豊かさへのいざない
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
はふ~、ビュッフェとか久しぶりに食べたよ。ちょっと早いけど、今年もお疲れ様だったね。
昔はそれこそ、リバース上等の食べ方とかしたもんだけど、いまじゃとてもとても。
身体が素直に訴えてくれるよ、おのれの限界をさ。
覚えてる? 途中で私、ずいぶんとトイレに籠城しただろ? あれで、ほとんど中身が出ちゃった感じだよ。
たとえ形を崩してでも、毒になりえるものは自分のそばに置いておかず、一秒でも早く外へ追いやってしまう。
人間側としては顔をしかめたくなるだろうが、体内側としては自分の仕事をまっとうしただけに過ぎない。
この働きさえ満足にできなくなったときが、自分の命の終わりなんだろうかね。その反対に、力がありあまっているうちは自分のできることに自信がありすぎて、普段にはない刺激を求めてしまうのかもしれないね。
休みがてら、私の聞いた昔話、耳に入れてみないかい?
むかしむかし。
とある村で子供たちの様子を、一部の親たちがいぶかしく思い始めたらしい。
具合が悪いわけではない。むしろその逆で、すこぶる健康に感じられたんだ。
いずれも育ち盛りの子供たち。毎日の食事も、控えめにする傾向の出てきた大人たちが残す分まで平らげるが、なお空腹を訴えまくってくるほどの腹減り具合。
「そんなに欲しけりゃ、釣りなりなんなりして食べるものを手に入れてこい」
年貢をおさめる立場として、おいそれと蓄えを吐き出すのははばかられる。
自分でとってきてくる分には構わないから、魚でも草でも木の実でも、自分でとってきて口にしてもらえばいい。
食べる前に、自分たち大人へ見せることも申し付けていた。
一見して食べられそうでも、毒を含んでいるものもために存在する。偉大な先達たちのおかげで蓄えられた知識は、子供たちに一朝一夕に教え切れるものじゃない。
経験の勝る自分たちが教え込んでいく。それもまた子供たちの将来につながるだろう、という判断だったんだ。
声を掛けてからしばらくは、子供たちもそれに応じて、種々の実や魚たちを大人たちのもとへ持ってきた。
それを大人が見ては、良いものと悪いものを選び分けていく。それが学びにつながっていると実感できていたのだが、ここのところ、それらがぱたりと止んでしまったんだ。
この年の実りは、例年に比べてそこまでよいものとはいえない。少食気味な自分たちでさえ、腹の虫の音はごまかしきれないこともしばしばだった。
大食らいの子供たちともなれば、不満が噴出。あるいは、これまでにも増して食べ物を持参してきてもおかしくなかった。
それがない。
誰も食べ物について言及することなく、子供たちは日々を過ごしていくんだ。これまで毎日のように食べ物からみの言動に付き合ってきた大人たちからしてみれば、ありがたくも小さな異変に違いなかった。
「腹減った~」というたぐいの、愚痴めいた独り言さえ、子供たちの中から消え去っている。これは何かしらのタネがあると、大人たちは子供の寝静まる夜に、集まって話し合いをしたらしい。
結果、子供たちの行動を逐一監視する役を交代で担い、彼らの動向の一環を探ることにしたのだとか。
子供は子供なりに、鋭敏な感覚を持っている。年少だからと侮れば、今後の家族関係にひびが入る恐れもあった。見張り役の選抜は、戦に行ったことがあり、特に身を隠すことに慣れた者たちが優先されたという。
その成果は、さほど間をおかずにあがることになった。
担当を決めた翌日。さっそく子供たちに、あやしの動きが見られたんだ。
鬼ごっこといえば定番の遊びだし、そこにかくれんぼを交えて、ある程度遠くまで駆けていくことそのものは、特におかしいところでもないだろう。
平時と戦時を問わず、頑健な身体はあるに越したことのないもの。これを養う秘訣は幼少のころよりあり、身体を動かすことはとても好ましいことだ。
担当する大人たちは、子供たちに気取られないよう身を隠しながら、そのあとをついていく。
ある程度の遠出は、将来的に必要になると、大人たちが一緒に連れまわしたことはあった。
しかし、今回の子供たちは鬼ごっこに見せかけるような仕草でもって、どんどん村から遠ざかり、オオカミやイノシシの出現も懸念される領域の森へと入っていってしまう。
――ここは事前に、「お前たちだけでは来るな」と教えていたはずなのだがな。
帰ったら叱責は確定ものだが、いま連れ帰るのは避けたほうが良さそうだった。
子供たちが禁をおかしてまで、ここに入り浸っているのなら、元を突き止めて、必要であれば絶たねばならない。
ただ禁じるだけでは、その目をかいくぐってことを成そうとする。大人たちも、かつてはみんな子供だったんだ。その気持ちは分かるし、予想もできた。
大人たちの知恵で、村や森のその近辺には背景に溶け込ませるようにして隠した、護身用の刃物や弓矢がある。
道々でそれらを取って身に着け、万一子供たちに獣の害が及ぶことあれば、すぐに身体を張れる体制をととのえながら、大人たちはなおも彼らの後を追っていった。
ときどき、あたりを気にする素振りを見せる子供たちから、引き続き身を隠していき、幾本も通り抜けた木々の向こう側。
そいつはそこに姿を見せたんだ。
その薄いだいだい色の柱は、周囲の木々を越える高さで、開けた原のど真ん中にそそり立っていた。
てっぺんは雲をつくほどで、見やることはできないが、大人たちは首をかしげてしまう。
これほどの高さであるなら、森に入る前。それこそ村にいるときから、確認できていてもおかしくない。
それがいま、この空間へ唐突に現れたかのような姿。尋常ならざるものかと、大人たちはより警戒を強める。
対する子供たちは、能天気なものだ。
鬼ごっこしていたときの軽い足取りのまま、そのあたりに転がっている木の枝を拾い上げ、各々が散っていく。柱を取り囲むようにして近づくと、子供たちのそれぞれはその足元へ取り付き、木の枝を突き立てていった。
とたん、大人たちでさえ、思わず鼻をひくつかせてしまうほどの芳香が、漂ってきた。
砂糖を使った菓子のそれと、よく似ている。しかしそれは、大人であったとしてもめったに口にできない高級なものだ。
かぎ間違いでなければ、匂いはあの柱からくる。
その下で子供たちは木の枝に柱の欠片を乗せ、夢中で口へ運んでいた。おそらく、その舌の上で転がしている味わいも、大人たちが想像する甘味であろう。
食べ盛りの子が、その誘惑に抗えようはずがない。それで腹をふくらませられるなら、普段のご飯も満足に欲しがらないようになるというもの。
なにより、あの口にしている柱は、こうも間近によらなければ目にとらえることがかなわない、けったいな一本と来ている。
絶対にろくなものじゃない。タネが分かった以上は、こそこそしている猶予もない。
大人たちが姿を現し、子供たちへ向かっていくのと、それを見た子供たちが「わっ」と逃げ出すの。
そして土に刺さっていた柱が一気に持ち上がり、空高く昇っていったのはほぼ同時に起こったことだった。
揺れを伴い、ぐんぐん遠ざかる柱は居合わせた全員を戸惑わせ、呆然と見送らせるに足る、不可思議な光景だったという。
けれども、立ち直りは大人たちのほうが若干早い。子供たちとの間合いを詰めて、一人残らず抱えてしまったのだが、じっとしてはいられなかった。
再び、ずんと地面が揺れたかと思うと、柱が立っていた部分が何尺もへこんだのだ。
何もそこへ立っていないにもかかわらず、ひとりでに。
しかも動きはそれに終わらず、陥没した円状の地面のふちは、なお大きくなり始めていたんだ。
全方位へ遠慮なく、子供と大人たちがいるその場所へも、お構いなしに。
とっさに逃げ出せたのは、運が良かったとしかいいようがない。
夢中で駆け去るその背中に、彼らは木々が不自然に叫び声をあげながら、その枝葉たちをおおいに落としていく音を聞いて、村へとひた走った。
途中から気配は届かなくなるも、その日は各自、家で待機。追い打ってくる異変がないか、警戒を続けていたらしい。
幸い、村への影響はなかったが、昨日の地点に関しては例の柱を中心としたそれなりの範囲が、すり鉢状に押しつぶされていた。木々も反物になったかのように、平べったく地面に押し付けられていたとか。
子供たちはそれぞれに、長短の生涯を送ったものの、彼らの墓は死後数年すると、やたらと虫がたかり、そばの土から盛んに草花が芽を吹いたという。
経験のなさゆえに、あの柱の誘惑に勝つことが子供たちにはできなかった。
あの柱の一部を取り入れたことで、彼らの身は腐葉土ならぬ富裕人みたいな存在になっていたのかもねえ。