師範と吉娃娃
旧雨今雨2
「メソメソやってねぇで説明しろよ」
不機嫌そうな猫の声が部屋に響く。
【宵城】店内、VIP用貸し切りの個室。猫は足にしがみついて離れない少年を、正面玄関から引きずりなんとかここまで連れてきた。少年は中に入って暫くしてもまだズビズビと鼻をすすっている。
「猫さんに…ヒック…相談したくてぇ…」
どうやらこいつ───蓮と名乗る少年は、澳門で水商売の店をやっていたらしい。
身寄りのない少女達を迎え入れこぢんまりとした規模で仲良く経営していたが、その辺りを仕切っていた大手グループの下っ端に従業員もろとも店を奪われた。取り返そうにも力及ばず、グループや店舗自体も九龍城に移ってしまい途方に暮れていたところ、以前ホテルのスロット大会で見かけた猫を思い出し探してやってきたとのこと。
泣きながらボソボソと呟く蓮。
「僕、あの時に猫さん見つけて…それから九龍の【宵城】の店主さんってわかって…」
猫は眉根を寄せる。こいつ、何か手を貸してもらえるかもとでも考えたのか───…ん?順番がおかしい。俺を見つけて、それから【宵城】の店主だとわかった?
言い方が引っ掛かり、猫は疑問を呈す。
「【宵城】の店主だから俺のこと知ってたんじゃねぇのか」
「いえ、違います…」
「じゃあなんでだよ」
蓮はチロッと視線を上げて猫を見ると、うっすらと期待をはらませた瞳で言った。
「猫さんって…【黃刀】の猫さんですよね」
そのセリフに、ソファでダラけて話を聞いていた猫の雰囲気がガラリと変わる。空気が張り詰めた。
「誰から聞いたんだよテメェ」
低く唸る猫に蓮は身体を縮ませたが、たどたどしく言葉を続ける。
「えと、昔、習ってて。貴方のお父上に」
「ウチは弟子とってねぇぞ」
「あの、本当に少しだけで、隠れてですし…僕全然才能なくって、でもお父上と…猫さんに憧れてて」
【黃刀】───もう聞くことは無いと思っていた名。それは、かつて猫の父親を当主としていた剣術の流派だった。
いや、正確には猫の父親は分家の人間だったので当主にはなれなかったし門下生も取れなかったのだが、そこのイザコザはさておき。
「お前、あの辺の村の出身かよ。なんで今澳門に居んだ?」
「もともと身寄りが無くって。生きてく為に色々やってるうちに、って感じですね」
猫の質問に蓮は肩を竦める。
猫の生まれは九龍ではなく、香港に近い中国の片田舎。ある出来事がきっかけで故郷を捨てて九龍城砦にやってきた。
蓮が同郷からの流れ者だと判ると、猫はチッと舌打ちをする。十把一絡げにして捨て置く訳にはいかないと考えてしまったからだ。
トラブルの原因を詳しく教えろと言う猫に、蓮はパァッと表情を明るくし饒舌に捲し立てる。
「あいつら大元はけっこう大きなグループで、僕の居た地区シメてたんですけど…最近そこから派生した半グレの奴らが好き勝手やってるんです。それで澳門でちょっと除け者になってて、今度は九龍に目ぇつけたみたいで。ここならどんな犯罪もやりたい放題だし。何でもいいから金欲しがってんですよ」
けっこう大きなグループ、というのは12Kと呼ばれる組織のようだ。あそこはかなりデカい、名前を出せば怯む人間は多いだろう。
12Kと事を構えるとなると非常に面倒…だが話を聞く限りではこの下っ端達と本体はそこまで関係なさそうな気もする。組が大きくなり過ぎて管理が行き届かなくなったのか。
「僕は仲良く仕事したかっただけなのに…」
シュンと肩を落とす蓮。奪われてしまった従業員を取り返し、またみんなで楽しく働きたいとのこと。
取り返すといっても、12Kの存在もチラつく中で真っ向から乗り込んで行くのは好手じゃないし、女達が自ら店を出てくるのもなかなか難しいだろう。引き抜きという手もなくはないが、それもそれで揉める。
どうしたってあんまり首を突っ込みたくない問題ではあった。
が、澳門からきて暴れている半グレ連中の傍若無人な振る舞いには花街の住人も辟易している。色々な噂話も聞こえてくるし…いや、でも後付だな、この理由は。
捨てられた吉娃娃のような目をする蓮に、身内に甘い猫はハァと息を吐いた。
「わーったよ。ちっと調べてやる」
「なんとかしてくれるんですか師範!?」
「お前の為じゃねーよ、俺もそれなりに迷惑してんだ。あとその呼び方やめろ」
猫が苦虫を噛み潰したような顔で言う。昔のことを掘り返されるのは御免蒙る、隠したい訳でもないが語りたい訳でもなかった。
もうひとつ聞いてほしいことがあるんですと蓮は目を伏せた。猫は首を鳴らして問う。
「ぁんだよ」
「僕、勢いで飛び出して来ちゃったんで九龍に家が無くて。【宵城】泊めて下さい」
そこそこ図々しい頼み事だった。こいつ、ピーピー泣いてるくせして割と普通に神経太いな…そう思い猫は蓮の顔面にクッションを投げ付けると、明日からは違うとこに行けと言い残して部屋を後にした。