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九龍懐古  作者: カロン
光輝燦然・上
77/492

胡乱と鶏鳴

光輝燦然3






翌日、まだ鶏鳴が暁を告げて間もない頃。


「おはようみんな!」


(ヨウ)の声が朝の冷たい空気の中に凛と響く。


「おはよう。今日も宜しくね」

「おはようございます(ヨウ)さん、寒いから風邪引かんようにせんと」

「……ぉふぁょ………」


にこやかに挨拶を返す燈瑩(トウエイ)、いつものお母さん気質を発揮する(カムラ)、半分以上寝ている様子の(イツキ)


(イツキ)君、眠そうだね」

「……ぅむ……」

「朝飯食うとらんからとちゃう?食べれば元気出るで(イツキ)は」


(ヨウ)が話しかけるもうつらうつらと船を漕ぐ(イツキ)の反応は鈍く、代わりに横から返事をする(カムラ)

とはいえこの時間の九龍では開店している飲食店は少ない。もうすこし経てば茶餐廳(チャーチャンテーン)などもオープンするのだが…せめてコーヒーだけでも…。

そんな(カムラ)の思考を読むかのように、タイミングよくマネージャーが全員に鴛鴦茶(えんおうちゃ)のペットボトルを配り始めた。


「あれ、これ(ヨウ)さんがCMしとるやつ?」

「そう!よく気付いたね!(カムラ)君観てくれてるの?」

「そりゃあ…いうて観とらんやつおらんやろ、あのCMいつもやっとるし(ヨウ)さん人気やねんから」


言いながら、(カムラ)はキャップを開けてボトルを寝ぼけ眼の(イツキ)に手渡す。保護者感満載だ。


「CMみたいにやってあげよっか?」


そう口にするが早いか(ヨウ)鴛鴦茶(えんおうちゃ)をクイッと飲むと、疲れた時にホッと一息!いつもあなたのお側に…鴛鴦茶♡と言ってウインクを決めた。

テレビ画面の中の映像そのまんま。いや、なんなら本物の方が数倍可愛い。

(アズマ)だったら泣いて喜ぶんだろうなと(カムラ)は思ったが、(カムラ)とて(ヨウ)のその可憐さに言葉が出なかった。


(ヨウ)ってテレビでも可愛いけど、本物はもっと可愛いね」


コーヒーと紅茶の苦味でうっすら意識を覚醒させた(イツキ)がサラッと賛辞を述べる。特に下心も何も無く、ただ思ったことを思ったままに言っただけ。(カムラ)は驚愕の表情を見せた。


(こいつ)…恥ずかしいとかないんか…!?


(カムラ)だってこういう時、素直にスマートに褒められるような男でありたいのだ。ありがとう!と無邪気に喜ぶ(ヨウ)を見て次は頑張ろうとひっそり胸に誓う。


「本日は花街でのカットから進めて行きたいと思います。宜しくお願い致します」


言葉とともにマネージャーが頭を下げ、スタッフ達は撮影準備に入った。カメラマンがバタバタと通り過ぎる。

そして撮影がスタート、日の出を迎えネオンの消えかかる風俗街の看板を背景に、何百枚といった写真が撮られていく。途切れることなくひたすら聞こえ続けるシャッター音。

その音が鳴る度に、ほんのわずかずつ表情を変える(ヨウ)。これだけたくさんの写真の中で1枚も同じものはない。

プロってすごい…月並みの感想をいだきつつボケッとその様子を眺める(カムラ)の視界の端に、マネージャーと燈瑩(トウエイ)の姿が入った。


離れた場所で何やら話し込んでいる。燈瑩(トウエイ)は鴛鴦茶片手に煙草をふかし、マネージャー側もリラックスした雰囲気。

ずいぶん仲が良さそうだった。仲が良いというか、かなり昔から親交があるような…(ヨウ)への燈瑩(トウエイ)の態度もそうだ。

(ヨウ)ははじめましてと言っていたし燈瑩(トウエイ)も自己紹介をしていたけれど、本当は違う気がする。


「気になるなら聞いてみれば?」


2人を見詰める(カムラ)に気付いた(イツキ)が目をこすりながら提案したが、(カムラ)は少し考えてから首を横に振った。


「いや、ええよ。必要やったら話してくれるやろ」

「そっか」


(イツキ)は頷いて鴛鴦茶をゴクゴクと一気飲みしだした。どうやらまだ6割程しか目が覚めていないらしく、カフェインに頼ろうとしているようだ。

(カムラ)は自分のぶんの鴛鴦茶も(イツキ)に渡した。これで覚醒ゲージは8割くらいになるだろうか。

また撮影に目を向ける。朝日が差し始めた九龍の街の中、光を受けて輝く(ヨウ)の姿。


華やかなもんだなぁ。(カムラ)はしばしその肢体に見惚れていたが────その真横で、何かが揺れたような気がして目を凝らす。

なんだ?見間違いか?そう思った瞬間。


「っ、(ヨウ)さん!!!!」


揺れたのはロープだった。

老朽化した看板を取り外すために組まれた竹の足場を結ぶロープ。それが切れてほどけ落ち、瞬く間に足場は崩れ竹の束が(ヨウ)の頭上に降り注ぐ。


間に合わない、そうわかってはいたが駆け出した(カムラ)の目の前で派手な音を立て地面に突き刺さる竹の雨。焦って隙間から(ヨウ)を探すもその姿は無く─────数メートル向こう、無惨に転がる足場の残骸を越えた先にある人影に目が止まる。


「危なー…」


言いながらその人影───鴛鴦茶のペットボトルを口にくわえた(イツキ)が振り返った。その腕の中では(ヨウ)が姫抱きになっている。

足場が崩れ落ちてきた瞬間に、驚異的なスピードで滑り込んだ(イツキ)(ヨウ)を抱きかかえそのまま反対側まですり抜けたのだった。

突然の出来事に放心するスタッフ達。だが、事態を飲み込むと戸惑いと怒号で辺りは包まれた。


ポカンとしている(ヨウ)に声を掛けつつ、(イツキ)はその身体をそっと地面に降ろす。


「大丈夫?」

「あ、うん…ビックリしちゃった。すごいね(イツキ)君」

「たまたま傍に居たから。あと(ヨウ)が軽かったし」


多分(カムラ)じゃ重くて助けらんなかったと肩をすくめる(イツキ)に、(ヨウ)がプッと吹き出す。

そこへちょうど(カムラ)が不格好に竹をまたいで避けつつ走り寄ってきた。


(ヨウ)さんケガは!?」

「平気よ、(イツキ)君のおかげ」


離れていた燈瑩(トウエイ)(ヨウ)の無事を確認し安堵する。足早に3人に近寄りつつ、その途中、落ちていたロープを手に取った。竹の束を繋いでいたものだ。

何かを確かめると足場が組まれていたビルを見上げる。


「どないしたんですか?」

「ん?うん…いや、なんでもないよ」


燈瑩(トウエイ)(カムラ)の言葉に笑顔を返し、安全な場所へと(ヨウ)を避難させるマネージャーの横で鴛鴦茶の残りを啜る(イツキ)に小声で囁いた。


「ありがとう(イツキ)。出来たら、この後もなるべく(ヨウ)の近くに居てくれないかな」

「わかった」


短い返事で承諾する(イツキ)


得体の知れない不穏な空気が、朝靄(あさもや)(かす)む九龍の街に静かに立ち込めていた。







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