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ある魔法使いの副官―運命に選ばれなかったものたち―  作者: はやぶさ8823
第3章 ある魔法使いの副官 鹿嶋躍動 2820年
32/93

一 風の戦地、火の誓い

 鹿嶋が乗り込む汽車は、扶桑国で起こっている移民独立紛争に向かう兵士のための専用列車だった。

 斉京区最大の駅は、兵士の送り出しでごった返していた。国中、どこの駅も同じだ。満載になれば、次の汽車を待つしかない。鹿嶋はやってきた二本目の汽車にどうにか乗り込んだ。


 座れる席などない。鹿嶋は客車内を抜けて、客車の連結部分のデッキに出た。外に面して張り出した平台で、手すりに体をあずけて、左腕をかばうように抱え込む。

 紗蓉子は、もう皇宮についただろうか。自分のような男に出会わなければ、彼女はあの学び舎で平穏に過ごしていたかもしれない。謝ることもできず、鹿嶋は膝を深く抱えて眠ろうとした。

 不意に、他人にしては近すぎる距離に寄ってきて、隣に座った者がいて、鹿嶋は顔を上げる。

 佐治尚隆がそこにはいた。彼は将校であるから、戦場に向かう義務があるにしても、こんな汽車に乗る必要はない。


「なぜここに」

「偶然だ」そう言って、兄は深く息を吐き出す。ここ数日、目まぐるしく起こった騒動を思い出しているのかもしれない。

「汽車で向かうのは知っていたが、同じ列車になったのは本当に偶然だ。街が混乱していて、俺も途中まで自力で行かねばならなくなった」

 “あのようなこと”――佐治の土地の龍が目覚め、暴れた件だ。

「父上はいまごろ散々な顔だろうなあ」

 尚隆は、どこかのびのびとした口調である。窮している父をおもんぱかる響きはない。後に古い届出記録が見つかり、佐治家の咎めは免れ、あれは天災と同様の災禍と認定されるのだが。

「……鹿嶋。大丈夫か」

 呼びかける兄の声は、ちゃんと親しい人間同士のあいだのさりげない口調だった。

「よく……わかりません」

 兄の問いかけに、鹿嶋は膝を抱える力を強くした。本当にわからない。このまま紗蓉子と会わない年月が長くなれば、自分がどうなるのかは本当につかめない。

「でも、五年たったら迎えに行くと約束したので」

「お前知っていたのか」

 鹿嶋の発言に、尚隆は弟が見たことのないような驚きの表情をして、それから笑う。

「それでよくあそこまでやったものだ」

「出会う前ならいざ知らず、もう会ってしまったので止められず、無理でした」

「無理か。そうか」

 尚隆は紙巻のたばこを取り出して、先に薄く火をつける。

「兄上はいつからご存じでしたか」

「お前がアルモリカ製のたばこ入れを拾い、学校に問い合わせたときだ。大事にはするなと釘を刺された。けっきょく、皇修館の女学生をねらっていた人間たちが、なにを狙いにしていたかはわからずじまいだ」


 かぎなれた兄のたばこのにおいが、鼻先をすべっていく。


「今回……皇女殿下は内密にしていた御身の身上を自ら明かし、お前を守ろうとしてくださった。あれこそ至誠である。そうでなくては、お前の処分はもっと重く、刑事的な罰を受けることになっていた。それだけのことをした」

 鹿嶋は、紗蓉子の優しさを思い出していた。

「私も感謝している」

 尚隆の言葉に、鹿嶋は考え込む。

「兄上……俺は佐治家がなくなるようなことをしたかもしれません」

 兄が思うより優しいので、鹿嶋は今さらながら、家に及ぶ影響を考えずに自分が進めた行動を悔いはじめている。


「けさ、龍が暴れたさなかのことですが、俺は殿下を連れて逃げようとしました」

 一瞬茫然とした兄の目とかち合ったかと思ったが、そのあとすぐに尚隆は笑い出した。それも声をあげて。

「あ……の……」

「それは大それたことをしたな。まあ、やったことは仕方ない。父上はお許しにはならないだろうが、俺はもういいよ」


 ふーっと深い息を吐き、額を抑える。


「俺は……もういい」

 尚隆はたばこの先が、赤くちらちら輝いているのを見ていた。

「大人が憎いか。鹿嶋」

 鹿嶋は答えられない。ただ自分の膝小僧を見つめるので精いっぱいだった。

「お前たちは簡単だったな。相手のためと言って、簡単にころっと騙されてくれる」

 悔しいのか悲しいのかわからないが、鹿嶋は目の奥が痛んだ。涙があふれる前兆に似ていて、泣きたくないから左腕の傷を痛くなるようにつかむ。すべては自分が子どもだったせいだ。抗えなかった。

「俺は、胸が痛かったよ」

 鹿嶋は、尚隆のありえない言葉に体の力が抜ける気がする。涙は不意にこぼれてしまった。たった一筋だけだけど。

「殿下はお前より、もっと思うようにならなかっただろう」

「悪かった」と尚隆は言う。悪かった、と確かに言った。それから尚隆は、うって変わったように決意を確認する厳かな声で、鹿嶋に語りかける。


「五年たったら、と言ったな」

「はい」

「皇帝陛下の実子である皇女殿下の降嫁条件を知っているか」

「いえ」

「内規ではあるだろうが、宮家出身者か、爵位持ちなら侯爵家当主以上、軍属であるなら大尉以上だ」

「大尉以上……兄上は今」

「中尉だな」

「兄上でもですか」

「道はなかなか険しい。俺が当主をゆずってやれたらいいが」

「いや、それは」


 軽口に本気の狼狽を返す弟の姿に、尚隆はおかしそうに口元をひく。


「皇修館に籍は残っているが、戦地から戻ってもそこへ帰らず、国軍大学校を直接受けるべきであろうな」

 国軍大学校の受験資格年齢は、就学年数によって二種に分かれている。二部なら十七歳から二十五歳まで受験可能である。


「海軍には父上がいらっしゃるが、お前はあの方の覚えめでたくないから、よくは遇されない。近衛などどうだ。普通部隊より箔がつく」

「……近衛」

「いずれにしても、まず扶桑国から生きて戻らねば。今回、男爵以上のすべての家に皇宮より通達があった。当主となる予定のない次男以下、なおかつ十五歳以上の男子で可能なものは応召せよと」

 尚隆はブリキの携帯灰皿の中に、灰を落としている。無心の動作で、その通達を受けた時のことを思い出しているようだった。

「俺は断るつもりだった。佐治の家は長男である俺が軍属であるのだから、出す必要がない」

「……すみませんでした」


 鹿嶋は、知らずに兄の気づかいを踏みにじっていたことを知る。


「いい。どの道いつかは行くことになる。お前にとっては不運が重なったな」

 いいと言ったら、この人は本当にいいと思っている。何年も離れていた兄のどういう人かを、鹿嶋はやっと理解し始める。この、別れも間近の時期になってようやくである。

「鹿嶋、この召集条件を見るに、おそらくお前が送られる戦場には、貴人がいる」

「貴人……」

「貴族の子息はそいつの盾になって死ねと言われているのだ」


 兄の思うままの虚飾のない言葉に鹿嶋は聞き入る。


「皇太子殿下がお出ましの時期についてはすでに決まっている。宮家も当たってみたが、該当する目ぼしい皇子はいなかった。それが誰なのか俺にはわからぬが、早めに見極めろ。そしてお前が命をかけてお守りする価値もなしと判断すれば、そのまま捨て置け」

「そのようなこと、おっしゃって良いのですか」

「構わん。お前が誰かに告げなければな」


 たばこが消えて、尚隆は手持ち無沙汰だった。ブリキの灰皿をいじっている。なんだか、言いにくいことを口にしようとするときの自分を見るようだった。


「鹿嶋」

「はい」

「死なぬようにな」

「……努力します」

 尚隆は、途中の港から船に乗って戦地へ向かうという。それまで、兄は弟に、戦場の実際というものを教えてくれた。付け焼刃でも、伝えねばという責務にかられたような早口だった。


 汽車は途中、夜を迎えた乗降場で朝を待つことを何度か繰り返し、三日目の朝に扶桑国との国境にたどり着いた。

 ここはまだ戦場ではない。戦線は現在、扶桑国の中ほど辺りで、アルモリカ軍と日高見国・扶桑国連合軍との間で、長く膠着している。

 そこからさらに幌のついた車に詰め込まれ、宿営場所だという古い工場にたどり着いたころには、もう夜になっていた。


 汽車で戦地に向かうものはみな一度はここに来るのか、あきらかに右も左もわからない新兵と、本国の病院で傷病の手当てを受けて戻ってきたような、場に慣れたものとが入り混じっていた。

 バラック小屋の屋根を無理やりトタンで継ぎ足して、ギリギリ軒下を作ったような粗末な商店があって、女がふたりばかり生活の小物を売っている。


 鹿嶋はそこで一本だけ歯ブラシと、最後売れ残って目立たなくなっていたキャラメルを一箱買った。

 煮炊きしている外で食事を受け取ると、工場の中に入り、思い思いの場所に座る。まだ原隊も決まっていない鹿嶋のような急な召集新兵は、寄る辺なくひとりでいるしかない。


「鹿嶋」

 そこで、呼ばれるはずのない自分の名を聞き、鹿嶋は食おうとした手を止めた。

「……白瀬!」

 なぜここにいる。あれだけしこたま殴ってやっただろうが。消えたはずの怒りの炎は、瞬時に燃え上がった。後ろにはあの時一緒にいた者と、見覚えのない者がふたりずついる。

——男爵以上すべての家に通達があった。

 兄・尚隆の声がよみがえる。皇修館から来たものがほかにもいたのだ。こいつらも送られていたのか。どうせ騒動をうやむやにしたい大人たちの計らいだろうが、お前たちに同情の余地はない。

 鹿嶋は立ち上がりこそしなかったが、いつでも飛び出せるように腰を浮かせる。

「なんでここに」

 白瀬の言葉にこっちのセリフだと言いたいところだったが、こらえた。怒りに流されては碌なことにならないというのは、もう学んでいる。

「女に逃げられて、お前も逃げて、情けないことだ」

 学んでいる、はずだった。鹿嶋は一瞬でなにもかも忘れ去り、白瀬に組み付いて頭突きした。


「逃げてない! 俺たちは、逃げてない!」


 すべてを捨てて紗蓉子を連れ去ろうとした自分の行いも忘れて、鹿嶋は暴れた。俺たちを追い込んだこの男に、紗蓉子を侮辱されるいわれはない!

 喧嘩だ! とはやす声が聞こえて、少なくとも数人が鹿嶋に掴みかかってきた。止めようとする者もあるが、戦地であるという、言いようのない鬱憤を晴らす相手を探しているだけの者もいる。

 白瀬だけならどうにもなるのに! その時、数人に組み敷かれそうになって悔しがる鹿嶋に群がる人間が、一掃された。


「喧嘩の理由は知らないが、一対多数は感心しない。大体、こんなところで体力を消耗するのは賢くないぞ!」


 右腕をつかんで、鹿嶋を引き立たせる者がいる。

「そういうわけだから、私は君につくことにしよう!」

 そう言って横に並ぶ青年は、紗蓉子と似ている茶色のむこうに透けるみどりの瞳を持ち、美しい顔をきらめかせて笑っている。

 呆けている鹿嶋にむかって、白瀬が突っ込んでくる。となりの青年ごと吹き飛ばしそうな勢いである。

 しかし、白瀬は横から弾丸のように飛び出ててきた誰かの拳に殴りつけられ、人形のように跳ねて床に転がる。

稲積いなつみ!」

 うれしそうに叫ぶ青年を見返して、拳の主の大柄な男は、喧嘩の果てに転がる兵たちをあきれて見下ろす。

「イスカ、なぜ新兵を迎えに行ってあんたが喧嘩をしているんだ」

「うーん、私刑は看過できないからだな」

 それから美しい青年は突っ立っている鹿嶋の肩に手を置いて、ここが南国の海岸かのような晴れ渡った笑顔で告げる。

「ところで君、元気がいいな! 私の隊に来ないか!」

「はあ!?」

 仲月見イスカ十九歳、佐治鹿嶋十七歳。これがふたりの、戦場での出会いであった。

 









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