心残り
そばにいたいの、とうつ向いて両手で顔を覆い、さめざめと女が泣いている。
出口が、泣くなよ、と抱き寄せて、そっと背中を撫でてやると、優しくなんかしないで、と身をよじって距離を取り、別れ話を始めたのはあなたなのに、と、両手を離し泣き腫らした顔を上げた。
責めるような瞳の色に、内心うんざりしながら、そんな様子はおくびにも出さず、もっともらしい言い訳をする。
「嫌いになった訳じゃないんだ」
目を少し伏せてみせる、辛そうな演技も忘れない。
「じゃあなんで、別れるなんて言うの」
他に好きな女でもできたの、と、再び涙を溢れさせ、出口を睨みつけた。
「そんなんじゃないよ」
でも、と、男としては最大級に最低な台詞を口にする。
「努力したけど、君のことを結局、好きにはなれなかったんだ」
その瞬間、悲しみに濡れていた女の目が怒りの色に取って変わり、右手が勢いよく、出口の左頬を打った。出口は敢えてそれを避けることをせず、目を閉じて女の怒りを受け入れる。
暫く、震えるような女の呼吸音を聞きながら、波が過ぎ去るのを待っていると、帰るわ、と、一つ大きく息を吸って鞄を掴み、
「さよなら」
と言って、振り返りもせずに部屋を出ていった。
ばたん、と音をさせた玄関にゆっくりと向かい、同じ情景をこれまで何度見ただろう、と、頬の痛みを片隅に感じながら、出口はぼんやりと思った。
だけど、痛みや後ろめたさと引き換えに、別れを実感することができるだけまだましだ、とも言える。いや、別れを感じるためだけに、自分はこんなことを繰り返しているのかもしれない、とさえ思う。
去って行く後ろ姿を見ることも、ここにいろ、と乞うこともできなかった、別れと名を付けることさえためらわれるある一つの関係を未だに引きずる自分を、唇の端だけで出口は嘲笑った。