神さまと願い
神さま、わたしは旦那さまにしていただくばかりで何もできないのでしょうか。
旦那さまの回復を、部屋で祈ることしかできません。
旦那さまがお倒れになると、部屋子のはずのわたしは近寄らせてもらえなくなりました。
使用人総勢で旦那さまの看病と、旦那さまの代わりをしなければいけないそうです。
でもその中にわたしは含まれていません。
凪はまるで腫れ物を扱うように、永臣から遠ざけられていた。
(せめて何かお手伝いできることを探そう)
頭を切り替えて廊下を歩き出すと、口論する声が聞こえてきた。
「そんなこと言ったって、旦那さまは今動けないのよ!?」
言い合っているのは、案内役の案次郎と、話したことはない屋敷の使用人のようだ。
「でも……勅使がいらしてて」
「期を改めてもらうしか……」
埒があかないやりとりがされる中、案次郎が凪に気づく。
「あ! あなたは旦那さまと勅使のお相手をされていましたよね!?」
「勅使がまたいらしているのですか!?」
「はい。勅使は主上の使者。もし本物だったらと思うと……」
そういうと案次郎は頭を抱えてしまった。
案次郎はまだ十歳くらいの少年で、お客様を部屋に案内したり取り次ぎの役目をしている。
見るからに狼狽えている案次郎は、幼いゆえにこういった不測の事態にはどうしたらいいか分からないのだろう。
「そうは言っても、勅使は基本的に旦那さまが応対されるのだから、誰も作法なんて知らないわ。お帰りいただくしかないのよ」
「主上に帰れなんて言えないですよ!」
もう一人の使用人と案次郎のやりとりが延々と続くのを、凪はただオロオロと眺めているしかできなかった。
なんでも勅使は滅多に訪ねてこないらしく、今日の前は半年前だとか。
それも内密の話が多く、ほとんどは永臣一人で応対されるらしい。
しかも永臣より唯一位が高い方。
どうしようと困っていると、突然案次郎から水を向けられた。
「近頃旦那さまと勅使のお相手をされたのは、あなただけです。どうか帰っていただくよう、お話ししていただけませんか!?」
「わたしですか!?」
さっきまで除け者にされていたのに、突然の大役だ。
凪にできるのか、分からない。
「わたしも作法など詳しくは存じませんけど……」
(この六月旦那さまに教えていただいたものしか……)
「旦那さまと応対されたときと同じことをしていただければ良いのです!」
困った顔の使用人。
頭を抱える案次郎。
嘘のように凪いだ心で、やるしかないと腹を括った。
「失礼いたします」
障子の前から声をかけると、うむと短く返事が返ってきた。
二つ目の客待の間は、最初の部屋ほどの豪華さはないけれど、公家としてお客さまを迎えるには充分立派な部屋だった。
障子を静かに閉め、旦那さまがしていたように、両手をついて挨拶する。
「周藤家の使用人凪と申します。旦那さまはただいま床に伏しておいでで、申し訳ありませんがお会いすることが出来ません」
部屋に入ったときにチラリと見えた勅使の顔は、感情がほとんど見えず、ニセモノとは大分違う印象を受けた。
少しして聞こえてきた声は、顔と同じように抑揚のない声だった。
「主上はご存知でいらっしゃいます。あなたと話がしたいと仰せですが、宜しいか?」
宜しいか?と聞かれても、奴隷の凪に、永臣よりも偉い主上の言葉を断ることなんて許されるわけがない。
これはこれから最上のお方がお目見えになるから覚悟しろよということだろう。
「はい」
凪は頭を畳に押し当てるように下げて、返事をした。
しばらくすると、勅使の低い声とは全く違う高い声が聞こえてきた。
「そなたが凪か。よい耳を持っておる」
確かに主上と話すとは言ったが、ここには勅使と凪しかいない。
他に誰も入ってきていないのだ。
でも顔を上げて見て確認することは許されない。
高い声は勅使の方から聞こえてきていた。
この声が主上の声なのだと、凪はなんとなく察した。
「そなたはその耳で何を求める」
(求める……? わたしが?)
失うばかりだった凪が求めるもの……それは。
「旦那さまをお助けすることでございます」
「ほう。永臣の助けとなりたい、と」
凪が奴隷となってから、永臣はとてもよくしてくれた。
看病をしてくれて、字や作法まで教えてくれた。
とても奴隷とは思えない待遇だ。
恩返しなど到底足りないだろうが、できる限りのことをしたい。
永臣はとても強い。
誰の助けもいらないのかもしれない。
それでも何か力になれるのであれば、凪は何を差し出してもいいと思えた。
「そなたの周りのものと話してみよ。そなたはすでにその力を持っておる。どれ、言霊は解いておこう。もう必要あるまい」
(まわりのもの? 言霊?)
「この書状を永臣殿にお渡ししてください。くれぐれも書状の中身は他人の目には触れぬよう、あなたがお渡しするのです」
声はもう元の低い声に戻っていた。
主上との会話は終わったのだろう。
「拝命いたしました」
書状を懐に仕舞うと、勅使はもう帰る様子で部屋を出て行った。
案次郎と一緒に門の外まで見送ると、案次郎からめっぽう感謝された。
「ありがとうございます! あなたのお陰で勅使に失礼なくお帰りいただくことができました!」
「そんな。わたしは旦那さまに教えていただいた通りのことをしただけです」
「それがなかなかできないのですよ。それで勅使はなんと?」
「旦那さまがお倒れになったことは主上もご存知でした。内密に書状を渡せと」
懐からちらりと書状の隅を見せると、ははーと拝まれてしまった。
何にせよ、凪も主上と話しができて良かったと思った。
(あとは旦那さまをお助けするだけ――)
「ここにいたのね!? 奴隷の凪!」
振り返ると使用人がぞろぞろと門まで出てきていた。
みな一様に怖い顔をしている。
見ると凪を非らず人と見下していた人たちが大半だった。
「この娘へ旦那さまから妖気が繋がっています」
「旦那さまが倒れた原因はこの娘よ! 捕えなさい!」
白い装束の男性複数人が出てきて印を結ぶと、永臣がニセモノ勅使にかけていた縄が出現した。
その縄に凪は縛られ、連行されることになった。
「ちょっと待ってくださいよ! その方は今さっき勅使の応対をしてくださって、旦那さまへの密命もあるんです!」
「その勅使がニセモノで、旦那さまを害したのでしょう!」
使用人たちは案次郎の言葉を聞く耳持たずで、あっという間に凪は牢屋へと入れられてしまった。
冷たく古びた木の床。
あるのは粗末な茣蓙だけ。
『新シイ部屋ー?』
『凪は悪クない』
『出してアゲようか?』
以前は祠でしか聞こえなかった声も、いつでも聞こえることに慣れてきた。
凪は神さまとお話しできる。
――そなたの周りのものと話してみよ。
周りのものというのが、使用人ではないことはなんとなく分かった。
神さまとお話しする。この力で旦那さまをお助けできるんだ。
それなら他の人が誰もいない牢屋はむしろ好都合だ。
「神さま、教えてください。旦那さまが倒れている原因はなんですか?」
『妖力が尽キタから〜』
「旦那さまとわたしに繋がる妖気とは?」
『永臣と凪は繋ガッテない。繋がっテルのはワレラ』
「なぜ神さまと旦那さまが妖気で繋がっているのですか?」
『永臣がワレラを制御シヨウとシタから』
「? 旦那さまはなぜ神さまを制御しようとしたのでしょう?」
『凪カラ引キハナス ユルサナイ』
「わたしから引き離す?」
『ワレラ凪の妖力を吸ウ 増エルと凪死ヌ 永臣と同ジ』
死……。
その一言だけでゾッと背筋に悪寒が走った。
では今倒れている旦那さまも……。
それだけは絶対に駄目だと、凪は顔を上げた。
「旦那さまに妖力を戻すことはできますか?」
『デキル』
短い肯定に小さな光明が見えた。
旦那さまをお助けすることができる。
――でもね、神さまには、決してお願いはしてはいけないよ。
幼い頃、母から言われたこと。
母が亡くなったときだって、破ったことはない。
でも――。
(母さま、今わたしはお言い付けを破ります。 旦那さまをお助けしたいのです)
手を合わせて祈りを捧げるように目を閉じる。
旦那さまの無事を祈って。
「神さま、どうか旦那さまへ妖力をお戻しください」
ブワッと風が吹いた気がした。
それまで何も感じなかったところに、流れを感じる。
(これが妖力というものでしょうか)
凪から神さまへと流れる妖力を感じた。
『代償はナンダ』
代償……それこそが母が願いを言ってはいけないと言った理由だろう。
妖力を戻すのだから凪の妖力をと思ったが、神さまから永臣へ繋がる妖力はとても大きい。
凪の妖力では到底足りそうになかった。
『オマエの大事なモノなぁに?』
初めて神さまが怖いと感じた。
お話しするだけなら、微笑ましいお返事をくれる神さま。
でも今は凪の大切なものを奪うことだってあり得ることを覚悟した。
「わたしが大事に思うのは旦那さまです。旦那さまを助けたいのに、旦那さまを代償にはできません」
『カタチないモノでもイケる 永臣と凪の繋ガリ ヘヤコ ドレイ』
「そんなものでも宜しいのですか?」
永臣との繋がり。
それを失うということは、永臣の部屋子ではなくなるということ。
奴隷でもなくなる。
そうなればきっとここには居られないだろう。
でもそれがなんだというのだ。
永臣が無事である以上のことはない。
凪には永臣に教えてもらった知識がある。
もう前のように途方に暮れることはないだろう。
「旦那さまへ妖力をお戻しください。代償はわたしと旦那さまとの繋がり。奴隷や部屋子といった繋がりです」
『イイダロウ』
次回完結です!