五 制空と倫理のはざま
ある日の戦場の朝、鹿嶋ははるか上空を滑る、日高見国国軍の飛行船を見た。
泰然と、地を這う人のことも知らぬように悠然と進む姿は、龍にも通じる。
「稲積、あれ」
鹿嶋の声に、隣の稲積も空を見上げる。
「ああ。海に行くんだ。アルモリカの船の出入りを見て、兵站の量や補充される兵力の規模を予測するのさ」
つまりは哨戒と情報収集だな、と言って稲積は外に出したたらいの夜露で顔を清める。
「イスカさんは、飛行船でもっと奥まで行くことはできなかったの?」
それができれば、地道に数条ずつ、敵兵が潜む塹壕に飛び込んで取り返す日々が終わるかもしれない。あれほど上を飛ぶ飛行船なら、機関銃の弾も届くまい。
「できないな。飛行船を自身の輸送に使うことをイスカが拒んだ」
なぜ、と問う前に、稲積の横にやってきて並んでしゃがんだイスカが答える。
「飛行船で前線に向かうなら、当然武装が必要だ。敵が待ち構えているかもしれないからね。飛行船は着陸に相当の人員が必要だから、敵地に駐留することは難しい。私だけを降ろして離脱するにしても、着陸予定地点を空爆して、安全を確保する必要がある。軍の上層部は、今回の戦場の空爆を前哨に、飛行船を航空戦略兵器として本格運用したがっていた」
「航空戦略兵器?」
季節は進み、朝晩は冷える日も増えいた。冷たい夜露に指先をさらし、イスカは続けた。
「日高見国の飛行船団は、すでに戦略兵器として機能する空爆能力を持っている。その運用を妨げているのは、空からの攻撃は空想科学小説の産物で、現実に戦略としては考えられないという思い込み。それと、民間人を巻きぞえにして都市を焼き払う心理的抵抗だ。だが後者は、一度でも空爆を成功すれば薄れる」
誰よりも結果をわかっていてこういう話をするとき、イスカの目は常に暗い。
「戦場だけの運用に制限しても、すぐに敵国本土を狙えという声が上がるだろう。艦隊を飛び越えて本土を焼けるなら、使わない手はない」
「それは……」
その理屈で行けば、いつかは日高見国にもその攻撃は返ってくるのではないか。鹿嶋は自分の不安を口にできない。自分が入れる領分なのかわからない。
稲積はそこで必ずやってくる未来について口にする。
「イスカが抵抗しても、どのみち世界は制空権を争うようになる」
「そうだろうな」
稲積は楽観的なことは言わなかった。ただの気休めがイスカに通用しないことを知っている。
「空まで戦場になれば、近代戦は近いうちに総力戦に傾く。非戦闘員という概念は揺らぐ。本土が戦場となるのが当然になるんだ」
「稲積、あんまり鹿嶋をおどかすなよ」
鹿嶋は、統制された兵器や軍隊より、かつて自身が遭遇した龍のことを思い出していた。空からの攻撃とは、それほど血の通わぬ、抵抗の意思を奪う代物だということだ。
イスカは鹿嶋を安心させるように、努めて柔らかい口調で補う。
「飛行船の照準精度は高くない。高空から投下すれば爆弾は飛散する。民間人の多い街中を避けるつもりでも、敵国の無辜の民の死を回避できない。私は、せめて今回の戦争ではそれは避けたい」
イスカは、敵国本土空爆を食い止める最後の良心であろうとしている。
「だから地道に地を這って、最前線まで行く羽目になってんですがね」
「いいじゃないか。他人が切り開いた戦場をただ歩くだけは性に合わない。それに、アルモリカは陸上戦艦だけでなく、高射砲に改良を加えて、高高度の飛行船を撃墜できる性能を持たせたという噂もある。下手すると、撃ち落とされたかもよ」
そりゃあ勘弁だなと、稲積はいつもの大きな声で笑う。
その言いぶりだと、イスカは稲積を当然自分が戦場に向かう飛行船に同乗させつるもりで、稲積も乗る気のようだ。そこまで来て、ようやく鹿嶋は少し笑えた。




