5.これは脅迫ではなく交渉です
王太子が指定した日、指定された時間の数分前に部屋の扉が叩かれる。現れたのは黒い長髪に柘榴のような瞳をした見目麗しい男性だった。確か、私が召喚された日水晶玉を持っていた人だ。今日もあの時と同じく魔法使いらしいローブを羽織っている。
「お約束通り、お迎えに上がりました」
「ありがとうございます。すぐ行きます」
彼は作り物のような笑顔を張り付けて言った。胡散臭いが、紳士的に扉を開けたまま待ってくれている。私は必要なものを持って立ち上がった。さあ、頑張るとしましょう。
先導されて向かった先は初日に通されたのと同じ執務室だった。中では既に王太子殿下が待っており、彼が座るのと反対側のソファーを指される。大人しく座ると紅茶の準備が始まった。黒髪の彼は王太子殿下の後ろに控える。護衛騎士くんもいて、あの日と同じような構図になっていた。尤も、今日は銀髪くんとまりあちゃんはいないのだけど。
部屋の中は緊迫した空気が漂っていた。全く、居心地の悪い。
間もなくして温かい紅茶とお茶請けのクッキーが揃ったところで王太子殿下は口を開いた。
「リラ、君に付けた侍女から苦情が上がってきていてね。君に酷いことをされた、と言うんだ」
あの女、よくもまあぬけぬけと。酷いことをしているのはどっちだ。
「それで、王太子殿下はその侍女の言い分を真に受けて私を呼び出した、ということですか?」
「貴様、殿下に向かってなんと――」
「構わない」
私の偉そうな態度に護衛騎士が殺気立つ。それを王太子殿下は手をかざすことで抑えた。おお、怖い。そんなに怒らないで。話はこれからでしょう。
「君からも、言い分を聞こうと思ってな。実際、どうなんだ?」
スッと細められた王太子殿下の目が私の目を捕らえる。その視線が、嘘は許さないとでも言っているようだった。尤も、私が嘘をつく理由もないが。
「事実無根ですね。そもそも、私に侍女さんをいじめる理由がありません。実際は彼女の方が私に酷い態度だったんですが、私を監視している人から報告は上がっていないんですか?」
王太子殿下の目を見据えたまま、目を離さずに言い切る。そんな私の発言に殿下は僅かに目を見開いた。
「気付いていたのか」
「いいえ、全く。ですが、少し考えればわかることです。危険人物である魔女を野放しにするとは思えません。最初にお会いした時、王太子殿下は聡明な方だとお見受けしました。まさか、そんな初歩的なミスを犯すほど愚かではないでしょう?」
そういって大げさに首をかしげて見せると、王太子殿下は私を見つめたあと声を上げて笑った。張り詰めた空気が霧散する。彼の後ろに控える魔法使いと護衛騎士はぎょっとしたように王太子殿下を凝視していた。
「いやぁ、驚いた。リラ、君は賢いんだな」
「可愛げのない女なもので」
いまだ肩を震わせる殿下は自分を落ち着かせるように紅茶を一口飲むと再び口を開く。
「いや、それは君の美点だよ。君の言う通り、報告は上がっている。件の侍女は私に虚偽の報告をしたとしてすでに暇を出しているよ」
「ではなぜ、私に話を?」
「先ほど言った通りだ。君の言い分を聞くためだよ。最初はされるがままだった君が、急に態度を変えたので気になってね」
まさかこうなるとは思わなかった、と殿下は再び笑う。楽しそうで何よりだ。それにしても。
「意外ですね。闇属性魔法に長けた魔女は厭忌の対象だと聞きました。てっきりこのまま放置されるのかと」
「まさか。闇属性魔法を扱う者はアルヴァミア国内にも僅かだが存在する。王族たる私が闇属性魔法を扱うというだけで民を虐げるわけにはいかないさ」
ほう、それは。いいことを聞いた。例の切り札の効力を王太子自ら証明したようなものだ。私は例の怪文書を取り出してつい、と王太子殿下に向かって差し出す。記された王家の紋章に殿下は動きを止め、眉を寄せた。
「これは?」
「最近、毎日届く私への怪文書です。中には熱烈な罵詈雑言が連なってます」
「読んでも?」
「もちろん」
そのために持ってきたんですから、と手紙を渡す。内容を確認する殿下は驚き、呆れ、最後には疲れたようにため息を吐いた。
「これ、王家の紋章ですよね。殿下からの招待状にも同じものが付いていましたし。王家の人間が、このような発言をするなんてよろしくないんじゃないですか?」
「全く、その通りだな」
殿下の表情から推察するに、思い当たる人物がいるんだろう。それが誰かは私には知る由もないけど。
「私、今後素敵な生活ができれば最初の頃に起きた嫌な出来事なんて、すっかり忘れることができると思うんです」
「脅迫か?」
「いいえ、交渉です。私が望んでいるのは平穏な生活だけですから」
王太子殿下の権力で、私に突っかかる人物がいなくなればそれでいい。その意味も込めて言うと殿下は少しの間思案したあと、僅かに頷いた。
「わかった。それでは君にはこのジョシュアを護衛に付けよう」
そういって差されたのは私を迎えに来た黒髪の魔法使いだった。
「ジョシュア・レヴァインと申します」
相変わらずの芝居がかった笑みで彼は軽く頭を下げる。
「ジョシュアはこう見えて我が国が誇る魔導師団の副師団長を務めるほどの腕利きだ。彼が居れば妙なことをする者はいなくなるだろう」
「ありがとうございます。あ、それと。先ほどの不敬も不問にしてくださいますね?」
ちゃっかりと追加注文をする私に殿下は呆れたように笑う。
「全く……。抜け目がないな。あぁ、私も先ほどのことは忘れることにしよう」
「寛大なご配慮感謝いたします」
わざとらしい私の物言いに殿下はこらえきれないというようにまた笑った。