二 嵐より前に
近衛師団の騎兵が使うのは、馬よりももっと野性味のある鷲獅子という獣である。
国の東部の特定の高山にしか生息しない、めずらしい生き物だ。獅子の体と鷲の頭をもち、強い翼で空を飛ぶ。
近衛騎兵だけが、この獣をあやつって鷲獅子騎兵と名乗る栄誉をあたえられる。
はずなのだが、
「龍を追っていますなどと言って、はいそうですかとすぐに信じてもらえるわけないでしょう」
鹿嶋は、鷲獅子の腹に優雅に背中をあずけ休息をとる仲月見イスカ少佐に苦言を呈す。
ふたりは飛行場の片すみに、二頭の鷲獅子とともに固められ、武器を携行した監視をつけられている。完全に要注意人物だと見なされていた。
「聞いてます? 少佐? イスカさん!」
イスカはフライングキャップを顔にのせ、もう寝入りそうになっている。
「でも、ほかに言いようがないよ。信じてもらえなくても、師団本部に問いあわせれば、わたしがうそを言っていないと、すぐにわかるはずだ」
「それまであなたが謎のペテン師みたいな目で見られるのがいやなんですよ」
「わたしは気にしないから大丈夫だ」
「これで滑走路無断侵入の件は、連隊長にも知られましたよ」
「それは多少問題だが、怒られ役はわたしがするから、鹿嶋は気にしなくてよい」
鹿嶋が副官として仲月見イスカ少佐のそばについて二年ほどになるが、つき合い自体はもっと長い。イスカは近衛師団に入るまでは、国外で諜報まがいのこともしていたというが、この馬鹿正直さでつとまっていたのか疑問だ。
さきほど鹿嶋たちを誰何した当直士官が走ってくるのが見える。
「ほら、もう話しは通ったようだ。また夜には飛ばなければいけない。少し休む場所を借りよう」
イスカは笑顔で立ちあがる。
飛行場で、鹿嶋とイスカは広めの飛行船格納ドッグを休息場所としてあてがわれた。
いま鹿嶋は、つなぎになっている飛行服の上だけを脱いで、二頭の鷲獅子にブラシをかけている。
イスカは、調理場から譲り受けたくず肉とくず野菜を混ぜて、鷲獅子たちの食事の用意をしている。そのイスカに、鹿嶋は声をかける。
「いい場所を借りられて、よかったですね」
飛行船ドッグは広く、身体の大きい獅子たちが、その翼を壁や天井にぶつけることなく休息が取れている。
「うん、だれも鷲獅子の世話の方法など知らないだろうから、我々を離して置くのは、問題がありますと言ったら、ここになった。話の分かる人でよかったよ、あの飛行船司令副長」
鹿嶋たちに便宜を図ってくれた大尉は、飛行船司令副長の立場にある。司令の片腕といえば聞こえがいいが、「すべての人にとっての小間使い」などと呼ばれるほど、あらゆる雑務がふりかかってくる役職だった。
当然、鹿嶋たち急な乱入者の応対も、彼に任されている。
鹿嶋がふっと顔をあげると、その副長がドッグの入り口に姿を見せている。
「少佐」
鹿嶋はイスカを呼んだ。
イスカは立ち上げると、笑顔で大尉を迎えに行く。
「休息に最適な場所をご用意いただき、ありがとうございました」
「いえ……仲月見少佐、おふたりは寝泊りもこちらのドッグ内でよろしいとのことでしたが……」
「ええ、個室を用意していただくのも申し訳ないので。それに、夜にはふたたび出ることになるでしょう。飛行船が停留していて助かりました。圧縮酸素の補充ができるのはありがたい」
高度数千メートルの空では、酸素はどうしても希薄になる。飛行船も、高高度の飛行時には、船内で圧縮酸素の使用が必要となるため、補充の装備は整っている。
「そうですか……」
イスカのこたえを聞き、彼は一種、安堵のような表情を浮かべている。その理由を鹿嶋はすぐに察した。
急なふたりの客人に部屋を用意する段階で、副長は鹿嶋と仲月見イスカの軍歴を確認したはずだ。そうであれば、彼はもう知っている。
この、鹿嶋が副官をつとめる仲月見イスカ少佐が、実は女性であることを。彼女は女にしては背が高すぎる。飛行服を着ていたこともあり、初見でそれに気づいた者は、この飛行場にいなかっただろう。
じっさいに目の前で見れば、彼女は肩も胸もうすく、女というよりは、顔も体も大人になりかけの青年のように見える。
すこしだけ、なんとも言えない間が三人の周囲に流れて、それを割るようにイスカが声をあげた。
「そうだ、見ますか? 鷲獅子」
唐突な提案に、副長は反射的に「はい」と答えている。
「鹿嶋。大尉殿が鷲獅子をおそばでご覧になりたいそうだ」
「わかりました。急に飛びついたりしないように言っておきます」
鹿嶋はつないでいる一頭のうち、自分が主に騎乗している子の縄を解き、その端をつかむ。
「飛びついたりしてくるんですか」
不安げな声をあげる彼に、イスカは笑いかける。
「人間が好きなだけです。近衛の鷲獅子は、どの子もよく慣れていますが、佐治中尉の獅子は近衛の厩舎で生まれ育った個体なので、特に人が好きです。だけど、あの爪にひっかかれては冗談では済みませんので、念のため」
翼をひろげると、その大きさは体躯の倍はある。獅子の背に手をおき、その動きを制しながら、鹿嶋は岡田が鷲獅子に向ける羨望のまなざしを見ていた。
——この人も、空を飛ぶのが好きなんだな。
飛行船乗りならば、とうぜん空は好きだろう。そういう者たちにとって、その背に乗って空を駆けることができる鷲獅子は、つよいあこがれの対象になりうる。かく言う鹿嶋も、飛行船という乗り物には、非常に興味がある。
「あの」
はじめて間近で見る鷲獅子の大きさに見とれている副長に、鹿嶋は探るように声をかける。
「この基地には、回転式の飛行船格納庫があると聞いたんですが」
「ああ、あります」
飛行船は入出庫いずれのときにも、風がもっとも問題になる。あまり強い横風が本体にむかって吹いている状態では、出庫できない。つまり飛べない。
それでは軍用航空機としてあまりに問題なので、風向きにあわせて入口の方向を変えられるような機構が考え出された。それが回転式格納庫である。
「まわるんですよ。イスカさん」
「そうらしいね」
鹿嶋はつよい好奇心の宿った目をしてイスカを呼んだ。
「見てきたら?」
イスカは気軽にそう言い、鹿嶋はその言葉を受けて、今度は副長を見る。
「いま格納庫に飛行船が入っていますから、中は無理ですが、外からなら見られます」
鹿嶋が許可を求めていそうな目をしたからか、「どうぞ」と続けた。
「ちょっと行ってきます」と言いのこし、鹿嶋は走ってドックを出ていく。
それを見送り、鹿嶋から受け取った鷲獅子をドッグの奥につなぎなおすイスカを、副長は黙って待っていた。
「どうかしました? 副長殿」
「いや、佐治中尉と少佐。お二人は、思ったより気安い仲なのだと思いまして……」
「ああ、わたしは……彼がまだ子どもの延長ような年のころから、一緒になって戦場を駆けまわっていたので。任務の外ではこんなもんです」
笑顔でいる。その瞳は、うすい榛色のむこうに、翠色が透けている。ふしぎな色をしていた。この国の人間にはめずらしい色だ。
鹿嶋は、円蓋状の屋根のついた建物に向かって走っていく。
あれが回転式飛行船格納庫に違いない。
「あの」
鹿嶋はドッグ周辺で作業している飛行船の地上要員に声をかける。飛行船は、乗船員以外にも数十人の地上要員の働きによって、その航行を支えている。
「本日、司令官副長から見学の許可をいただきました、近衛師団の佐治鹿嶋と申します」
振り返った地上要員のひとりが、鹿嶋の姿をみとめた。
「ああ、あの。突っ込んできた人」
滑走路に突っ込んで来た人。確かにその通りだが。鹿嶋自身は、とにかく広くて開けた場所に降りられれば御の字と言ったところだった。着陸姿勢になど気を配っている場合ではなかった。
イスカだけなら、こんな印象にはならない。自分の未熟を実感しながら、鹿嶋は許しを得てドッグに近づき、その円蓋を見あげる。
飛び立つ方向を定めれば、なかの飛行船だけではなく、この外側の円蓋も回転し、任意の方向にその扉を開くのだという。
「すごい。すごいですね」
素直に感嘆の声をあげる鹿嶋に気をよくしたのか、案内をしてくれる地上要員は、言葉をついでいく。
「今夜の夜間訓練も少しは風が出るでしょうが、この回転式ドッグがあれば、問題なく離陸できるでしょうな」
「今夜?」
鹿嶋はすっと表情をかたくして、この言葉を聞き返した。
「イスカさん!」
あれほど楽しみな顔をして出ていった鹿嶋は、いまは焦燥を抱えた顔をしてドッグへ駆けもどった。司令官付副長はまだドッグのなかにいる。鹿嶋はすぐにイスカにさきほど自分が聞いたことを耳打ちする。
イスカは副長に、「少しお待ちください」と告げて下がる。背の高い美麗な将校は、大判の地図をもって戻ってきた。
「今夜、飛行船が夜間訓練にむかうと聞いたもので」
副長はだまってうなずき、鹿嶋のほうを見た。なにか支障があると言いたげな空気を感じて、いぶかしんでいる。
そうしているうちに、イスカはドッグ内の簡易なテーブルの上に、持っていた地図をひろげる。
「われわれは昨日、皇都から南東に下ったこの地点から、龍を追ってまいりました」
イスカは地図の一点をしめす。
「龍は、最終的には討伐するのでしょう?」
副長がイスカに問いかけ、確かめる。
この国の国土に龍が迷い込むことはめずらしくないが、暴れられれば相当な被害が出ることは確実だ。近ごろでは迷い龍の被害が顕著に増えている。
「たしかに、わたしが連隊長から受領した命令は龍の討伐ですが、龍であればなんでも殺せばいいわけではありません。今回のは純粋な迷い龍です。もしくは遊びにきただけの龍」
言いきるだけの根拠がイスカのなかにはある。イスカは龍がこの国に現われるたび、今回のように軍命で駆り出されている。龍と相対した回数は、おそらく国内の誰よりも多い。
副官として随行する鹿嶋も、同じだけ龍を見てきている。
さらに彼女は続ける。
「彼には帰る意思があった」
「北の果ての島に?」
わが国から海をへだてて北の果てにある島から、龍はやってくると言われている。実際その方角から、あれらは飛来する。
「そうです。そして、龍が古巣へ帰ろうとするとき、かならず嵐になります」
「龍が、嵐をおこすのですか」
「はっきりはしていませんが、いろいろ見た結果、わたしは因果が逆だと思っています」
「と、いうと」
「嵐にのって、龍は帰ろうとしている。げんに、われわれが追った今回の龍も、見つけてから三日は同じような場所にとどまって動きませんでした。かなりこちらを警戒していて、帰りたそうだったのに。ところが急に移動を開始したと思ったら、あの嵐にあった。待っていたんでしょう。勝手に自分でおこして帰るわけにはいかないようです」
イスカは鹿嶋とふたりで龍を追ってきた道をなぞるように、地図上で指を動かす。
「われわれが見失った今朝方から、この近辺で龍の目撃情報を探していました。ついさきほど近くの山で、他に伏せる龍が目撃された。今夜ふたたび飛ぼうとしている。きっとまた北に向かう嵐に乗っていこうとする」
「北へむかう嵐。それでは」
「飛行船の進路をさまたげるかもしれません」
もういちど地図に目を落とす。飛行船にとって、悪天候は致命的である。墜落すれば、乗員はひとり残らず助かる見込みはない。
「そういった観測予報はいまのところ出ていませんが」
「予想しきれない嵐を感じるのが龍です。それに、天気予報もあんまり当てにならないでしょう? 私なんて、雨は降らないという予報を信じて傘を置いて出かけは、しょっちゅう降られますよ」
雨女なのかな? と、イスカは首をひねっている。
「なんとか、飛行船司令を説得することはできませんか」
イスカは真剣に、今夜の飛行を止めたがっている。真摯にうったえる翠色の瞳で、じっと副官を見つめていた。