六 遺されるものたち
イスカの小隊は、鹿嶋が来た頃に比べると多少人が増えていた。それでもまだ鹿嶋が一番年少で、何かと世話を焼いてくれるものはイスカと稲積以外にも多い。
山住伍長はこの戦争が始まったころから参加していて、軍歴はそれよりさらに長いという古兵だった。子はないが、兄弟が多く本人が長男であり、甥姪がたくさんいる。鹿嶋のことはその子らと重ねて放っておけないらしい。
ある時の攻撃命令で、鹿嶋は伍長の班に配属された。伍長は鹿嶋を呼び寄せて肩を抱いて言い聞かせる。
「途中、特火点がいくつかって、機関銃が配備されていることはわかっているが、火砲が沈黙させるし、弾幕弾もある。怖がらず、走り抜けろよ」
鹿嶋は戦場に来て、一カ月が経とうとしている。もうそんなことを怖がる段階ではないのだが、伍長は言わずにはいられないらしい。
突撃が開始され、鹿嶋は最後尾につく。途中、弾幕の中に光る銃口の破裂を見て、鹿嶋はとっさに地に伏せる。頭と体のあった場所を機関銃掃射がかすめていく。
特火点が、味方火砲の攻撃準備射撃を免れて残っていた。機関銃をすえた火力塹壕は普通より深く、開口部も小さく敵に見つかりにくい。砲撃を免れることもある。鹿嶋より前の友軍は、うまくすり抜けただろうか。
弾幕の中にめちゃくちゃに撃ち込んでいるようで、鹿嶋がどこにいるのかわかってはいない。掃射の方向が少しずれたところで、鹿嶋は立ち上がり、走った。運が悪ければ、すぐにでもこちらに銃口が向きかねなかったが、迷う暇はない。
鹿嶋は走りながら柄付手りゅう弾を放り投げ、すぐにその場に伏せる。さく裂し、土が飛び散る。効果のほどはわからないが、少なくとも特火点は沈黙した。
まともにやりあう必要はない。鹿嶋は中を検めて戦果を確認せず、銃座が沈黙している間にその横をすり抜けて伍長の班を追う。
霧と煙幕が混じる白い視界の中、ところどころに友軍の倒れたのを見つける。特火点の機関銃は四方に飛んでいて、鹿嶋より先行していた班を襲っていた。
鹿嶋は息がもうないのを確認したものから、次々素早く認識票と御守石をはぎ取っていく。
御守石は、もともとその用途で持っているものではないが、認識票と合わせて遺族に届ければ、せめてもの慰めになる。なにかあれば、必ず持ち帰ってやってほしい。日ごろから鹿嶋にそう言い聞かせてきたのは、山住伍長である。
途中に張りめぐらされた鉄条網は、工兵が切断した箇所に赤い印をのこして行く。鹿嶋はそのすき間に体をねじこませ、はいつくばって、また走った。
やがて見えてきた幅のある塹壕のなかに、鹿嶋は飛び込む。
「山住伍長」
すぐ足元に、下半身を血濡れに染めた伍長がいた。被弾場所どこだ。早めに処置が必要かもしれない。
「鹿嶋か」
意外にも、しっかりした声で応じた。
闇の中に光るものを感じて鹿嶋が顔を動かすと、塹壕の奥の細穴から狙っている銃口が見えた。鹿嶋は迷わずそれを撃ち抜くと、すぐさま穴に飛び込んで、まだ息があるものを銃底でなぐりつけ、弾があたって倒れたものを見下ろした。
のどに流れこむ血をとめようとして、失敗してのけぞって首元をさらしていた。
とどめをさすべきか迷ったが、ほんの数秒のあいだに静かにひとみが暗がりを増していって、すうっと溶けるように光が消えていく。
死んだ者たちを見降ろすと、歳は自分と変わらないように見える。
躊躇なく相手を殺して心に悶着が生じない。兄・尚隆の言葉である。
——本当にそうなのですか、兄上。
イスカが言う「敵国本土の無辜の民」に、戦争にさえ来なければ死んだこの兵たちも入っていただろうと思うと、それだけは惜しい気がする。
イスカのおかげのような気がした。ただ一個の人間として、彼らを見ることができている。イスカの心と言葉に仮託して、鹿嶋は自分の心を守っている。
「伍長」
鹿嶋は山住の元へ戻ると、止血帯を取り出し、大腿部付け根を緊縛する。これでいいのだろうか。まき上げが足りなく動脈まで縛れていなければ、さらに出血の恐れがある。大丈夫だという山住の言葉を信じて、鹿嶋は肩をかして塹壕から彼を引き出す。
銃声は遠く来たほうからしていて、弾幕も晴れはじめている。味方主力部隊が投入されたらしい。
「鹿嶋、ここまで……」
「全部ひろってきました。持っています。大丈夫」
鹿嶋は答える。山住が何を案じているのかわかっていた。
「鹿嶋、俺の石もやろうか」
「いりませんよ。ちゃんと自分で持って帰ってください」
「俺のは黒曜石だ。混じりけのない黒。いいやつだよ」
「だからいりませんって」
山住は、ははっと笑っていた。
「鹿嶋、もうみんなの姿が見えているよ。よく連れてきてくれた。ありがとう」
ありがとう、ありがとうと、山住は何度も言った。妙にたくさんしゃべるから、鹿嶋は伍長が元気なのだと安心した。
やがてイスカたちと合流し、鹿嶋は稲積に山住を引き渡す。そのときに、稲積はよくやったと鹿嶋の背中を音がなるほど叩いた。
山住はすぐに後方の野戦病院に送られることになって、隊を離れる。鹿嶋は彼を見送ることができなくて、拾った認識票と御守石はイスカに預けた。
心に悶着が生じないと言っても、結局命を奪うより救う方が心が穏やかなのは確かだ。兄もこの戦場のどこかで、そういう日を見ていればいいと思う。鹿嶋はその日、特に疲れてよく眠った。
山住伍長は、翌朝に野戦病院で死んだ。もうみんな、もちろん伍長本人もそうなることをわかっていて、最後鹿嶋に会わせないようにしていたと、後から知った。




