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ある魔法使いの副官―運命に選ばれなかったものたち―  作者: はやぶさ8823
第2章 ある魔法使いの副官 鹿嶋追憶 2820年
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八 呼び名

「佐治さま!」


 紗蓉子(さよこ)は翌朝、いつもより相当早く家を出て、通学途中に(やしろ)へ寄った。すると浜縁で鹿嶋(かしま)が丸まって眠っている。


「なんだ、日野紗蓉子か」


「まさか昨日、お帰りにならなかったのですか」


「ああ」


 いくら初夏を迎える時期とは言え、夜は暖かいとは言えない。そんな夜を露天で過ごすとは、紗蓉子(さよこ)は予想もしていなかった。


「ご実家へのご連絡は……」


「していない」


「それは……大事にはなりませんか」


「そりゃあお前が一日帰らなければ大騒ぎだろうが、俺の家は俺が一晩行方をくらませても気にしない……たぶん」


 何か思い出して、鹿嶋は少々顔をゆがませたが、すぐに浜縁の下を指さして、「生まれているぞ」と言う。紗蓉子はすぐさま制服であることを忘れ地べたに座り込むが、鹿嶋に触るなと忠告される。


「人間のにおいが付くと嫌がるやつもいるから、遠くから見るだけ」


「はい。とのこ(・・・)は元気ですか」


「ん、たぶん」


「よかった……。とのこ。がんばったね」


 のぞき見る程度では何匹仔猫がいるのかもわからなかったが、紗蓉子はうれしくて何度もとのこ(・・・)に話しかけた。


「佐治さま、ありがとうございます。佐治さまがいてくれて、本当によかった」


「別に日野紗蓉子のためにしたんじゃない」


「知っています、ちゃんと」


「猫はもともと一人で子どもを産む」


「はい……それも知っています」


 でも、やっぱりあなたがいてくれてよかった、と紗蓉子(さよこ)はもう一度言う。

 それから鹿嶋は長くため息をついてから、漏れだすような声でつぶやく。


「腹減った……」


 紗蓉子は、この方もしや昨日の夜から何も食べていないのではと気づいた。


「わたし、なにか買ってきます」


「朝早い。どこもやってないだろ」


「早くから開いているお店もあります。探せば」


「いいから、ここにいて。少し眠りたい」


 呼ばれて紗蓉子も浜縁にあがると、鹿嶋のとなりに座る。


「全然寝ていないのですか」


「うん。いや……少しだけ、寝た」


 背中を丸めて鹿嶋はそのまま動かなくなった。夜は冷えなかったろうか。鹿嶋はもう夏服だった。


 か細い仔猫たちの声を下に聞きながら、すぐ横の彼の寝息が乱れていないのを確認する。紗蓉子は音を立てないよう気を付けて、浜縁から足を垂らして空を眺めた。平和で、静かだった。イスカもきっと、こういう時間が好きだろう。


 一体どれくらい時間がたっただろう。かたまりだった白い雲が、風に散らされて形を変え細くなっていた。むっくりと鹿嶋が起き上がる。


「もういい時間だから、そろそろ行かないと遅刻する」


「佐治さまは大丈夫ですか」


「ん」


「一度お帰りになりますか」


「いや」


 学校行かないと、と鹿嶋は目を閉じたまま呪文のように唱えている。


「佐治さまも大丈夫なら、来てくださいね。学校」


「ん」


 半分眠ったような様子で返事をする鹿嶋を残し、紗蓉子は「待っていますから」と言い、学校への道を急いだ。


 その日、紗蓉子は頻繁に外を眺めて、鹿嶋が中等部の塀を超えてくるのを待っていたが、ついにその姿は現れなかった。



 次の日も、鹿嶋は学校にも社にも姿を見せなかった。


 その間、紗蓉子は猫のとのこ(・・・)とその子ども達になにかしてやりたかったけれど、触るなと言われていたので、耐えて遠くから眺めておくだけにしていた。


 (やしろ)で背後から人の近づく気配がして、紗蓉子は険しくなりそうだった眉を開いて振り返った。


「佐治さま」


 しかし、そこで鹿嶋の顔を見て、動けなくなってしまう。


「ひどい顔」


 片目は完全に腫れていて、(まぶた)が切れていた。反対側の頬にも、引きかけの内出血のあとがある。よく見ると、顔ばかりでなく腕にも痛々しいあざが多数ついていた。


「あー……兄貴にやられた。やっぱり、外泊はだめだったらしい」


 鹿嶋は面目ないという顔で、苦笑いしている。


折檻(せっかん)で……?」


 紗蓉子(さよこ)はおそるおそる尋ねる。


「いや。鍛錬場で、木刀持ってやりあうんだ」


「防具は付けないのですか」


「兄貴とのときは、付けないな」


「あの……ごめんなさい」


「なんでお前が謝る」


「だって佐治さまが残ってくれたおかげなのに……こんな」


「兄貴とは、勝負なんだよ。俺が強ければこんなにはならない。自業自得だ」


 鹿嶋はその場でしゃがみこんで、囲いの奥で母猫と仔猫が無事なのを感じると、ふっと息をつく。


「……とのこ(・・・)が初めてじゃないんだ」


 意味もなく、鹿嶋の右手が行き場をさがして石畳の間の雑草をいじっている。


「前にもここで仔猫を産んだやつがいて、俺は夜帰って朝戻ったら、母猫はもうどこかに行ってて、仔猫はカラスに食い荒らされていた」


 紗蓉子はきゅうと喉の奥が狭くなって、吸った息を吐くことも飲み込むこともできなくなった。それをたった一人で見つけた時、鹿嶋はどんな気持ちだったのだろう。


「母猫が産んだあといなくなることはあるらしい。だから心配でさ。でも、とのこは大丈夫だった」


 彼は地べたに無造作に放り出したカバンから、缶詰を取り出す。


「あっ、それ……」


 猫用の缶詰。


「あ、あげてもいいんですか!?」


「だってエサ取りに行けないだろ」


 それが許されるなら自分だってあげたい。

 紗蓉子は浜縁の下から戻ってきた鹿嶋に、食いつくように話しかける。


「佐治さま!」


鹿嶋(かしま)でいい」


 不意打ちで思いがけない答えが返ってきて、紗蓉子ははじめ驚き、それから心臓がなり出すのを感じていた。なにも言わない紗蓉子に、鹿嶋が繰り返す。


「鹿嶋と呼べ」


「そのお名前、お嫌いだったのでは」


 確かに嫌いだから呼ぶなと言っていたではないか。


「どっちの名も嫌いだ。佐治も、鹿嶋も。鹿嶋のほうがまだマシ」


 そうですかと、か細く言って、そのまま紗蓉子は下を向く。この話、いつ終わらせればいいのかわからない。


「じゃあ呼んでみて」


「今ですか」


「そう。試しに」


「……鹿嶋さま」


「何?」


 下を向く視線をすくい取るように、鹿嶋が紗蓉子の顔をのぞき込む。


 眼が、うれしくてたまらないというようにきらきらと光っている。あの青っぽい白目の真ん中の、夜のように真っ黒い虹彩が、きらきらと。


「あなたが呼べと、言ったので……!」


 呼んだだけですと、最後消え入りそうな声で紗蓉子は、やっと言う。


「そうだった」


と、またけらけら笑っている。なんだか悔しくて、紗蓉子は鹿嶋をびっくりさせてやりたくなった。


「鹿嶋さま」


 振り返った顔の横に、触れはしないが手をかざす。絶対になんとも反応しないと思ったのに、鹿嶋は走っていた人間が急に止まろうとするような動揺を、顔と体で示して来る。そんな驚き方をされると、こちらまで戸惑ってしまう。


 でもすぐに彼は自分の体に起こったもっと大きな異変に気付く。


「治った」


 自分の傷だらけだったはずの顔に触れ、腕のあざの消えたのをまじまじと見つめている。それより前に痛みも消えたはずだ。突き飛ばされたように立ちすくむ鹿嶋に、紗蓉子が説明する。


「加療術です。魔法の一種です。軽いケガなら治せます。病気は無理ですが、わたしは役立つ魔法と言えば、これしか使えません」


 加療術は魔法の中でも使えるものが限られた、ひとつの技能と言っていい。


 明確に、鍛錬(たんれん)や努力以外の素質が必要な分野であり、本来なら使用できることを誇ってもいい。


 紗蓉子が自分の成せる魔法に対し過剰に謙遜するのは、仲月見(なかつきみ)イスカの存在がある。


 一つの世代の魔法使いと名乗れる魔法の使い手の中から、詠唱魔法使用者の出現はさらに珍しい。希少性の高さでは比べるべくもない。


 十二の頃に能力を自覚して以来、イスカはその力を日高見国(ひたかみのくに)のために使うよう、彼女を取り巻く全方位から求められている。


 それに比べたら、紗蓉子(さよこ)の魔法は、大海に投じた落石のように、さざ波にもならない。


 イスカの妹だからと根拠のない期待を寄せられて、結果得られたものがこれだから、勝手に失望されたこともある。


 たった一人、皇宮に詰める加療術士のなかで、紗蓉子の才を見出し、信じて加療術について説いてくれた"先生"がいた。もっとも高齢で、置物のような物静かな先生のもとに通って、紗蓉子は誰にも気づかれることも褒められることもなく、静かにこの力を温め続けた。


 「いつか皇女宮の外で、この力があなた様を助ける日がくるでしょう」老加療術士は、その日が来ることを疑っていないようだった。そのいつか(・・・)はきっと、今日ではないと思うけれど、紗蓉子(さよこ)鹿嶋(かしま)にこの力を見せた。


 鹿嶋は、痛みと傷あとの消えた自分の顔を何度もさわって確かめながら、


「紗蓉子はすごいな」


と、なんのけれんみもないまっさらな笑顔で言いぬく。


 そしていつの間にか、紗蓉子、紗蓉子と、鹿嶋は彼女を呼び捨てにする。苗字がどこかへ行ってしまった。


——これ、明日からもそうなのですか。


 聞けないまま、帰り道、紗蓉子は機嫌のいい鹿嶋の後ろをついて歩く。




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