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ある魔法使いの副官―運命に選ばれなかったものたち―  作者: はやぶさ8823
第2章 ある魔法使いの副官 鹿嶋追憶 2820年
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十五 いつか優しくなる宇宙

「あの流れとあの発言で、その想っている人が紗蓉子(さよこ)さんでないことってあるの?」 


葛城(かつらぎ)一陽(いちよう)は、虚無のような顔をした佐治鹿嶋(かしま)に呆れながら声をかける。


 あの流れとは、小槻(おづき)嬢に対して、「想う人がいる」と宣言した日のことである。


「もうバレている?」


「決まっているだろう」


「それでか」


 そこまで言って、鹿嶋は机上に突っ伏した。彼は今、だだっ広い荒野にひとり取り残されたような焦燥を感じているらしい。


「最近避けられている……気がする」


 (やしろ)に来て、猫には会っているらしい。人がいた気配を感じる。ということは、自分が到着する前に来て、立ち去っているということだ。なぜそんなことをするのか鹿嶋には理解できない。


「俺はどこに行けば……会える?」


「知るか」


「紗蓉子といると、もっと一緒にいたくなる。触れたくなる。家になんて帰らなければいいのに」


「それは大いに問題発言だぞ」


 はっきりと一陽に指摘され、鹿嶋はもそりと顔をあげる。


「紗蓉子さんを家に帰さなければ大問題になる。下手すると二度と会えない」


 嫁入り前の若い娘を一晩連れまわしたとなれば、たとえ一般庶民の家庭相手であろうと、二度と会うことは許されまい。相手の実家から、蛇蝎(だかつ)のごとく嫌われるのは目に見えている。


「それは嫌だ」


「じゃあ控えろ」


「わかった」


 こと紗蓉子に関することの鹿嶋の素直さとくれば、長い友人である一陽も戸惑うほどだ。一陽はさらに続ける。


「触れるときも、同意をとらなければ」


「同意?」


「触りたいのはお前だけだ。紗蓉子さんの体は紗蓉子さんのもの。お前がご本人の許可なく触れていいものではない」


「それは常識か」


「そうだと俺は思っているけど、持ち合わせていない奴もけっこう多いと感じる」


「それ常識じゃないな」


「それでも、お前は守れよ鹿嶋くん」


 一陽はわざと大仰な言い方をした。そして鹿嶋にくぎを刺す。


「紗蓉子さんが本当に大事なら、守るべきだ」




 何か贈り物を用意すれば、会う口実ができるのでは? という一陽からの具体的な助言を受け、鹿嶋は街へ繰り出した。


 しかし考えても、紗蓉子の喜ぶ贈り物というものがわからなかった。猫が好きなのは知っている。


 猫にも触れたことがなく、わらび餅も食ったことがない。斉京区は都会とは言いがたいこじんまりとした街なのに、最初人の多さにびっくりしていた。彼女はどこでどうやって生きてきたのだろう。


 紗蓉子は、あまり家のことを話したがらない。兄姉のことを聞き出せたくらいで、両親のことは母君が亡くなっていることくらいしか知らない。


 生まれも詳しく知らず、好きなものもわからず。女が好みそうなものを贈ればいいのか。ただ高価なものを贈れば、ありがたがってくれるか。


 それにしても鹿嶋にできることは限られる。鹿嶋は、紗蓉子(さよこ)にしてやりたいと思うことができるたび、自分がまだ何も持たず、何物でもないただの子どもだと実感させられて、悔しく思う。


——はやく、大人になりたい。


 佐治の家は代々軍人を多く出しており、兄もそうだから、おそらく鹿嶋(かしま)もいつかは軍属となる。


 軍人となった自分は、なんとなく決まった未来のようにぼんやりと描くだけだった。だが今は、立派な軍人として一身を立てれば、胸を張って紗蓉子(さよこ)を迎えに行けるだろうかと思っている。


 この気持ちをすべて紗蓉子に伝えるのは難しい。言葉をたくさん尽くすと、だめになりそう。ただ彼女への想いは、たった一本であると、その誠実を示す以外に鹿嶋にできることはなにもない。




——今日も(やしろ)では会わずに済んだ。


 紗蓉子(さよこ)は自室の文机の前に座って、学校の課題に取り組んでいる。


 鹿嶋(かしま)と会わなくなって、もう何日経っただろうか。会わずにいようと思えば、こんなにも離れられるものなのだ。最初から、なんて不確かな関係だったのだろうと思い知らされる。


 あの日、鹿嶋を拒んだ。そのことについて深く追及されれば、言葉にできなくて泣いてしまいそうだった。そうしたら、鹿嶋はきっと困るだろう。彼のことが嫌で泣いていると思われるかもしれない。


——そんなことはあるはずない。むしろもうずっと、鹿嶋さまに会いたい。


 夏の夜の暑気を払いたくて、紗蓉子は部屋のガラス窓も、それについた鎧戸も開け放っていた。


 月夜の光が、おぼろげに部屋の中に差し込んでいる。天気はいいが、空を見上げる気にはならない。


 灯油ランプの白い豆ホヤは、霧の向こうから透かして見せるように、炎を夜の中に浮かび上がらせている。まっすぐに上に伸びて揺るがないその炎に見とれた。


 今のままでよかったのに。気まぐれなあの人に時々会って、話をして、紗蓉子はそれで幸せです。なのにこれ以上先に進まねばならない理由は? こわさを超えて、その先を踏み越えていく理由を見つけられずにいる。


 不意に外から、震えるようにじんわりと鳴く、フクロウの声がした。ここで暮らし始めてから、初めて聞く声だ。まさか庭の木にいるのでは。紗蓉子は立ち上がって窓により、空を見上げる。


「か……鹿嶋さま」


 屋敷を取り囲む塀の上に座って、フクロウの声真似をしていた鹿嶋は、月を背負ったまま塀から飛び降り、窓に駆け寄る。


紗蓉子(さよこ)


鹿嶋はちょうど胸から上を窓の上に出している。紗蓉子は知らず、寝間着にしている浴衣の前を合わせる。


「こんなところまで来て、見つかったらどうするのです」


「どうもしない。罰は受けるしかないな。その時は、紗蓉子は俺のことは知らないと言い通せばいい」


「それでは鹿嶋さまが本当に悪者になってしまう」


 紗蓉子は本気で困って訴えた。なのに、鹿嶋は「それでいい」と言う。


「どうしても今日、紗蓉子に会いたくてしょうがなくて、ここまで来ただけだから」


「どうして……」


「今日は、星がきれいだから」


 紗蓉子はそこで初めて、見ようとも思わなかった夜空を見上げる。皇都の中心をはなれ、夜に灯る電灯もまばらなこの街では、確かに星はきれいだった。


「紗蓉子、この街で、星を見たことはあった?」


「なかったかもしれません。夜には出歩かないから」


 できないと思っていたのに、紗蓉子は鹿嶋の前で自然に笑えている。


「俺はあなたと分かち合うものも、あなたに与えるものも、何も持たない男だから、せめて綺麗なものを見て、笑ってほしかった」


 もうこれ以上先がないものを、切り詰めて、削り取っていくような痛切さだった。心が波立って、騒いでいる。目のまえの男に、そんなことはないと大きな声で言いたかった。


「紗蓉子、明日は必ず来てほしい」


 どことは言わなくてもわかっている。


「待っているから」


 おやすみと言い、鹿嶋は軽々と塀を乗り越え、小さな余韻も残さずに消えてしまった。夢だと思い込もうとすれば、できそうなくらいすぐに消えてしまった。




 翌日、紗蓉子は社へ続く小路の前に立っていた。この(みち)に飛び込むことを迷う日はなかった。そして今も、迷ってはいない。


 竹の葉のそよぐ音を聞きながら、少しずつ明るいほうへ導かれていく。開けた先には、鹿嶋(かしま)がいた。


 鹿嶋は走り寄っては来なかった。ゆっくりとやってきて、紗蓉子の前で立ち止まる。


「このまえは、悪かった。怖がらせた」


 紗蓉子は黙って首を振る。なにも言えなかった。


「紗蓉子に、触れていたい。触れてもいい?」


「……はい」


 もう鹿嶋は紗蓉子の腕を引いたり、大きく動いたりはしなかった。


 そっと歩み寄って、包み込むように背中に手を回す。壊れやすいものがどこまで力を入れるのに耐えられるか、確かめるような慎重さだった。それから鹿嶋が止めていた呼吸を、自分の肩口で吐き出すの感じた。


 ああ、私はなぜ、この心を怖いなどと思ったのだろう。ただ触れていたいという想いなら、自分のなかにもあったはずなのに。


「紗蓉子」


「はい」


「紗蓉子」


 鹿嶋の、とてもうれしそうな声がする。きっと笑っているのだろうと、見なくてもわかる。紗蓉子はあふれる涙を止められなかった。悲しいのでも、うれしいのでもない。名のつけようがない感情が、決壊してあふれ出た先が涙だった。


「鹿嶋さま、ごめんなさい」


「どうして謝る」


「ごめんなさい」


「謝るなら、一緒にいて」


 鹿嶋が、腕に力をこめたのがわかった。


「俺と、ずっと一緒にいて」


 一緒にいてよ、紗蓉子。

 こんなにも熱をこめて人から名前を呼ばれたことはなかった。こんなにも溶けてしまいそうなくらい、強く強く、抱きしめられたこともなかった。





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