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神さまと奴隷少女

 神さま、わたしは今日奴隷として売られます。

 

 大丈夫です。二度目だからもう、怖くはありません。

 あの方に教わった知識があるから。

 

 いつも見守ってくださる神さまに、感謝を。

 

 

 

 (ほこら)の前で手を合わせながら、そう(なぎ)は祈りを捧げた。

 すると祈りを捧げると決まって聞こえる声が、(ほこら)の辺りからいくつも聞こえる。

 

『ドレイ? それ楽しいの?』

『オマエハ アゲナイ』

『その腕の紐、なんのアソビ〜?』

『無理はするんじゃナイよ』

 

 いつも聞こえるこの声は、無邪気にあれこれと聞いてくる。

 この声は、きっと神さまの声だ。

 

「ふふ、遊びじゃありませんよ」

 

 神さまとお話しするこの時間が(なぎ)は好きだった。

 悲しいことも辛いことも、まるでなかったかのようにお話しできるからだ。

 

 でもそんな時間は長くは続かないもの。

 

「オラッ、いつまで独り言を言ってんだ! サッサと行くぞ」

 

「は、はい。神さま、お話しできて嬉しかったです」

 

 ぺこりと頭を下げ、小走りで奴隷商の後を追う。

 そうしなければ、この腕に縛られた縄で無理やり引き()られてしまうからだ。

 

 以前はこの縄で随分傷を作ったものだ。

 でももう俯いて怯えるばかりではない。

 

 今では傷を作らないようにだって振る舞える。

 今回は昔と違って雪もなく、まだ暖かい。

 誰かの奴隷となっても、教わった知識できっとやっていけるだろう。

 

 昔のことを感慨深くさえ思いながら、イチョウ並木を真っ直ぐ歩く。

 

 ヒラヒラと舞うイチョウは朝日を映し、時たま淡雪色をチラつかせる。

 ただ堕ちていくだけだった、あの日を思わせるような雪色(せっしょく)を。

 

 

* * * * *

 

「遅えよ!」

 

 ズシャッ!

 

 刺すように冷たい雪の中に、(なぎ)は引き()り倒された。

 容赦なく体温を奪っていく雪の冷たさは、体力だけでなく精神までをも蝕んでいく。

 

「あーあ、ズッコケやがって。汚れたら価値が下がるだろうが!」

「お前があんまり引っ張るからだろ。弱って死んじまったら、どーすんだ」

 

 全く悪びれる素振りもしない男たちは、(なぎ)のことを商品としてしか見ていないようだ。

 雪で手足と着物はもちろん、顔まで濡れそぼってしまった。

 冷えた手足はすでにほとんど感覚がない。

 

 昨日までは凍えようとも暖めてくれる人がいた。

 育ててくれた和尚さんと、貧しくとも暖かな日常がそこにはあった。

 

 けれども今ここには少しの温もりもありはしない。

 和尚さんはこの男たちに殺され、(なぎ)は奴隷として売られる。

 

 何度も逃げようと(かじか)む手で縄を緩めようとしたが、指先や手首に血が滲み、自分の無力さを呪うことしかできなかった。

 目尻に滲む雫だけがやけに熱い。

 

 どうしてこんな理不尽なことがまかり通るのか。

 最初は泣いて訴えた。奴隷になどされたくはない。和尚さんを返して、と。

 

 男たちはこう答えた。

 

「お前たちは非らず人(アラズビト)だから」

 

 (なぎ)たちが住んでいた場所は、非らず人(アラズビト)が住む集落なのだと言う。

 字の読み書きといった当たり前の知識もなく、手に職もない。――役立たずの人々。

 

 その地に住むというだけで、人には()らずと見下され、奴隷として狩り尽くされたのだ、と。

 

 (なぎ)には帰る場所すらすでになかった。

 もう逃げる気力も残ってはいなかった。

 

「さぁさ、お立ち合い! ここにおりますは、今流行りの女奴隷! まもなく競りの始まりだよ〜」


 男の一人が木の棒を軽快に打ち鳴らすと、集まった人々の視線が、男ではなく一斉にこちらを向いた。

 奴隷は何人もいるのに、全員が(なぎ)を捉えているような感覚さえして眩暈がする。

 

 中でも一際(ひときわ)上等な衣に身を包み、武器を持つ侍従を何人も侍らせている客――その男の目がギョロリと(なぎ)を射抜いた。

 ギクリと身体に震えが走る。

 

 きっと寒さのせいだけではない。

 恐ろしい。逃げ出したい。

 けれども足はガクガクと震えて使い物になりそうにない。

 手首の縄は血が染み込んで、腕と一体化しているようだ。

 

「買った奴隷の扱いに縛りはあるか。例えばどこかが欠けたりしても……」

 

「旦那さまのような高貴なお方を縛れる者なんて、おりませぬよ」

 

 恐怖さえ覚える質問に、奴隷商はへらりと笑って返す。

 周りの奴隷たちからは、消え入るような悲鳴が上がった。

 どこかを()がれることがあるということか。

 耳や指でも嫌だが、手足だったら……という最悪の想像を必死で振り払った。

 しかしそんな周りの悲鳴もすぐに止んだ。

 

 (なぎ)の目の前で、客が止まったからだ。

 客は声も出ない(なぎ)を、足元から舐め回すように見る。

 

「ほう……?」

 

 意味ありげな声を上げた客の男が(なぎ)の顎を掴み、物珍しそうに眺めてくる。

 吐息が頬を掠め、思わずギュッと目を(つぶ)った。

 顔も背けようとしたが、掴まれた顎は少しも動かない。

 

「この奴隷を私に――」

 

 高貴な男が(なぎ)を買おうとした瞬間、馬の(ひづめ)の音とともに、客たちがざわつきだした。

 

「……なんだ?」

 

 男が苛立たしげな声を上げて、音の方に目を向ける。

 しかし馬は見当たらない。

 辺りを見回してから空に目を向けると、空中を闊歩する騎馬五騎が視界に飛び込んできた。

 

 この場にいる誰もがただポカーンと口を開け、空を見上げていた。予想外の出来事に思考が止まる。

 そんな中、(なぎ)を買おうとしていた客だけがチッと舌打ちを投げた。

 空飛ぶ騎馬はそれを歯牙にもかけず、ゆっくりと高度を落とし、いななきを上げて止まった。

 

 先頭の馬に乗っている男性が下馬すると、(えり)を留める唐紅(からくれない)色の紐と着物の裾がふわりと舞う。

 その仕草だけで高貴さが伝わってくるその男性の(かんばせ)は、近づくたびに美丈夫ぶりがはっきりと分かる。

 まるで天上人のような男性に、(なぎ)は救いの手を期待した。 

「彼女たちを解放しろ」「彼女たちは奴隷などではない」と。

 

 きっと他の奴隷たちも同じだろう。みな一様に気色ばんだ顔をしている。

 (なぎ)を買おうとしていた客はというと、裁かれるのを待つように恐れを滲ませている。

 

 天から舞い降りた男性が、奴隷商の前で言い放つ。

 

「すべての奴隷は私が買おう」

 

 奴隷たちの期待とは裏腹に、聞こえてきたのは恐ろしく冷たい声だった。

 天上の君は救いの神などではなかったのだ。

 

 どれだけ高貴な方であっても、天から舞い降りたお方でも、(なぎ)たちを救ってはくれない。

 いやむしろこれだけの権力と力を持つ人からは、逃れることはできないのではないか。

 何をされてもただ黙って受け入れるしかないのではないか。

 

 僅かな期待をも打ち砕かれ、世界がガラガラと音を立てて崩れていった。

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