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ある魔法使いの副官―運命に選ばれなかったものたち―  作者: はやぶさ8823
第2章 ある魔法使いの副官 鹿嶋追憶 2820年
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十一 君に追いついた夜のこと


 紗蓉子(さよこ)は、鹿嶋(かしま)に舞踏会参加の承諾を得てから、帰宅後すぐにユラにそれを告げた。


 皇修館の教育課程のひとつであるから、もちろんユラは舞踏会について把握している。会の当日まであまり日がないが、「お衣装をご用意しましょう」と答え、準備を進めてくれた。


 その過程で一度だけ、「ご一緒に参加されるお相手役の方はどなたですか」と尋ねられた。


「佐治侯爵家のご子息です」


 紗蓉子はそれだけ言い、鹿嶋の名前は隠した。本人に会ったこともないユラが、伝え聞く鹿嶋の悪評だけを信じて、紗蓉子の自由を奪うことを恐れた。


 爵位を持つ家は、日高見国内(ひたかみのくに)に、軽く五百家はある。そのすべてをユラが把握しているわけではない。そこに賭けている。


 紗蓉子はここで暮らし始めてから、嘘はつかず、言いたくないことだけ隠すことを覚えた。


 ユラの追及は免れそうだったが、紗蓉子にはそれよりもっと心配なことがある。肝心の鹿嶋との間に、舞踏会の話題がまったくあがらない。


 それなのに鹿嶋は、近ごろ紗蓉子(さよこ)について、どうでもいいことばかり尋ねてくる。今は、親兄弟についてきかれていた。


「兄と姉が、一人ずつおります」


 ふーんと言いながら、鹿嶋は胸に抱え上げた黒猫をじっくり撫でていた。いつもの(やしろ)にやって来る猫のなかでも、とりわけ鹿嶋によく懐いている子だった。


 こうやって何かきかれるときは、ずっと鹿嶋が見つめてきて、紗蓉子は落ち着かなくなる。


「仲はいい?」


「兄とはそれほど。八つも離れておりますので」


「俺も兄貴とは十は離れているからやはり遠い感じがする」


「鹿嶋さまのお兄様は怖い?」


「怖くはないが、面倒かな。あと、剣の腕はあほみたいに立つから、いまだに一度も勝てたことがない」


「十年の差があるのだから、当然ではありませんか」


「でも、兄貴が俺と同じ年だったころは、たぶんもっと強かった」


 鹿嶋は学校こそ通い続けるのが難しいが、剣の稽古は一日も欠かしたことがないという。どこかにもっと向いた環境があるのではと紗蓉子は思う。


「鹿嶋さま、よく兄上様のことを見ているのですね」


「なんでそうなる」


「だって私、自分の兄が今の私と同じ年だったころなんて、ちっとも思い出せない」


 皇太子殿下が十五歳のころ、紗蓉子は七つ。イスカに会って間もないころで、あのころ紗蓉子は、姉のイスカに夢中だった。


 母である皇后陛下が身まかられたのもこの時期で、さみしがって泣く紗蓉子を寄り添って甘えさせてくれたのは、イスカだった。


「紗蓉子の姉上は?」


 何してる? 鹿嶋はまたきいてくる。


「姉上は、今は……遠いところにいらしてお会いできないけれど、お優しい方です。皇修館も姉上の勧めで進学しました。……姉は、強くて、恰好よくて大人で、すごくおきれいで」


「兄のときとまったく様子が違うが」


「そ、そうですか?」


 また、ふーんと言って、鹿嶋が黙る。


 笹の葉同士が風にこすれて、さやさやと涼しげな音が鳴る。


 (きた)る七月を間近にひかえ、暑気が地面から這い上がってくるが、この社のまわりはまだ涼しい。


 紗蓉子は、鹿嶋に舞踏会当日のことについてききたかった。どこかで待ち合わせして参りますか。お料理が楽しみですね。お天気もよいといいですね。そんな、たわいない会話でいいから。


「鹿嶋さま…」


「もう、行く」

 

 抱いていた黒猫をそっと地面に置いて、鹿嶋は振り返らずに帰ってしまった。


 ああ、きっともうこれは、来るつもりがないのだなと紗蓉子は悟ってしまう。当日まで一度も二人の間で会話に上らなければ、忘れていたと言い訳もできるだろう。

 



 舞踏会の五日前、ユラが紗蓉子(さよこ)にと用意してくれた衣装は、中紅(なかくれない)色のバッスルスタイルのドレスだった。


 首元のリボンだけが見事な真朱(しんしゅ)で、万両(まんりょう)の実の赤と、葉の緑の関係のように、紗蓉子の(みどり)のひとみとよく合った。蛋白石(オパール)で作られた揃いの耳飾りと首飾りも用意されている。


「紗蓉子さまのおばあ様の御守石(まもりいし)が、蛋白石(オパール)であらせられました」


 紗蓉子はその耳飾りと首飾りの入った化粧箱だけをそっと自室に持ち帰り、鏡台の前でこっそり付けてみた。


 鏡の前の自分は、大きめの蛋白石の水面を流れるようなきらめきが不釣り合いで、何か悪いことをしている気分になる。


 急に恥ずかしくなって、紗蓉子は急いでそれらを外すと、丁寧に元のように箱に収める。


 これほどなにもかもきちんと用意してもらえるとは思っていなかった。そしてそれが、返って惜しいと思う。


 当日鹿嶋は来ず、紗蓉子は会場にも入れず一人で夜風を浴びることになるだろう。相手は鹿嶋(かしま)なのだから、仕方がないのだ。自分が悪いと紗蓉子は言い聞かせる。



 あっという間に舞踏会の当日の夜が来て、案の定、鹿嶋は開場まで四半刻を切っているというのに、まだ自室でくすぶっていた。


「さっぱりわからん」


 誘われる回数ばかり多くて、実際に夜会に出たことがないのが敗因だ。なにを着ていくべきか、厳格に定められた服装規定(ドレスコード)の意味がわからない。


 もとより行く気がないのを見抜かれて、一陽(いちよう)にはだいぶ責められた。


 早めに紗蓉子さんに断りを入れろとしつこく言われたが、しなかった。その理由を問われて、断ればほかの男を誘うことになるかもしれないからと答え、さらに呆れられて相談する相手がいなくなった。

 

 部屋の座敷一面に手持ちの服を並べてみたが、なんだかどれもちがう気がする。なにもかも嫌になって、鹿嶋はふて寝しはじめる。


 大丈夫。紗蓉子には明日謝ればいい。きっと許してくれる。紗蓉子は優しいから。でもそれで本当にいいのか、自分でもわからない。


 唐突にからりとふすまが開いて、仁王立ちの尚隆(なおたか)が寝転がる鹿嶋を見下ろす。


「兄上」


 あわてて起き上がる鹿嶋に、尚隆は表情一つ動かさず尋ねる。


「今日は中等部の舞踏会だな」


「はい」


「行く予定があったのか」


「一応は……」


「お前、上背(うわぜい)はいくつだ」

 

 尚隆は、と意図のわからない問いかけをする。ほうけて事情を呑み込めずにいる鹿嶋に、今度は、立てと短く命ずる。言われた通りに立ち上がる鹿嶋の姿に、尚隆は驚いた顔をする。


「鹿嶋」


「はい」


「背が、ずいぶん伸びた」


 すこし、笑ったような気がした。

 尚隆はずかずかと鹿嶋の部屋に踏み入ると、散らされた服を見まわし確かめながら、早口で並べ立てる。


「燕尾用のシャツとベストは私のものを貸す。多少大きさは合わないが、不格好にはなるまい」


 お前が大きくなったから、と尚隆は付け足す。


「側章付の洋袴(スラックス)は……ないな。時間がない。私のもので裾上げだけ頼もう」


 そう言うと尚隆は「誰か」と屋敷の奥に向けて人を呼びつける。


「ベルトは使わぬ。そのあたりに捨て置け」


「あ、兄上! もういいです。行かないことにしたので」


 大変な勢いで事を進めようとする兄の姿を鹿嶋はあわてて止めようとする。しかしそれを、怒気も含まんばかりに尚隆はさえぎった。


「黙れ。お前のためではない。お前がここにいるということは、こんや会場で待ちぼうけを食っているご令嬢が、確実にひとりいるということだ。貴様は明日からも、そのご令嬢とこれまで通り会話ができるのか」


 紗蓉子はきっと許してくれる。でも。


「一度失った信頼を取り戻すのは、深海に潜るより困難だが、その覚悟はあるか」


 一体兄はどこの誰に何をしたのだろうか。この様子では、まだ許しは得られていないのでは。鹿嶋は急に怖くなる。


「ない……です」


「なら急げ」


「はい」



 皇修館の敷地内にある、学校行事用の洋館の前で、紗蓉子はひとり夜空をながめていた。洋館の突き出た塔屋の花頭窓(かとうまど)の奥には小さな鐘があって、その音が鳴るまでは舞踏会は続く。


 今日はユラが薄く化粧もしてくれて、馬車まで仕立ててくれた。でも、やっぱり鹿嶋は来ない。


 あきらめてはいけませんと、さっきまで鏡子がそばにいてくれた。彼女のみならず、相手役の従兄(いとこ)殿まで待たせては申し訳ないので、先に会場へ入ってもらい、紗蓉子は一人になった。


 昼間の暑さが感じられるようになってきた半面、夜風は気持ちがいい。


 鎧戸(よろいど)が開け放たれた窓からは、きらびやかな光が漏れて、会の賑わいを伝えている。


 もう紗蓉子は悲しくはなかった。完全にあきらめていて、さみしくもないし涙も出ない。でも、明日から鹿嶋とどのような顔をして会えばよいのかは、まだわからない。


 わたしのこの諦念を無視して鹿嶋さまがいつも通りなら、それは失望につながるかもしれないと感じている。


 その時、親の死に目に急ぐかのような勢いで飛び込んできた一台の馬車があった。勢いよく扉があいて、転がり出るように飛び出てきたのは。


紗蓉子(さよこ)!」


「鹿嶋さま!?」


 鹿嶋は洋館入口の階段を駆け上がると、走り抜けながら紗蓉子の手をとる。柔らかい革の手袋の感触を、レースの手袋越しに感じる。


「行こう、まだ間に合うかな」


「どうして」


 鹿嶋はその言葉を、なぜ来たのか? ではなく、どうして遅れたのか? だと受け取る。そして恥ずかしそうに跳襟(はねえり)の角をつまんで言い訳する。


「だって見てくれよこの服! 着方が全然わからないんだ! 結局兄貴に着せてもらったよ」


 その顔に、紗蓉子は思わず声をあげて笑ってしまった。


 会場では、終わりから数えて数曲目の音楽が流れている。その音を目指して、磨かれた大理石の床を駆け抜ける。こんな、息を切らしながら駆け込む舞踏会なんてあるだろうか。


 それから二人は、互いの足も踏みあうようなめちゃくちゃな踊りを踊って、それでも、もうまわりの人間がなんと言おうとどう思われようと、どうでもいいくらい最高に楽しい。


 その夜は紗蓉子も鹿嶋もずっと笑っていて、たったそれだけのことだが、それがすべての夜だった。


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