二 戦場の口火
仲月見イスカと名乗ったその青年は、鹿嶋に名をたずねた。
鹿嶋がこたえると、上の人間に話を付けたらまた迎えに来ると言う。そしてもう一人の大柄な男——金邑稲積と名乗った——とともに宿営所となる工場から去っていった。
白瀬をはじめとした、鹿嶋に喧嘩をしかけた連中は、下士官と思われる人物に連れられてどこか別の場所に引き立てられていった。イスカの計らいなのか、鹿嶋はイスカと二、三言話した後、特にとがめもされずそのまま止め置かれる。
白瀬たちと同じ空間にいずに済んだことは安心したが、同じ戦場にあるということは、またどこかで会うかもしれない。
——俺は死にたくない。
鹿嶋は強く思っていた。また怒りにさらわれて、戦場で無鉄砲な行動に及ぶことがあれば、それは鹿嶋の身を危険にさらすことになる。鹿嶋はどうか耐えてくれと自分自身に言い聞かせながら、その夜は眠った。
翌朝、個人装備を整えて行軍に出発する。弾薬と糧秣、それに一人一挺ずつの小銃を下げる。そのほかの装具すべてと合わせると、その重さは肩だけでなく、体全体に食い込んで重々しい。
しばらくは扶桑国の街中を歩いていく。
街の人々の晴れない顔を記憶に残しながら、集団は進んでいく。
戦争中の国というものは、人々に険しい顔を《し》強いるのか。それとも、今は鹿嶋たち兵士が通り過ぎるから、否応なしにそんな表情を浮かべてしまうのか。
街を出て歩き続けると、少しずつ、戦場が近づいてくる。鈍いくすんだ気配を感じるようになる。
扶桑国は交易が主要産業の国だが、交易品である綿布を作るための綿花畑が、手入れもせず放置されていた。生活の糧を手に入れる手段を捨ててでも、遠く逃げねばならなかった人がいる。
時々挟む大休止、小休止の折には、住む人のいなくなった家の軒を借りるときもある。まだ生活の匂いのするような部屋が、まるごと残されている。
やがてもっと先に進むと、道の脇に人形が落ちているのを見た。と思ったが、それは人であった。
ところどこと点々と、人が伏してそのままになっているのを見るようになった。よく見ると、落ちているのは友軍ではなく、敵軍アルモリカの兵士たちだった。
何度か陣地を取ったり取られたりしているから、彼らがいつ亡くなったのかはわからないが、敵陣のなかで死ねば、遺骸は曝露され、国にも帰れない。
季節はまだ夏の終わりである。寒いはずもないのに、鹿嶋は小銃にあてた手の平から、おぞ気のような冷たさを感じて歯を食いしばる。
前線本部となっている場所まであと数百メートルというところで、近くの草むらでパラっと豆をまいたような乾いた音がした。その瞬間、行軍列の前方から、「敵襲ーー!」と叫ぶ声がする。
強い雨が叩くような音が、銃弾の当たって弾ける音だったのだ。鹿嶋達行軍兵は、三々五々近くの民家の遮蔽物めがけて走り出した。
不意に、鹿嶋のすぐ横を走っていた兵が視界から消えた。はるか後ろに倒れて鉄帽も転がしている兵士は、もう動かない。あんなもので死ぬのか。鹿嶋は呆然としたが、同道の兵士に引っ張られ、遮蔽物の影に転がり込んだ。
それから、戦場第一日目の記憶が、鹿嶋にはない。
飯ごうの蓋が開けられ、炊きあがった飯をみんながつつき始めるころになっても、鹿嶋は宿営場所となっている民家の隅でひざを抱えて突っ伏していた。
煮炊きが終わると火は早々に消される。夜の闇が増すと、明るさで敵方に場所が割れる恐れがある。そうなれば夜間でも迫撃砲で狙われる。頻繁に着火が必要な戦場では、火の魔法があつかえる人材は、火種と火おこしの道具を持ち歩く必要がないから重宝されている。
「佐治鹿嶋二等兵」
ここでは似つかわしくない慈悲深い口調で名を呼ばれ、鹿嶋は顔を上げる。
紗蓉子を思い起こさせるような緑色の瞳の青年、仲月見イスカが立っていた。イスカは座り込む鹿嶋の横でひざを折ると、
「遅滞なく手続きが終わったので、君は今日から私の隊の所属となった」
と告げ、よろしくと言って手を差し出す。されるがまま握手をすると、その手をつかんでそのまま立たされる。
「と言っても、私は分隊長だから、あとで中隊長にもご紹介しよう」
鹿嶋は何と言っていいか迷っている。お願いしますなのか、ありがとうございますなのか。なにも言いだせないうちにイスカは歩き始め、付いてきてほしいと言われて鹿嶋も続く。
「佐治くん、君はこの戦争の起こりや、自分たちがここで戦う意味を聞いたか」
「くわしくは、まだ」鹿嶋は首をふる。「そうか」と言って、イスカは歩き続ける。
さっきの宿営所からはすぐ近くだった。崩れかけた民家の屋根が残るところで、十数人の男たちが座り込んで談笑しているところへたどり着く。
「お、連れてきたね」
男たちの中から、稲積が立ち上がって二人を迎える。イスカは鹿嶋を分隊の人の輪に入れると、うつむきがちな背中に声をかけた。
「佐治くん、食事が終わったら、君が知りたがっていることがあれば教える。私の隊に来たからには、今日より少しはマシな戦争をさせると約束しよう。戦うことに意味がある戦争をね」
「猫みたいなやつだな」
分隊の宿営所についても、壁に背を付けて丸まっている鹿嶋を見ながら、稲積はつぶやく。
昨日、汽車輸送兵の宿営場所で手に入れた魚の塩漬けの缶詰をぶち込んだ雑炊を盛って、稲積はそうっと鹿嶋の足元に置いてくる。警戒心のつよい動物相手にするような動きを、イスカがとがめる。
「慣れていない動物のようにあつかうな」
「イスカのせいだろ。いきなりあんな誘い方するから、めちゃくちゃ警戒されてる」
そんなことない、とイスカは言う。
「いくつだと言っていた?」
「……十七だそうだ。指令本部に聞いたところ、侯爵家次男である」
稲積の問いに、イスカは淀みなく答えるが、口調に明るさはない。
「若いなあ。鹿嶋少年じゃないか」
「……男爵位以上のすべての家に、十五歳以上の嫡子以外の男子を出せと通告があったらしい。強制力があるものではないが、おとなしく出してきた家も多い」
「自分のせいだと思っているのか、イスカ」
「そんな通告がなければ、鹿嶋はここに来なくてよかったはずだ」
「だからって、爵位持ちの家の少年たちを全員ひろって面倒なんて見切れないぜ?」
「わかっている。だから彼を連れてきたのは、私のエゴと偽善に過ぎない」
「わかっているんなら、付き合いましょう! ……で、なぜあいつなんだ?」
「ひどい顔してたじゃないか……間違って連れてこられた猫みたいだ」
けっきょく猫じゃないかと笑う稲積につられて、イスカも笑う。
そこへ、空のアルミの飯椀を持つ鹿嶋が近づいてくる。
「あの……」
「なんだ、おかわりか!」
イスカがうれしそうに聞くが、鹿嶋は「いえ」とかしこまって答え、知りたいことがあるので、教えていただけませんかと、きちんとした口調で言う。
「まずはここに座りなさい」
イスカは稲積と自分との間を示す。稲積は鹿嶋の手から飯椀を奪い取ると、山盛りの雑炊を追加して、座った鹿嶋の前に突き出した。
「そして育ちざかりなんだから、もう一杯くらい食え」
鹿嶋が飯椀を受け取ったのを見て、イスカは、彼がこの戦場で戦う意味を教えてくれた。




