夜景
金曜日の仕事が終わる
いつもと違う駅で電車を降りる
街灯も少ない路地の果てに、その店はある
残業が遅くなり過ぎない限りは、私は週末の夜はこの喫茶店で過ごす時間を楽しみにしていた
実のところ、メニューで夕飯になりそうなものはホットサンドがあるばかりだ
それでも私はこの店のコーヒーの匂いと、窓から視る藍色の夜空が好きだった
店の明かりが眼の前になる
私はイヤホンで聴いていた音楽を止めると、ドアに手をかけた
ドアを開く
何か大きな違和感があった
すぐにそれが、いつも流れているラジオの音が無いからだと私は気が付いた
そのラジオに耳を澄ます店長の姿も無い
人通りも少ない通りなので夜の音さえしなかった
慣れ親しんだ筈の店が、今の私には少し不気味な場所に思えた
こんばんはと店の奥に声をかけたが、返事は無い
カウンターの奥の部屋に、明かりが付いているのが視える
何か予感がした
良くない種類の予感だった
少し躊躇したが、私は店のカウンターの中に入ると奥の部屋に足を踏み入れた
カウンターの奥は店長の家になっているらしく、明かりの付いた部屋の中には炬燵、テレビ、カレンダーに食器棚と…うつ伏せに倒れた男性の姿があった
服装から視て、それが店長だった
店長は後頭部が果物の様に割れた無残な姿で、微動だにせずそこに倒れていた
───
「つまり」
通報に駆け付けた警官が言う
「さっきまで、そこに店長の死体が有ったんですね?」
警官が溜息を付く
明らかに信用していない
私も少しずつ、自信を失い始めていた
「そうです…うつ伏せに倒れていて……」
「でも、いま何処にも死体はありませんよね?」
警官が私の言葉を遮る
「また何か解ったら連絡を下さい、失礼します」
警官は苛立ちながらパトカーに乗ると去っていく
私が警官を待つ為に表に出た短時間のうちに、店長の死体は忽然と消えてしまっていた
物音一つしない店内に私一人が残される
一体店長は何処へ消えてしまったのだろう…
或いは、総ては幻だったとでも言うのだろうか
私は広くない店内を、隅々までもう一度調べる
テーブルの下、カウンターの内側、住居の空間…
私が炬燵の中を覗いていた時、店内で物音がした気がした
急ぎ店に戻り、辺りを見渡す
テーブルの上、店のドアの外、食器棚の上……
食器棚の上に視線をやった時、私は呼吸が出来なくなった
「驚いて心臓が止まった」という言い回しがあるが、この状況がまさにそうなのだと解った
店長は食器棚の上、天井との隙間の僅かな空間に居た
うつ伏せの頭が割れた姿で、片方の眼窩から眼球をはみ出させながら
そして私を視ていた
既に息は無いのかも知れないが、視線は見紛う事なく私の方を向いていた
静かな夜に音が産まれた
それは悲鳴だった
暫くしても、まだそれは聞こえ続けていた
その時になって私はやっと、それが自分の出したものだと気が付いた