三 詠唱と鋼鉄
「佐治くん」
「鹿嶋でいいです。鹿嶋と呼んでください」
では、鹿嶋。と前置きし、イスカは地図を広げ、話始めた。
はじまりは、数十年前か、もしかするともっと前だったのかもしれない。
扶桑国は、東側諸国の交易玄関口として栄え、群島諸国からの移民も多く受け入れていた。
群島諸国は多文化に寛容で、扶桑でも最初よく馴染んでいたが、移民の急増とともに政府とたびたび衝突するようになった。
そして大公紀歴二千八百二十年初春、扶桑国内で、移民独立軍が蜂起した。独立軍は蜂起を宣言してすぐに、扶桑国の南端の港・明洗を奪取制圧し、北上を開始する。
北上する独立軍に対し、扶桑国軍は防戦に追われ、独立軍の勢いを止められずにいた。その結果、前線は膠着し、両軍は戦線を維持するため塹壕を築いた。
その段階で東側諸国は日高見国が正式に扶桑国を支援することを表明し、日高見国国軍が参戦。
独立軍側も、西側諸国最大国アルモリカが、群島諸国出身のアルモリカ系移民の蜂起を支持する姿勢をしめし、物資と人員の輸送を開始した。
「そして砲兵火力、人員密度、兵站。両軍どれも拮抗している。アルモリカ側は海上輸送の距離があるぶん、兵站は多少長くなるが――」
イスカは言葉を切って地図を指した。
鹿嶋は、そこに描かれた矢印が意味するものを理解し始めていた。
「……でも港が抑えられている限り、補給はむしろ優位なんですね」
「その通り。扶桑国最大の港湾が使い放題だから、あまり問題にしていない。この紛争は、アルモリカが東方諸国に直接軍隊を上陸させるための理由付けとして、十年単位で準備されていたものと見ていい。彼らは最初からやる気だ」
「輸送船を海上で抑えることはできないのですか。兵士も乗せているのなら、国家武力闘争法にも抵触しないはずです」
鹿嶋はアルモリカが使用する航路を示した地図を指さす。国家武力闘争法では、戦闘員ではない一般市民を乗船させた船籍への攻撃・拿捕を禁止しているが、兵士に関しては武器の一種とみなされていて、その限りではない。父本人からないがしろにされてはいるが、佐治侯爵は海上軍の将校であるので、鹿嶋にその周辺の知識はある。
「するどいね、鹿嶋」
イスカはさもうれしそうに答えるが、その返答内容はかんばしくない。
「アルモリカは公海の群島諸国周辺航路から物資を輸送している。そこをたたくなら、群島諸国領内の公海が戦場となる。自国領を海上決戦の場とすることを、群島諸国側が黙って見ているとは思えない。いま、日高見国側から海戦をしかけて、群島諸国の国々も敵に回すことはできない」
陸と海、二局面で総力戦となれば、日高見国といえど、国力が持たない、
「幸いどちらかというと、アルモリカ側より、日高見国・扶桑国連合軍の方が兵士の士気は高い」
イスカの指は、東方諸国の国々を順番になぞっていく。
「あちらは異国の地の独立運動に駆り出されている。心が乗っていない。対してわが軍は、実際に祖国が蹂躙されている者と、陸続きの国土が戦場になる危機感を抱いている者たちだ」
そこで、稲積の横やりが入る。
「ま、移民がそのまま独立を宣言して建国というのは、百年以上前に蒼海国が西側で一度やらかしているので、それを持ち出されると、わが国もつらいところがあるがね。なあイスカ?」
イスカは苦笑する。
蒼海国は百数十年前に日高見国の移民が建国した西方諸国の国である。
蒼海国も、もとは西方諸国本土から離れた小大陸から移住をはじめ、国力を付けたのち、西方諸国大陸本土に進出。領土戦争を繰り返して国土を広げてきた歴史がある。
「それを見越して、蒼海国は日高見国となんの主従関係も隷属関係もなし、われは真に独立した主権国家であるという宣言を早々に出している。降りかかる火の粉を恐れてのことだろうが、日高見側としても助かっている。それに、扶桑国と日高見国の中間にある国々も、物資の提供に関しては協力的だ。このまま戦局が長引けば、正式に軍に参加する未来もありうる」
兵力の増強が期待できるということだ。一見、状況は日高見国側に有利に動いているように見える。
「戦局は我に有利ということですか」
「ああ……だが」
鹿嶋の言葉に、イスカは答えをにごす。すこしだけ稲積の方を気にしながら、続けた。
「鹿嶋、実は我々は、ある特別な命令を下されて、一般兵とは多少異なった目的をもってこの戦場に来ている」
「イスカ、鹿嶋にそこまで話すか」
壁にもたれてくつろいで話を聞いていた稲積が身を起こす。
「そもそも鹿嶋はわたしのせいで戦場に駆り出されたようなものだ。彼には知る権利がある」
もうはじめから決めていたという顔である。イスカの小隊に入るということは、その秘密を了承することと同義なのかもしれない。
「鹿嶋、君は詠唱魔法というものを知っているか」
詠唱魔法とは、通常の魔法に、祝詞つまり呪文詠唱を付与することで、魔法の規模を数十倍に増大させる術のことである。
詠唱魔法使用者は、歴史をふりかえっても、民族的に東側諸国で発生しやすいという事実がある。
「名前だけなら聞いたことが。見たことはありません」
「そうだろうな。詠唱魔法使用者は、昔は戦場でも重宝されたが、今は個人にそこまでの戦力を持たせることは危険視される。軍人ならいざしらず、詠唱魔法が使えるというだけの人品もわからぬ人間を、いきなり軍規に従わせて運用しようというのが無理だったんだ」
遠回しな言い方をはじめたイスカの態度に焦れたのか、稲積はそこに割って入った。
「もったいぶるなよ。いいか鹿嶋、イスカはその詠唱魔法使いさ」
鹿嶋は今一度、美麗な青年を見返す。イスカの顔色には変化がない。
「ま、そういうことだ。いま現在、日高見国の政府がその存在を確認していて、なおかつ軍命勅命その他法律で縛って運用できる詠唱魔法使用者は、わたし一人。そして我々が受けている個別の命令というのは、敵兵力を可能な限り南側、つまり奪取された明洗港付近まで圧縮、そこで詠唱魔法を使用し、戦場をなぎ払うことだ」
アルモリカ軍が扶桑国の半分近くを手中にしている段階では、この作戦は執行できない。扶桑国の国土の多くを傷つけることになるし、講和に持ち込んでも、その時点で手にしている領土をアルモリカが手放すかはわからない。
「鹿嶋」
「はい」
名を呼ばれて、少年はおとなしく返事をする。
「実際に戦場に出て戦う軍人や徴兵される一般人と違って、現に国を動かす人間たちにとっては、武力闘争というものは湿っぽい感傷を伴わない業務上の一手段に過ぎない」
イスカは地図上の一点を見つめていた。その論調、きっと彼は好きではないのだろう。
「人員と金をほかの方法より食い、人死にが増えれば国民から糾弾を受けるという点で、多少決断と開始に手間を要するだけのものだ。今回は、東方諸国側は前触れもなく武力闘争を受けた側だから、代替手段を模索する間もなく、戦争に突入するしかなかったわけだが。いずれにしても、武力闘争を、相手を交渉・講和の席に着かせるための手段のひとつとするならば、そのための裏付けとなる武力を示さなければならない」
「それが、詠唱魔法なのですか」
「そういう風に、日高見国の政府は考えている」
そこで、今度は稲積が話を引き継ぐ。
「対するアルモリカが示す裏付けとなる武力は、陸上戦艦だ」
地図上のアルモリカに銃剣を突き立て、彼はイスカに地図を傷つけるなと怒られている。
陸上戦艦。アルモリカが陸上戦で圧倒的有利を得るため開発・投入した陸戦最強兵器。
攻城大型固定砲を除けば、火砲での破壊も困難を極める堅牢な装甲。塹壕をものともせず突き進む無限駆動走行装置を持ち、専用車や八頭立ての馬車でけん引するような大型加農砲と同等威力の火砲を備えた、まさに走る戦艦であった。
アルモリカはこの陸上戦艦で突き進み、敵方の火砲を蹴ちらした戦場に、主力歩兵部隊を大量投入する方法で、西側諸国の国境線紛争で蒼海国に大損害を与えた。
蒼海国は秘蔵の詠唱魔法使用者を複数投入するなりふり構わぬ抵抗を示した。その結果、なんとか国境線を死守・画定させたが、詠唱魔法使用者にも多くの死者が出たという。
ひとりいれば戦局を大きく動かせると言われる魔法使用者をそれだけ使いつぶさなければ、退けられない戦況だったということだ。
「鹿嶋には多少酷な話をするが」
と稲積は前置きする。
「実は俺たちは春に一度ここに来ていて、そのときも明洗港手前まで前線を押し込んで、詠唱魔法使用可能線直前まで到達することに成功している。でも、失敗した」
鹿嶋は息をのむ。稲積は心底悔しいという顔をしている。
「戦線は大きく押し戻されて、イスカの魔法を使う許可は取り下げられた。本当、好き勝手言ってくるやつらだ」
やつらとは、イスカにこの命令を下した人間たちのことだろう。
「陸上戦艦だ」
稲積の瞳が暗さを増して、鹿嶋を見つめる。
「アルモリカの陸上戦艦部隊が上陸した。来るという情報を司令部ではつかんでいて、日高見国でも国産陸上戦艦の開発を進めていたが、間に合わなかった」
鹿嶋の顔のこわばりを見て、稲積は多少口調を崩し気味にする。
「今はいない。一度イスカさんがすべて掃討した。しかし友軍は壊滅状態で、支援をしてくれるはずの歩兵部隊がついてこなかった。砲兵部隊の援護もない。こちらに詠唱魔法使用者がいることを知られるわけにはいかないし、明洗にはまだ敵主力の大半が残っていた。それ以上進めなくて、一度俺たちは退いた」
「その時わたしたちが成功していれば、鹿嶋はここに来なくて済んだかもしれない」
すまない、とイスカはする必要のない謝罪をし、稲積はそれをあきれた顔で眺めている。
「詠唱魔法使用者を意図的に戦線に投入したと知られれば、各国から批判を受けるかもしれない。だから政府も軍もわたしの存在を秘匿している。戦場で大っぴらに魔法は使えないし、明洗を一人で落とすわけにはいかなかった」
やろうと思えばできるという口ぶりだった。
世界の多くの国が批准・発効している国際武力闘争法。
その中に、広範囲にわたる人的殺傷能力を持つ魔法の、戦場での使用を制限する項目を設けるべきとの論争は、もう何年も続いている。
いま現在禁止されていないとはいえ、実際にその行為に及んだ場合、苛烈な非難を国際社会から浴びることになるだろう。
そもそも詠唱魔法に関する項目を武力闘争法に追加したがっている国家は、詠唱魔法使用者を確保しづらい西側諸国の国々に偏っている。
そのため、この論争には、東方諸国、並びに蒼海国の軍事力を大幅に削ぐ狙いがあるのは明らかであり、この時期に魔法使用者を戦線投入することは、西側の思うつぼと言っていい。
だがそれでも、鹿嶋の祖国日高見国は、詠唱魔法使用者であるイスカを使わざるなかった。
「アルモリカ軍が陸上戦艦部隊を無傷で残した状態で、独立軍と休戦の講和の話し合いが始まるとは考えづらい。また、日高見国側が、裏付けとなる武力を示さないまま講和に突入しても、敵側はより好ましい条件を求めて抵抗を続けるか、攻撃がより激しくなり、味方側の損害がむやみに増えることになる」
イスカはたとえ詠唱魔法が使えたとしても、思うままにならない現実に直面している。
「無抵抗で降伏しても、扶桑国の国土と人民は蹂躙され、一部は群島諸国で奴隷に身をやつすだろう。いずれにしても、アルモリカが東方諸国大陸に固有の領土を持てば、いつかは大陸を北上し、秋津洲や瑞穂も食らい、やがて日高見国の国土に届く」
イスカは最悪の未来を見つめて拳を握る。
「今回の紛争は、世界を二分する戦争の、萌芽となりかねない」
鹿嶋は震えた。アルモリカが日高見国本土に届けば、国はどうなる。紗蓉子は。皇家に連なる彼女がどのような運命をたどるのか、想像するのも恐ろしかった。
「アルモリカは再び陸上戦艦部隊を上陸させようと準備を進めている。それが整う前に、戦争を終わらせる。日高見国側が有利な条件で講和に持ち込み、少しでも多くの、占領された扶桑国の領土を取り戻す。それがわたしに課せられた使命だ。稲積はそれに付き合ってくれている酔狂な友人だよ」
今日この場で、鹿嶋にはこの戦争を戦いぬく理由ができた。さらわれてきた戦場は、鹿嶋にとって意味のあるものに姿を変えた。




