廚師とアポイントメント
旧雨今雨４
数日が経った夕方、【東風】。
「これはこれと合わせると栄養価がグーンと高まりますよ」
「そりゃわかってんだけどさぁ。ついこっち入れちゃうわけ」
「あー！ですよね！コク出すならそっちですもんね！」
「こいつどうする？使う？」
「使います、ここに含まれてるジアスターゼはタンパク質の消化に役立つ酵素ですしイソチオシアネートは酸化を防いでくれますからＥＰＡとあっＥＰＡはＩＰＡとも呼ばれていますけど相乗効果でフードシナジーが」
「早口だな」
台所で蓮と東がああでもないこうでもないと言いながら夜ご飯を作っている。
蓮は一時期廚師を目指していたらしい。調理や食材にやたらと詳しく、料理好きで薬膳の知識もある東とは気が合うようだ。
毎日２人で様々なご馳走を用意しては振る舞ってくれるので、食道楽の樹はご満悦。
九龍城砦の治安は常に最悪…しかしスラム街はなるべく避けて通る、地域によっては遅い時間の外出は控えるなど、基本的な注意事項を守ればそこまで危険ということも──多分──ない。
蓮も最初こそ魔窟にオドオドしていたけれど、すぐに入り組んだ路地にも慣れすんなり買い物も行けるようになった。
今日もそのお使いの成果である魚やら野菜やらを一生懸命調理している、世話になっている礼のつもりでもあるのだろう。ホクホクしながら出来上がりを待つ樹。
その後ろで入り口の扉が開き、猫が店内に入ってきた。
「師範！」
エプロン姿の蓮が出てくる。猫はもはや呼び方を訂正しはしない。
「なんだよ、飯屋かここは」
「師範も食べていきます？黃花魚も蠔もお粥もいっぱい作ってますよ」
「じゃあ食うけど…んなことより蓮、根回ししてきたのかよ」
「はい！バッチリです！」
ドカッと椅子に座り、テーブル下の年代物老酒の瓶を引っ張り出す猫。奥から見ていた東が何でそこに隠したのバレてるのといった顔をし、猫は何でバレねぇと思ったんだという顔をした。
蓮は言いつけ通り皇家へ足を運び、現在自分は九龍で１番の風俗店【宵城】の店主と親交が深いことを伝えた。すると奴らはコロリと態度を変え、先日は済まなかったなどと謝り猫との顔合わせを蓮に依頼。
なんとも腹の立つ対応だが、こちらの目的もその橋渡しだったのでグッと堪えて承諾。約束を取り付けて帰ってきた。
「女はどうだった？」
「みんな大丈夫そうでした。良かったです」
猫の質問に蓮は笑顔を覗かせる。
皇家からの帰り際、元仕事仲間の面々が元気にしている姿を確認できたようだ。蓮を見るなり彼女達は代わる代わる声を掛けに来たが、蓮はあまり事情を説明することはせず、またそのうち一緒に働こうねとだけ答えてきたとのこと。
彼女達からしたら‘乗っ取られた’という認識は無い、オーナーが変わったのだろう程度。親類もなければ家もない彼女達にとって店は仕事場兼住居である、店舗が移ればそれに付いていく。内装が綺麗で待遇もそこそこ良いときたら特に文句は無しなのだ。
裏の仕事に、気付いていなければ。
「でも急いでなんとかしたいです…下っ端に関しては良くない話ばっかりですし…」
言いながら唇を噛む蓮。
上にも動いてもらい入れ替わったキャストの詳細を探ったが、やはり消息は途絶えている。けれど店舗内で動揺が広がっていないところを見ると、強引な手口で連れ出すわけではなく上手い口振りで誘って新店舗行きの船に自ら乗り込ませているのだろう。‘君だけに特別に声が掛かった’ ‘ここより何倍も稼げる’、なんて甘言を並べたてて。
花街の綺麗どころを集めて売り飛ばす他所者、それは九龍城砦のルール外、問題ではある。
が、ぶっちゃけ人身売買自体は横行していて目新しくもない。怒られて退場させられるかさせられないかの違いで、正直、運の要素も大きい。
皇家がツいてるのかどうかはわからないが、裏社会の人間がこの件の対応に積極的でないのは、こいつらが無駄に‘12Ｋ’だからだろう。一応その名がある以上、マフィアも微妙に追い込み方に困ってしまう。
まぁとにかくその辺のビジネスの話を上手く聞き出したい、今は推測の域を出ない。
先ずは面を通すところからだが…猫はパイプへ火を入れつつ蓮に訊いた。
「約束の日はいつになったんだよ？」
「あ、明日です」
「早ぇなおい」
思いの外スピーディー。早いに越したことはないとはいえ多少は準備期間を設けさせろと猫は思ったが、よくやったでしょと褒めてほしそうにしている蓮の背後にブンブンと振られている尻尾が見えたような気がして、仕方無しにわかったと頷く。
そんな猫の胸中には微塵も気付かず、台所から聞こえた蓮！お鍋噴いてる！との東の声に、吉娃娃は尻尾を振りながらいそいそとキッチンへ戻って行った。
