二十一 正しいと信じた道が すべて罪なこと
鹿嶋は、紗蓉子の体が暴かれていないことだけ確かめると、もう必要以上には彼女に触れず、手を引いて静かに歩き出した。
竹林を抜けて道にでる直前に、腫れた顔が人目につかないように、うすい上着を頭からかぶせてくれた。
とつぜんのにわか雨に、街には人の姿もまばらだった。傘もささずに下を向いて歩くふたりの姿を、だれも見とがめなかった。
顔の傷が痛みでうずいてきて、でも声を出すと鹿嶋が苦しみそうで、紗蓉子はときどき息をとめて耐えていた。
「あとで弔いにもどろう」と鹿嶋が言うので、ゆりかごのなかにとのこを残してきた。一匹だけいたはずの仔猫は、どこにもいなかった。
——お母さまが、逃がしたのかもしれないね。
紗蓉子は社に残してきた光景を思い出し、さらなる不安がつのって目を開けていられなくなる。
あそこに転がされたものたちに、息があったか確かめてこなかった。紗蓉子がそういうそぶりを見せて、鹿嶋がどのような反応をするのか。いっさい想像できず、できなかった。
なんてことをさせてしまったのか。すべるように通り過ぎていった過去を後悔している。もしも鹿嶋が紗蓉子と出会ってさえいなければ、今日の出来事はおこり得なかった。
歩きなれた道の上で、鹿嶋が立ちどまった。
紗蓉子の屋敷へ続く道である。
「紗蓉子、ここでお別れだ」
手を握ったまま、鹿嶋がふりかえった。
「ちゃんと、病院へ行ってくれ。一緒に行けなくてごめん」
歩きながら考えていたのだろうか。もうずいぶん前から決めていたという口ぶりだった。
「今日のことは、すべて俺の問題にする」
紗蓉子はすがるように、両手で引きとめるつもりで鹿嶋の手をとった。
「きちんと、なにがあったのかすべて話しましょう。そうすれば、鹿嶋さまのしたことも間違いばかりではないとわかってもらえるはずです」
「それはだめだ」
鹿嶋はつよく断じる。
「そうしたら、紗蓉子がどういう目にあったのか、細かく話さなければいけなくなる」
「それは……」
「実際にはなかったことも、あったみたいに言う奴が出てくるよ」
女としてもっとも深い屈辱を受けたと報じるものや、勝手に思い込むものもいるかもしれない。それは真実より、よほど彼女を苦しめるはずだ。
だから鹿嶋は、今日の出来事から紗蓉子だけをしめだして、自分ひとりの問題で終わらせるつもりでいる。それがどれほど彼自身の罪を重くするか、深く理解していても、迷わずそうするつもりでいる。
だれに命じられたわけでもない。自分の心だけに従って、献身しようとしている。
紗蓉子はそれを聞き、傷と痛みに引きつる半顔に耐えながら、ほほえんだ。
「わたし、鹿嶋さまに言っていないことがあるの。ずっと、秘密にしていたことがあるの」
鹿嶋の意志を受けとって、紗蓉子も自分が差し出せるものを思い出した。
「隠すのはとても悪いことだと思っていたけれど、それを明かせば……」
それを明かすことで、二度と会えなくなっても、その献身に報いよう。
「わたし、鹿嶋さまのことを守ってあげられる」
鹿嶋は口をひらいてなにか言いかけて、考えてやめて、最後には言うことにした。
「俺は、紗蓉子のこと、ぜんぶ知ってるよ」
「え……?」
言葉は、氷にさらした指のような冷たさで、心臓にまきついてくる。
「紗蓉子が秘密にしていること、言えずにいること、ぜんぶ知ってる」
こみ上げてくる涙に耐えようとするとき、雨のにおいを一緒に吸った。
やめて、と胸の内で紗蓉子は叫んでいる。雨、きらいではなかったのに、このさき雨が降るたびに、今日の日を思い出す枷を負う。
「俺は、あなたが誰なのか、知っている」
「か……しま……」
こぼれおちた涙の切っ先を、鹿嶋がぬぐう。
「それでも……それでも俺は、紗蓉子のことが好きだよ。どうかそれだけは、忘れないで」
手をはなし、紗蓉子を置いて、街の中心へ駆けだした。
さよなら。
雨は激しさを増してくる。
背後で、悲鳴のような声で紗蓉子が自分の名を呼んでいる。鹿嶋は、振りかえらなかった。




