プロローグ
ボイス共和国戦車開発記プロローグ
1918年に終結した第一次統一戦争から20年後の1938年ボイス共和国と統一国家群連邦の間には和平協定が結ばれていたが、その関係は危うくなっていた。
その証拠に、1938年7月ボイス共和国から統一国家群連邦に留学していたボイチェビノイド系やソフトーク系の留学生10人が殺害されるという悲劇が起こった。
彼らは統一国家群連邦の政治的な民兵集団によって暴行されて命を落としたのだ。
この事件に激怒したボイス共和国出身のボイチェビノイド系やソフトーク系の住民は、統一国家群連邦各地でデモを起こした。
両国の間には緊張が高まり、戦争の危機が迫っていた。
ボイス共和国はボイチェビノイド連合の一員として、第一次統一戦争後は平和を享受していた。
戦争からの復興や経済発展に力を入れており、軍事力は疎かになっていた。
軍の規模や予算は縮小され、新兵器の開発や戦術の革新は遅れていた。
第一次統一戦争で最も効果的だった新兵器として、戦車の開発が注目されていた。
ボイス共和国は軍事力の強化を図るため、国内の自動車メーカーや軍需企業に新型戦車の試作を依頼した。
競争力の高い戦車を開発することが、ボイス共和国の国益に直結すると考えられていた。