朝
6月21日 月曜日 天気曇り
目を開けると、ヒビ割れたベニヤ板が視界一杯に広がっていた。
家がぼろいのではなく、それは、二段ベッドの二階の底面である。わが姉が寝ている所が朝起きると目に入るのだった。
磨りガラスの引き戸から朝焼けの空が僅かに覗いている。
長らく使っている夏用の掛け布団が毛羽立ち、ザラザラと指先に当たった。開け放たれた窓から夜に冷やされた空気が優しく流れ込んでくる。
「ごはーん!」
一階から声がした。
聞きなれたその声は母の声だ。
枕元のイルカの形をした目覚まし時計を確認すると、朝6時を少し回ったところ。目覚まし時計が作動する設定時刻よりも少し早い時間と言うことだった。
むくり、と二段ベッドの二階でサダコが目を覚ました。
この時代のお姉ちゃんは髪の毛を腰近くまで伸ばしていて、寝相が悪いので髪の毛が前の方に来ているのだった。
広報紙の表紙にも写真が選ばれたぐらい可愛い人なのだが、なぜかいつも僕への当たりは強く、よく殴られた。
兄弟は姉がいいと言うやつがいるけれど、そんなことない。こいつらは暴力装置だ。あまり好きじゃない。いなくなればいいと思っていた。
姉に続いて廊下に出ると父と当たりそうになった。
「父さん……」
父はこれから20年後ぐらいに死ぬ。癌だった。
葬式の時に涙が出なかったのは、僕の涙腺に先天的な問題があるのではなく、心が無いのでもなく、父との記憶が全くないからだった。
この父は、所謂仕事人間というやつで、全く家族との接点は持っていなかった。僕が小学生のときは家族で机を囲んで朝食を食べていた父だが、中学生の頃にはもう一緒に食べなくなった。
朝早くから夜遅くまで仕事をして土曜日曜まで仕事をするような人だった(実際にはそんなに忙しいはずかないから遊んでいたのでは……と思っている)
父の仕事は設計だった。そして、なぜか、その大嫌いな父と僕は同じ仕事につくことになる。
父が階段を降りて一階の食卓に行くとき、父の手に見慣れたマグカップがあるのを見て、階段を降りながら泣きそうになった。
白くて、分厚くて、ペンギンのイラストが黒い線で書かれたやつだ。茶渋が沢山ついていて、長らくその役目を勤めているようなやつが、僕の父の記憶そのものだった。
父は、階段を踏み外し、壁にぶつけて「いてっ!」と小指を押さえているのも記憶のまま。
家はまだ、新築の輝きを残してそこにあって、玄関には運動靴の小さいのと、昨日持ち帰って放置した黒いランドセルが姉の赤いのと肩を並べて座っている。ランドセル側面には剥き出しのリコーダーが突き刺さっているのだった。キーチェーンで付けられたひび割れた反射板。この頃は防犯ブザーなんて無かった。
何もかもが懐かしい。
僕たちはまだこのとき、小学生なのだ。
僕は夏休みの宿題を踏み倒すタイプだ。
ランドセルは2回壊した。
初めて人を好きになったのもこのろだ。