよ。私も稲積が好きだから。
と言ってくれた。その言葉に、おそらく喜色を浮かべていた自分を恥じている。イスカは続けて言った。
——だけど、もう二度と君と友達に戻れないなら、やはり私は女に生まれてくるべきではなかった。
この世で唯一信じてすべてを打ち明けた友人から向けられたのが、男女の情だった。イスカは、くやしかったと思う。
しかも、この関係を受け入れられないなら、友人をやめて遠ざかると言っているのと一緒だった。人の命の琴線を、頭からかじっていくような横暴さだ。
イスカは生家の仲月見家に、生涯婚姻せず子も成さないという誓いを立てさせられている。彼女は自分のことをおぞましい生まれ方をしたと言う。俺も詳しいことは知らないが、イスカはこの誓いを、死ぬまで守るつもりでいる。
男でも女でも変わらない。たとえイスカが俺を受け入れても、俺たちの関係は形のあるものに変えられない。行きつく先には何も残らない。だからせめて、命をかけて愛さなければいけないと思った。
鹿嶋。イスカは、自分が鼻持ちならない理想と正論をたれ流す、いけすかないクソな野郎だって誰よりも良くわかっている。前にも言っただろう。わかっていて、それを死ぬまで貫くつもりでいる。
イスカは自分の持っている能力、課せられた使命、寄せられる期待、すべてと真っこうから見合って戦い続けるつもりだ。逃げる気がない。
連れて逃げてくれと言われれば、いつでもそうするつもりだったが、そんな素振りを見せてくれたこともない。俺はそれが何より悲しい。悲しいんだ。鹿嶋。
イスカをひとりにしたくない。
いずれ彼女が魔法で焼き払う戦場で、人死にを一人も出さないのは無理だ。イスカはたくさん人を殺す。前回の陸上戦艦部隊掃討の比じゃないくらい、たくさん殺す。
軍命はそれを下したものが責任を取るべきと決められているのに、イスカはきっと奪った命の重みを負っちまう。俺はそのとき共犯になって、その重さを少しでも減らしたい。
このままじゃイスカは、世界も人間も、ぜんぶ嫌いになっちまう。
あいつが堕ちてきたとき、両手を広げて受け止めてやるのが俺の役目だ。
はなれたくない。死ぬまで側にいたい。
すり減らしている。
この男もまた、すり減らしている。たった一つしかない命を、先がないかもしれないとわかっていながら、けずり取って炎にくべて燃やしている。
「稲積。一度ここから下がって休むんだ。ちゃんと体を治してくれ。稲積はここで死んじゃだめだ。そうだろう」
鹿嶋はこみ上げる涙を飲み込んで、強く言った。
「たとえ稲積がここから姿を消しても、イスカさんのことは俺が最後まで守る。約束だよ。約束する」
鹿嶋は力強く、稲積の願いに応えた。少年の自分が彼から見て、どれほど頼りないか痛いほど知りながら、誰かを愛する同じ人間として、精一杯そう言うべきだと思ったからだ。




