煙草と茉莉花茶
十悪五逆2
「───なるほど、東を狙ってるのが俺だと思ったってことね」
そう言って、九龍ではあまり見掛けない高級な煙草をふかし笑う黒髪の男。
あのあと東に引っ張られるような格好で、3人で【東風】に来た。
テーブルを囲み、東が淹れた高級な茉莉花茶を飲みながらお土産の月餅を食べて成行きを説明する。
さっきまでの殺伐とした空気はどこ吹く風だ。
「うん、ごめん。えっと…」
「燈瑩だよ。はじめまして、樹」
男、もとい燈瑩は穏やかに微笑み優しい声音で言葉を続けた。
「俺は九龍で、まぁ…武器屋やってるんだけど。誰かに撃たれたって東に相談されたんだよね」
「それで今日来てたんだ」
「そう。ここのところ豆鉄砲がよく売れてるから」
「豆鉄砲?」
「拳銃の中でも、かなり小さいやつのアダ名。東がフードに食らったやつもそうじゃないかな」
「燈瑩が売った銃ってこと?」
「んー俺だけが売ってる訳じゃないから…可能性はあるけどね」
言って、燈瑩は東を振り返る。
「ていうかお前さ、あんなタイミングで出てきちゃ駄目でしょ。蹴り飛ばすとこだったよ」
「俺も死んだと思ったよ」
東が空笑いを返した。
どうやらあの時、東は呼び出していた燈瑩を買い物ついでに途中まで迎えに来たらしい。
ところが目に入った光景が、コンクリートのついた鉄パイプをブンブン振り回す樹と拳銃を構える燈瑩だったので慌てて止めに入ろうとした。
結果2人から蹴りをお見舞いされかけた上、お互いの紹介を怠っていた事を樹から酷く責められ、高級茉莉花茶をむしられたあげく燈瑩を指差し「この人にも何かあげてよ」と虎の子の高級煙草も取られ、この状況に至る。
樹が店を出る直前に言おうとしたんだよと東は反論したが、‘遅い’と短く切り捨てられた。
「みんな俺の事もっと大事にしてぇ…?」
言いながら遠い目をする東と、楽しそうに笑う燈瑩。仲が良さそうだなと感じた樹は何の気無しに訊いた。
「東と燈瑩って仲良いの?」
その質問に、二人がハモって答える。
「まぁ、それなりに」
「んーどうかなぁ?」
台詞は全然ハモってなかった。
当然、‘まぁそれなりに’が東で‘んーどうかなぁ’が燈瑩である。
顔を見合わせる二人に、樹はただ頷いた。
それから各々の話をまとめると、東が異変を感じるようになったのが1ヶ月前。豆鉄砲がやたらと売れ始めたのも1ヶ月前。
全てはちょうど九龍に新しい売人グループが現れた時期と一致しているらしい。
九龍に法律は無い、けれど裏社会としてのそれなりのルールは存在する。
水面下での勢力争いは絶えないし虎視眈々とトップの座を狙い隙があらば下剋上を目論む輩ばかりではあるものの、ルールを無視して派手に暴れれば潰されるのは火を見るよりも明らか。
だが、若く血の気の多い世間知らずも勿論居る。
手段を選ばず同業をねじ伏せ一気にのし上がろうと画策する奴ら。
「多分最近目立ってるその新しい売人グループなんじゃないかな、東を狙ったの」
煙を吐き出しながら言う燈瑩に、樹が首を傾げた。
「なんで東狙うの?あんまり影響無くない?」
その言葉に暗い顔をする東。
己が特に大物でもなんでもないのは重々承知だが、そこではなく、樹にとって自分が木っ端程度というのが滲み出たというか…うっすらわかってはいたが認めたくなかったというか…。
そんな東にチラッと視線をやり、気持ちを察した燈瑩が続ける。
「東は太くて信頼出来る客を多くもってるからね…売人からしたら魅力的なルートだよ、今から勢力を拡大したい新人には特にそうじゃないかな」
「そうなんだ。すごいね東」
その言葉で明るい表情をする東。絶妙なフォロー、仲が良いのかと訊かれ‘どうかなぁ?’と答えた割には優しい対応だ。燈瑩は更に続けた。
「でも、派手に横取りするのは印象がよくないから。だから豆鉄砲みたいな地味で誰でも買える安い銃でやってるんでしょ」
新参の売人グループは、仕入れた豆鉄砲を客やゴロツキにチマチマ横流しし住人同士を揉めさせる方向に仕向けているようだ。その陰で、めぼしい古参の売人を殺していく。
これといって目立つ特徴の無い安拳銃、誰にだって手に入る。犯人は有耶無耶。宙に浮いた亡き売人の流通ルートは、根回しをして自分たちのもとへ。
「悪くはないやり方だね」
呟いて吸殻を捨てた燈瑩は、また新しい煙草に火を点ける。
減っていく高級煙草を東は悲しげに見つめた。喜怒哀楽が激しい男である。
「そもそも、なんで東の素性が新参にバレてるの?【東風】は目ぇ付けられてないんだよね?」
「まぁ多分…綺麗なおネェちゃんからでしょうね、どこかのお店の…」
燈瑩の疑問に目を泳がせながらモゴモゴと口ごもる東。訊かれたくないところを訊かれたらしい。
この眼鏡…こと仕事となるとそれなりに慎重なくせして、こと女関係となると急にガバガバだ。
遊びに行ったカジノや風俗で可愛い女性に捕まり、薬のひとつやふたつ強請られた際に自分の職業の話もしたのだろう。なんなら自ら譲ったのかも。
それで風俗店やカジノの帰り道に物が降ってきたり撃たれたりしていたわけだ。幸い、【東風】に着くまでにはキチンと追手は撒けているようだが。
「しょーもな…」
呆れ顔をする樹にそんな顔しないでと東が訴える。だが訴えは全く聞き入れられず、だってしょーもないもんはしょーもないじゃん他に言いようあるの?と追い打ちをかける樹。
燈瑩はその様子に笑いを堪えつつ言った。
「樹、どうする?」
「え?」
「東助ける?」
いや助けてよ、と東の蚊の鳴くような声がした。
樹は月餅をかじりながら聞き返す。
「んー…燈瑩は困ってる?」
「俺?まぁ…そうだね、知らない所で武器を横流しされるのは困るかな」
「そっか。わかった、手伝うよ」
「えっ俺を助ける為じゃないの?」
東が今度は少し大きい声で口を挟んだが、樹は構わず月餅をかじりながら燈瑩に向き直った。
「燈瑩、その人達の顔わかるの?」
「全員じゃないけどいくらかは」
「じゃあ一緒に探しに行こう」
了解、と言って席を立つ燈瑩とともに店を出ようとする樹に東が声を掛ける。
「また俺ここで1人…?」
「【東風】まではまだ狙われてないんでしょ、外に居るより安全じゃない?」
「そうかもだけど…早く帰ってきてね…」
「え、当たり前じゃん」
その返答に東は喜んだ。しかし。
「月餅食べ終わってないもん」
微塵も東の為ではなかった。
樹は振り返りもせず【東風】の扉を閉め、東はそれを、黙って見送った。