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九龍懐古  作者: カロン
愛月撤灯
81/492

内緒と掛け違え

愛月撤灯3






燈瑩(トウエイ)!」


思いがけない来訪者に、気怠げに扉を開いた(ユエ)が声を弾ませる。


「お疲れ様、これお土産」


燈瑩(トウエイ)は沢山のカットフルーツが入った袋を掲げた。2人で一通り果物を堪能すると、瑞々しい火龍果(ドラゴンフルーツ)をシャクシャク(かじ)(ユエ)へ落ち着いたトーンで聞いてみる。


「今日、働きたくないの?」


少しの()。目を伏せる(ユエ)の次の言葉を、燈瑩(トウエイ)はゆっくりと煙草に火を点け待った。


「ん…昨日ちょっと…あってね」


‘あってね’というのが何のことだか説明はなかったが、(ユエ)が話さないのであれば踏み込んで聞くのも無粋だろう。

そうなんだと返すだけに留めて、燈瑩(トウエイ)は虚空に煙を流す。ほんのわずか重たくなった空気を取り払う様に(ユエ)が明るい声を出した。


「でもそんなこと言ってる場合じゃないわね。燈瑩(トウエイ)も来てくれたし…ちゃんと仕事始めるから…」

「もう始まってるよ」


燈瑩(トウエイ)がその言葉尻を噛む。え?と首を傾げて真意を掴めないでいる(ユエ)に向けて、柔らかく告げた。


「丸一日俺が買った」


(ユエ)はしばらく目をパチクリとさせていたが、事態を把握すると絞り出すように言った。


「嘘…全部の時間帯…?」

「うん」

「貴方…アタシ、高かった(・・・・)でしょう…」


その台詞に燈瑩(トウエイ)は声を立てて笑い、軽く肩をすくめて部屋を出ようとドアノブに手を掛ける。


「それだけ(ユエ)が良い女ってことじゃない?俺はもう帰るから、1日ゆっくり──…」


言い終わらないうちにその背中へと走った(ユエ)が後ろから抱きついた。潤んだ瞳で燈瑩(トウエイ)を見上げて、吐息混じりに小さく呟く。


「買ったなら…ちゃんと傍にいて?」


振り向く燈瑩(トウエイ)に唇を寄せて、そのままなし崩し的にベッドへと倒れ込む。(ユエ)燈瑩(トウエイ)の髪留めをほどき、長い黒髪が頬に落ちた。


「…そういうつもりじゃなかったんだけど」

「わかってる。アタシがこうしたいだけ」


下心があった訳では無いとバツが悪そうに眉を下げる燈瑩(トウエイ)に、(ユエ)はクスッと幸せそうな笑みを見せた。








「今日はいいお休み貰っちゃった」


真夜中過ぎ、ベッドの上でブランケットを体に纏わせた(ユエ)が煙草を片手に笑う。

休みといえるのか果たしてわからないが、どうやら(ユエ)は上機嫌のようだ。

燈瑩(トウエイ)は星明かりに照らされたその可愛らしい横顔を見ながら紫煙を口にため、それから静かに尋ねた。


(ユエ)の人気だったら、こんなに働かなくても大丈夫なんじゃない?お店の売り上げは減るだろうけど…オーナーに相談してみたら?」


オーナーの様子から、金銭的な問題ではなく一個人として(ユエ)を大事にしているのだという印象を燈瑩(トウエイ)は受けていた。

(ユエ)は少し考え、貴方にならいいかな、とポツポツと身の上話を口にする。


「妹が居るのよ、香港の孤児院にね。オーナーしか知らないけど」


どうやら両親と死に別れた後、その遺品の整理中に腹違いの妹が存在することに気が付いたらしい。

まだ年端も行かない妹で、香港の孤児院で暮らしている。それを知った姉の(ユエ)は九龍に残り、こうして水商売で妹の分まで生活費を稼いでいる、とのことだった。

めずらしい話ではない。九龍のスラム街付近で両親がいる子供などというのは数えるほどで、片方でも残っていればかなりの御の字。

まぁ両親が居ればスラムで暮らす必要性がそもそも無いのだが…それは燈瑩(トウエイ)もまたしかり。


(ヨウ)──…ええと、妹はアタシのこと知らないから、アタシだって名乗ってはないんだけど。妹宛に毎月仕送りしてるの。あの子が独り立ち出来るまでは、頑張りたいかな」


この話にはオーナーも協力しているようだ。

自分も孤児院出身で微力ながら支援活動に精を出すオーナーは、(ユエ)の想いに共感しているらしかった。

(ユエ)がどれだけ売れてもこの店を離れない理由と、オーナーの(ユエ)への思い遣りの理由は、ここにあったのだ。


「だからやらなくちゃいけないのよ、色々…昨日もそれでちょっと──…」


(ユエ)は続けて何か言いかけたが、ブランケットを口元にたぐりよせて苦笑いをした。


「なんか恥ずかしいわね。こんなこと話すの」


内緒にしておいてよ、とはにかむ。

燈瑩(トウエイ)は煙草を灰皿で揉み消して(ユエ)に向き直った。


「俺に何か出来ることある?」

「子供は気にしなくていいの。でも、今日は助けられちゃったしね…甘えちゃおっかな…」


フフッと悪戯に笑う(ユエ)が、両腕を広げる。


「抱き締めて」


燈瑩(トウエイ)は要望通りにその腕に自分の腕を絡め柔らかく(ユエ)を抱き締める。と、そのままふたたびベッドへと引き倒された。

窓から差し込む星明かりが2人分の体重を受け止め(たわ)む白いシーツに淡く反射する。

首筋に顔を埋めてくる(ユエ)の髪を撫でるように梳き、燈瑩(トウエイ)は耳元で問い掛けた。


「こんなのでいいの」

「いいよ」


目を瞑り頷く(ユエ)。そのあたたかな体温を感じながら燈瑩(トウエイ)も瞼を閉じる。

ひんやりとした風が窓の鉄格子を抜け、混沌に沈む夜の九龍の香りを運んだ。


──────この時間がずっと続けばいいなんて、そんな、ガラにも無い事を想った。






◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇






「合同営業?」

「そう。明日と明後日だって」


燈瑩(トウエイ)の疑問符に、差し入れの火龍果(ドラゴンフルーツ)をパクパクとつまみながら(ユエ)が首を縦に振る。


「オーナーが仲良くしてる店舗だけど最近キャストの人数が減っちゃったみたいでね…貴方も知ってるお店なんじゃないかしら?」


(ユエ)の口から合同営業の相手先の店舗名を出され、燈瑩(トウエイ)は若干言葉を濁した。

それを目ざとく見咎めた(ユエ)が唇の端を吊り上げる。


「どうせ貴方人気なんでしょう、女の子達に」

「いや…そんなことは…」

「嘘ばっかり。恋人居ないの?」


ジイッと疑るような視線を向ける(ユエ)燈瑩(トウエイ)は笑う。


「居ないよ」

「モテるのに?」

「そうでもないって…でもありがとね」

「ほんと、子供らしくないんだから」


ませた返答に呆れた様子を見せる(ユエ)だが、反対に燈瑩(トウエイ)はことさら優しい表情で言った。


「歳知ってるのなんて(ユエ)くらいだよ」


そして、内緒にしておいてよといつかの(ユエ)の仕草を真似する。

‘幼い’ということは九龍(このまち)では不利なのだ。これまで(つと)めて年齢を悟られないようにしてきた。

(ユエ)燈瑩(トウエイ)を見詰める。


「どうしてアタシには言ったの?」

「んー………どうしてだろうね?」


どうしてかなんて、答えは決まっているだろうと燈瑩(トウエイ)は思った。(ユエ)もわかっているはずだ。

しかし、何となく───核心を突く事を躊躇した。

深入りする事はせず上手く進める道を選んできた、今までの生き方がそうさせた。


はぐらかす燈瑩(トウエイ)の額を(ユエ)は指先でトンと叩く。


「痛っ」

「生意気ね。まぁいいけど…でも、少しは子供っぽく振る舞いなさいよ」


歳バレてるんだからアタシにはいいでしょ?と不敵な笑みを浮かべる(ユエ)


「何か子供らしいこと言ってみて?」


そう言われても、どうしたらいいかわからない燈瑩(トウエイ)は少し考え口を開いた。


「じゃあ」

「ん?」

「…火龍果(それ)の最後の1個、貰ってもいい?実は俺も食べたかった」

「…よろしい」


(ユエ)が腕を組んで言う。一呼吸置いて2人ともプッと吹き出し、顔を見合わせて笑った。


この関係性が崩れ去ってしまうことなど、この時はまだ知る由もなく。






◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇






週末。いつも通り【酔蝶】へと集金に訪れた燈瑩(トウエイ)は、(ユエ)へと声を掛ける。


「お疲れ様。どうだった?合同営業」

「…どうもこうもないわよ。この後も集金?」

「ん?うん、何軒か」

「そう」

「…どうしたの」


あきらかにトゲのある雰囲気の(ユエ)に、燈瑩(トウエイ)がくわえ煙草を灰皿に置きつつ問い掛けた。

(ユエ)はそれを手に取り深く煙を吸い込む。フィルターに包まれた葉が空気を含んで勢いよく燃えて、一瞬真っ赤に光った。


「あのお店の…亜麻色の髪した娘、可愛いね。売れてるんでしょ?貴方とまた寝たいって言ってたよ」


吐き捨てる様に言う(ユエ)に何も答えない燈瑩(トウエイ)。白煙だけが部屋を流れる。


「他の娘とも忙しいみたいじゃない」


あのお店、とは合同営業先のことか。他店の娘達からなにかを聞いたらしい。

燈瑩(トウエイ)は、好意を寄せてくる相手を特に拒まない。店舗の利益に繋がれば、それも仕事の範疇(はんちゅう)なので。


「人のことは2回も断ったくせして…よっぽど魅力がなかったってこと?」


違う、むしろ()だ、だから断った。そう思ったが何を答えても言い訳になってしまう気もした。黙りこくる燈瑩(トウエイ)(ユエ)の苛立ちが募る。


「仕事なら誰とでも寝るの?」

(ユエ)がそれ言うの?」


余計なセリフが反射的に口をついた。


視線が交わりしばらくの沈黙。そのまま互いに言葉を交わすことはなく、燈瑩(トウエイ)は部屋から出て行く。




それ以降……燈瑩(トウエイ)が【酔蝶】へと姿をあらわすことはなかった。





そして、いくらかの月日が流れたある日曜。燈瑩(トウエイ)の電話にオーナーからの着信が入る。




















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