9.ワガママな魔女
先ほどと同じ廊下を、先ほどとは逆向きに辿る。
シャーロット王太子妃殿下とのお茶会を終えた私は、再びジョシュアさんに伴われて自室へと戻っていた。
相変わらず私の前を歩くジョシュアさんに言葉はなく、低い位置で一つに纏められた濡羽の長髪が揺れている。尤も、絶賛脳内反省会議開催中の私もそっちの方が都合がいいけど。
余計なことを沢山言った気がする。今後、今日の発言が理由で不敬罪なんて言われたらどうしよう。高貴なお方に対して強気すぎたかもしれない。もし王太子殿下や王太子妃殿下が私を罰する気になったら、昨日の王太子執務室での一件でワンナウト、今日のお茶会でツーアウトだ。いや、最初に周囲からの喧嘩を買いまくった件を入れればスリーアウトか。バッターチェンジ!
脳内審判が拳を掲げる。ああ、ダメだ。上げだしたらキリがない。
だけど、それでも私は私の安寧のために戦うと決めたのだ。味方どころか知り合いすらいない異世界で、私の身の保証なんてありはしない。だからこそ強引にもならないと、私なんて風に吹かれる枯れ葉のように取るに足らないと蔑ろにされ続けてしまう。今のところ、私の首と胴は繋がっているわけだし。
うーん、でもなあ。脳内では同じ議題がぐるぐると繰り返される。考えたって仕方のない事だけど、それでも思い悩むのは人の性だ。そうやって一人堂々巡りの自問自答をしていた時だった。
「貴女は恐れと言うものを知らないんですか」
不意に前方から響いた言葉が私へ向けられたものだと理解するのに時間を要した。私の前をこちらを一瞥もせず歩いていたはずのジョシュアさんがこちらを向いて立ち止まっている。その作り物めいた無表情の奥に呆れのようなものが見えたのは気のせいか。というかこの人、業務連絡以外で喋るんだ。
「知ってますよ。明日を思うと怖くて夜も眠れません」
わざとらしく肩をすくめて返すと、ジョシュアさんは片眉だけわずかに動かした。
「あれが、恐れている者の態度ですか」
その言葉からはさっきよりもはっきりと呆れを感じる。おう? 何だ、やんのか? ……なんて、冗談はさておき。
「恐れているからこそ、ですよ。そうしないと私は、呑み込まれてお終いだから」
この世界がどうかは知らないけど、少なくとも元居た世界では歴史がそう語っている。何もしなければ、濁流に呑まれて消えるのみの運命だから。
「私はワガママなので、自分の運命は自分で選び取ったものがいい。その選択の果てが、破滅だったとしても人の意思で決められる未来よりはずっといいですから」
そう。私はワガママなのだ。そして気は短い。己のワガママは己の力で掴み取るのが私の信条。そんな私の言葉に、彼は分かりやすく目を見開く。それは初めて見た、彼のわかりやすく人間らしい表情だった。
「……それは、強情なことですね」
「ええ。なんせ私は魔女ですからね」
何となく和らいだ声色に私も微笑を返す。もっと怖い人かと思ったけど、案外そうではないのかもしれない。
「……私は、貴女のことを誤解していたようです。もっと考え無しな方かと」
「びっくりするくらい言葉を選ばないんですね。もっと遠回しで婉曲的な表現があるでしょう」
「貴女には意味がないと判断しました」
随分と明け透けに言う。それに、誤解はこちらのセリフだ。
「ジョシュアさんこそ、私には塵ほどの興味もないと思ってました」
「……貴女も言葉を選ばないではないか」
僅かに崩れた口調。前の事務的で冷淡な言葉より、こちらの方がずっといい。
「お返しです」
笑いながら言った私の言葉に、彼は長いまつ毛を伏せ、小さく息を漏らしただけだったけど、それすらも以前より柔らかく感じた。