麗人と熊
光輝燦然2
「あかん、吐くかもしれん」
バイト当日。例の依頼人を現地まで迎えに来たのだが、段々と緊張してきてしまった上が泣き言をいう。
服装は一応スーツ指定。それだけでも背筋が伸びるというのに、少しずつ集まってくる人々や物々しい雰囲気に上は自分が場違いな気がしていた。
「やっぱり要人警護なんて無理や…駄目や俺なんて、焼き芋にでもなったらええんや…」
「大丈夫だって、気楽にやって?ね?」
上の背中をさする燈瑩は‘気楽に’の言葉通り、正装だが髪をラフに下ろしワイシャツのボタンも適当に開けている。ネクタイは無しでこなれた感じだ。
この人いつもこうだよな、と上は考える。
出会った頃からそう。常に余裕を感じさせる振る舞いと佇まい…自分との差は一体なんなんだ?しかも細身でイケメンだし。こっちは丸顔のぽっちゃりだっていうのに。くそう、悔しい、吐きそう。
その隣でポケットに手を突っ込んで立っている樹。お馴染みの中華帽は今日は留守番させて、かわりに前髪を少し上げたスタイル。
こちらも滅多に着ることのないスーツを身にまとい鬱陶しそうにタイを緩めてはいるが、やはり様になっている。体型や体幹の問題なのか?はたまたセンスか。
「もう嫌や、俺だけこんな…もう帰る…」
「どうしたのよ」
半ベソをかく上を燈瑩が慰めていると、目の前に黒いベンツが1台止まった。
現場の空気が張り詰める。この車に乗っているのが今回の依頼人と“要人”だ。
運転席のドアが開いて付き人らしき人物が降りてきた。燈瑩と軽く会釈を交わす、この人からの依頼なのであろう。付き人は後部座席の扉に手をかけて言う。
「本日はお世話になります。こちらご紹介致します、警護対象の────」
ドアが開くやいなやスラッと伸びた長い脚が地面につき、1人の女性が姿を見せた。
鮮やかな暖色のチャイナドレス。腰まである濡羽色の真っ直ぐな髪に凛とした双眸。それは幾度となく画面の向こうで見た、あの。
「陽です!初めまして!」
付き人、改めマネージャーが言うより先に、華々しい笑顔と共に陽の声が響いた。
上は絶句していた。超有名人やん、俺なにしにここに来とるん?身の回りの世話?無理やない、粗相しかせえへんのとちゃう?
そんな上をよそに樹と燈瑩は早々に挨拶を済ませている。
「えーみんな若いね!もっと年上の人が来るのかと思ってた!」
声を弾ませる陽。樹君はミステリアスで素敵!燈瑩君はすっごくカッコいい!などなどストレートな賞賛を繰り出している。
と、陽はスッと上の方を向き小首を傾げた。
「貴方のお名前も教えてもらえるかしら?」
「あっ、か…上です…」
「上君。上君は───」
急に振り向かれて焦る上の頬を、陽はなんの躊躇いもなくプニッとつまむ。
「熊さんみたいで可愛いね♡」
熊さんみたいで可愛いね─────。
可愛いね─────。
可愛いね─────。
「上、しっかり」
樹に呼ばれ正気を取り戻す上。
「えっと、上毛深くないし…熊って本物の方じゃなくて…ぬいぐるみとかだと思うから。なんか【天堂會】のやつみたいな」
熊発言にショックを受けたと勘違いした樹が上を精一杯フォローするが、問題はそこではなかった。
上は女耐性が無い。頬をつままれたことも可愛いなんて言われたことも皆無、なので陽の急なゼロ距離にキャパオーバーしてしまったのだ。【宵城】に女性従業員をスカウトしたりしてはいるものの、そこでも仕事以上の関わりはない。真面目なのである。
反対に、燈瑩はひたすらにモテてきた。かといって浮いた話は無く遊び人のイメージとは程遠い。しかし幼少時より裏社会や水商売の世界にも足を踏み入れているので、女性慣れしており扱いも格段に上手い。
樹は色恋沙汰に毛ほども関心がない。一番の身近に東という反面教師が居ることを差し引いても全くもって興味がなく、三大欲求の割合の殆どを‘食欲’が占めている。ゆえに相手が女だからといって緊張したりもせず、フラットに接する事が出来る。
三者三様ではあるが、とかく気を揉んでいるのは間違いなく上だった。
「ちゅうか東んこと呼ばんかったのコレやったんですね…」
「あ、そうそう。東はファンだから仕事にならないかなぁと思って」
上の言葉に燈瑩が笑う。
東は女に滅法弱い。好きな女なら尚更だ。
この現場に呼んでも陽のケツを追いかけ回すだけで何の役にも立たない可能性がある。
まぁもしも万が一、暴漢などが向かってきた時にはきっと身体を張るので、弾避けにはなれるかも知れないけれど。
「これから九龍内を散策し撮影場所の下見やリハーサル等を行います。中流階級区域及び花街中心に見て回れたらと考えているので、皆さんご同行願います」
マネージャーがテキパキと予定を発表し人々はいくつかのグループに分かれた。
どうやら今回はショートフィルムの撮影で、ロケ地のひとつとして九龍を使いたいらしい。その出来と人気次第で本格的な長編映画の企画に移行するとか。
もちろん陽と同じグループに振り分けられた燈瑩、樹、上の3人は雑談を混じえつつ九龍の街を紹介して歩いた。
「みんなはずっと九龍に住んでるの?」
「俺はだいたいそうだね」
「んーん、もともとは香港島にいた」
陽の質問に首を縦に振る燈瑩と横に振る樹。香港島のどこに居たの?あのお店知ってる?などと楽しそうに談笑している姿を一歩下がって視界に収めていた上は、あることに気が付いた。
それは燈瑩の視線。今までに見せたことがないような眼差しで陽を見詰めている。
好きとかどうとかいう類の感情じゃない。懐かしいものを眺めるような、むしろ彼女を通り過ぎてさえいるような、その向こう側にある景色を探すような…そんな視線。
「ねぇ、聞いてる?上君?」
「え?あ、すっすまん!!聞いてへんかった!!ホンマごめん!!」
うわの空だった上に陽は至近距離まで詰め寄ると、プーさんってあだ名つけちゃうよ?と言いながら小悪魔的に口の端をつり上げた。笑っているせいで少し下った目尻で長いまつげが揺れる。恐ろしく可愛い。
どうぞどうぞと答えたかったが言葉が出ず、上は顔を真っ赤にするだけで終わった。
花街、中流階級区域。途中の休憩で行きつけの鶏蛋仔屋に寄ると店主が陽の姿を見て飛び跳ねて喜び、皆に鶏蛋仔を無料でプレゼントしてくれた。
陽はお返しにとサインを書き記念写真を撮る。ニコニコと店主と長話、ファンサービスが手厚い。人柄が好かれるのも頷けた。
「ところで兄ちゃん、次の試合はいつやるんだよ?ギャラリーがずぅっと待ってるぜ」
「へっ?やらんやらん!もうやらんて!」
唐突な店主の言葉に上は慌てて首をふる。気になったらしい陽も会話に入ってきた。
「上君なにかの選手なの?」
「あぁ、格闘技のな。この兄ちゃん人気のファイターなんだよ」
「へぇ!じゃあ強いんだ!」
「全っ然強ない。めっちゃ弱い、ホンマに」
なぜか得意げな店主の言にキラキラした目を向けてくる陽へ、シワクチャな顔で返事をする上。期待に応えられず申し訳ないが、見栄を張るつもりも尾鰭をつけるつもりも無い。弱いのだから弱いと言ったまで。
ところがそんな上の愚直さが、逆に陽を感心させたらしい。
「なのに試合に出てるの?勇敢なんだね」
「そんなんちゃうよ、成り行きで…」
「でも人気なのよね?」
そうだぜ、兄ちゃんの食らいつく姿がカッコいいんだなどと店主が騒ぎ立てる。
陽は胸の前で両手を組むと、屈んで上の顔を覗き込み言った。
「みんなの心を動かしてるってことでしょ。それって、とってもすごいことよ」
上目遣いにノックアウトされそうになる上。試合終了、勝者陽。これは駄目だ、誰しもが夢中になる。わかる。
だが愛らしさにトキめいたのはさておき、陽が口にした言葉が上は純粋に嬉しかった。
‘みんなの心を動かすことは、とてもすごいこと’なのだと。
店主はやたらと誉めてくれているが、実際は格好のつかない試合だった。けれどやってみた価値はあったのだろうか。
次の試合は応援に行くから!と笑い、再び店主と話しはじめる陽の背中を上は眺めた。
と、その視界にうつる、相変わらず優しく陽を見詰める燈瑩。
「燈瑩って何でこの仕事受けたんだろ」
横で鶏蛋仔をかじる樹がふいに口を開く。上は軽く首をかしげた。
「そりゃ、あのマネージャーさんと知り合いやからちゃうん」
「それはそうなんだけど…それだけじゃない気がする」
「え?樹も思っててん?」
「ひや、へんへんわはんはいへほ」
「急に頬張るやん」
上はまた陽と燈瑩へ視線を向けた。
樹から見てもそうなのであれば、上が感じていたことは気のせいではなかったらしい。
……聞いてみようか。ヤボだろうか。
そして夕暮れ、撤収直前にマネージャーから新たな打診。これからしばらく九龍で撮影を行いたいので、引き続き案内係を務めてもらえないかとのこと。
燈瑩はもちろんオーケーを出し樹も同意、なんとか緊張をほぐした上も頷いた。
「わぁ、また明日からもみんなと一緒なの?嬉しい!」
陽がしなやかな黒髪をなびかせ屈託のない顔で笑う。詳細は追って連絡しますと告げるマネージャーに連れられ、車に乗り込む姿を見送り3人も家路へとついた。
「これ、東には言わないでおく?」
樹の言葉にどっちでもいいよと燈瑩は微笑む。樹はわかったと返すも、正直元から言うつもりはあまりなかった。面倒なことになりそうだからだ。
各々自分の家へ帰宅したが、樹は【東風】へ。明日も街の中流階級側に集合するのであれば自宅よりも【東風】の方が距離が近かったので、泊まってしまおうと思ったためである。
東は店内の生活スペースにベッドや椅子をまた何台か増やしていた。以前よりも色々な人間が入り浸るようになったせいだ。
もう自分家引き払っちゃおうかなぁ、と樹は考えていた。どうせロクに戻ってないし荷物もさして置いてない。
【東風】に住んじゃったらいいんじゃないかなぁ?みんなも来るし。
「ただいま」
「おう、おかえり」
一応は他人の家だというのに特に連絡もせず普通に帰ってくる樹に、これまた普通に対応する東。
やっぱりここに住もう。そう思いながら上着を脱ぐ樹に東が嬉々として問い掛ける。
「ねぇねぇ、要人って誰だった?」
「ヨ……」
「よ?」
「……要人の情報は機密事項なので、契約が終了するまでは他言出来ません」
危ない。違うことを考えていたので、ポロッと‘陽’と言ってしまうところだった。
「あれ?バイト今日だけじゃなかったの?」
「気に入ってもらえたみたい。暫くやる」
「そっか、じゃあ楽しみにしとくわ」
あっさりと引き下がる東。まさか陽だとは思っていないからだろう。
樹は、仕事が終わるまでに東宛てのサインくらいは貰っておいてあげようと、こっそり心に決めた。




