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夜と君

落っこちてきそうなくらいの飛行機の轟音が、人気のない公園に鳴り響く。

太陽は人間を照らし続けるという一日の役割を果たし、月と交代に沈んでいく。

ピンクやオレンジ色にグラデーションされた空はとても綺麗で、そこに浮かぶ夕日は宝石のように延々と輝きを放っている。


大学二年生の僕は、一人、ブランコに揺られながら缶コーヒーを啜っていた。


春が近づき、空気が温かみを帯びてきたため、もう上着も必要ないという気がしてくる。僕にとっての春は、もう少し寒くてもいい。


僕には、両親も友人も、恋人もいない。父と母は僕が三歳の時に交通事故で他界した。葬儀の時に、大して仲のよくなかった叔母に、「可哀想ねえ、こんな幼くして両親を亡くすなんて。」と涙を流して同情されたことに嫌悪感を覚えた。僕は、特段悲しくもなく、涙は出なかった。その姿が冷酷に思われたのか、親戚や身内からは陰で氷男と呼ばれるようになった。その後は養護施設に入ったが、元々一人で本を読むのが好きだったせいか、友達は一人もできなかった。もちろん、恋人もできなかった。


ずっとひとりぼっちだった。


しかし、それに慣れきってしまったのか、苦だと感じることは一度もなかった。

なぜだろう。

僕の心の中にはもともと穴が空いていて、ドーナツ状で、何か大切な感情が欠けているかのようだった。


僕には日課があり、大学終わりに公園に寄り、こうして時々ブランコに揺られながらぼーっと過ごすことだった。それは一日の疲れを癒し、元気づけてくれる行為だった。

公園内にあるのは、木でできた机と椅子と、ブランコと、ジャングルジムだけ。

閑静なそのがらんとした雰囲気は、僕の気持ちをさらに落ち着かせた。


ふと、顔を上げると、公園の入り口に見かけない女が立っていた。

二十代後半、背丈はスレンダーで、芸能人のように、黒いサングラスとマスクをしている。


目があったかと思うと、女はだんだんとこちらに近づき、僕の隣に腰掛ける。


女はサングラスとマスクを外す。

艶のある黒髪、真っ白に透き通った陶器のような肌、つぶらな瞳があらわになる。

この世のものとは思えない、美しい容貌をしていた。

なんと、なんと可憐なんだろう。

全く笑わないその姿はまるで、人形のようだった。


今や、錆びたブランコの、キーコキーコという音だけが公園を支配していた。


彼女は喋らない。


気まずい沈黙が流れる。


「あ、あの」


思い切って話しかけた僕の言葉を遮るように彼女は言った。



「コーヒー、美味しい?」



それが僕と彼女の始まりだった。

彼女は自分のことをヨルといった。僕はここ最近は毎日公園に通うようになり、彼女と一緒に缶コーヒーを飲みながら、いろいろな話をした。彼女は飲食店で働いていること、兄弟がいないこと、僕が高校時代の同級生に似ていることなど、さまざまなことを打ち明けてくれた。ヨルは気が向くと大学の方にまで訪れるようになり、一緒に話をしながら帰った。ヨルに会えるのだと思うと胸が高鳴り、授業の終わりにはすでに彼女のことで頭がいっぱいになっていた。


僕はヨルに会う前に必ず自分自身を俯瞰した。自分は一体どんな顔と声なのか、どんな性格だったか、彼女に会うのに相応しい人間かどうか。だけどそれはいくら考えても仕方のないことだった。彼女は僕のありのままを受け入れてくれたし、見た目など気にもしていない様子だった。

ふと、出会った日、なぜ彼女が僕の隣に座ったのかが気になった。


「ねえ、どうしてヨルは、僕に声をかけようと思ったの?」


彼女はブランコを揺らしながら僕の方を見て、答えた。


「この近くに住んでてね。君が毎日家の前を通るから、気になってつけてみたんだ。でもまさか、公園にいるなんて思ってもみなかったよ」


彼女はニコリと笑った。


いつの間にか、僕は彼女を大切に思うようになっていた。


それは、彼女も同じだった。


僕は、「愛」という感情を初めて知った。



「…ねえ、もしこの世界から愛が消えたら、君はどうする?」



あるとき、いつものブランコで、冗談半分のつもりで聞いてみた。



しかし、彼女は深く考えた様子で言った。



「難しい質問だね」



しばらく彼女は考えていた。その間、小鳥のさえずりが聞こえたり、池で魚の跳ねる音が聞こえたりしていた。



「君を殺して、わたしも死ぬ」



柔らかく微笑んで、そう答えた。



僕には彼女の言葉の真意が掴めなかった。



「どうして?ヨルは死ぬことが怖くないの?」



「そうだな。君を愛せなくなることの方が怖い。」



僕がきょとん、としていると彼女はこう続けた。



「君を愛してるってことだよ」



「僕も、ヨルを愛しているよ」



彼女はこれまでにないくらい満面の笑みを浮かべ、僕に抱きついた。

あたたかな彼女の吐息が、僕の肩にかかる。彼女の豊満な胸の感触が伝わった。

僕の心臓はどくどくと脈打っていた。


「君と、一生離れたくない」



「僕もだよ」



なんだか、この儀式が、一生のお別れみたいで嫌だった。彼女と会うことは気がつかないうちに僕に幸せをもたらしていたからだ。その幸せがだんだんと膨らみ、破裂してしまうのではないかと恐れるほどに。



しかし、別れは突然やってきた。



次の日から、彼女は公園へと来なくなったのだ。

僕は土曜日、バイト終わりに公園へ寄ったが、いつもは先にブランコに座っているはずの彼女がいなかった。

その日は諦めて家に帰ったが、その次の日も、またその次の日も彼女は姿を現さなかった。

不安と恐怖が、どっと押し寄せてきた。彼女に何かあったのか。それも僕は何も知らない。住所も、電話番号も、彼女の本名すら、知らない。



それから三ヶ月経ってもヨルは現れなかった。



彼女がいなくなってから、僕の生活は着実に堕落していた。家の中はほぼゴミ屋敷で、あちこちにゴミ袋が散乱している。今までは何不自由なくできていた物事が、急に、斜面を転がるようにできなくなってしまったのだ。料理だって同じだ。僕は一週間カップヌードル生活を送っていた。

僕はヨルがいなくなってから汚染されたように変わった。

このままじゃダメだ、と思い、僕は思い出の公園へと足を運ばせる。

何か、元気のようなものをもらえるかもと思ったからだ。



今日もそこにヨルはいなかった。



彼女の面影を一つずつ丁寧に拾うように、会話を思い出していた。



ある日、彼女は言った。



「私ね、夜が好きなんだ」



「ヨルって、君の名前だね。だから夜が好きなの?」



「違うよ。これは、本名じゃない。自分でつけたの」



彼女は自分の髪の先をくるくるとねじりながら言う。

その姿が綺麗で、思わず、見惚れてしまった。



「じゃあ、どうして夜が好きなの?」



「太陽がいないから。暗闇で、自分を照らす存在が何もないって、素敵でしょ。私は、ひっそりと、目立たないようにこの地球で暮らしていたいの」



「でも、月があるじゃん」



彼女は、ムッとしていった。



「それとこれとは話が別!」



「君は、太陽の下にいても月の下にいても綺麗だよ」


そう言うと、彼女の白い頬がうっすらと紅色に染まった。

その姿が沈みかけた夕日と重なって頭がくらくらした。


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