はじめましてと銃撃戦
十悪五逆１
「狙われてる気がする」
向かいの椅子に座ってうなだれる東の真剣な声を、樹は蛋撻を口に運びながら聞き流した。
「ねぇ、樹。狙われてる気がする」
「そうなんだ」
「ちゃんと聞いておくれ？」
樹の興味無さげな返答に東が嘆く。
「ここ１週間は上から物が降ってくる」
「そうなんだ」
「聞いてってば？」
樹は蛋撻を口いっぱいに含んだまま、聞いてるよと答える。ひいへふほ、になった。
「この穴見てよ。撃たれたんじゃないかと思うんだけど」
言いながら東は自分のパーカーのフードを引っ張って見せた。たしかに、ちょびっと穴があいている。
「撃たれたのわかんなかったの？」
「音しなかったんだよ。けど、フードが揺れた気がしたから見てみたらこれよ」
カジノへ行った帰りのことらしい。
勝ち金を狙った強盗かと思って、その場はサッサと逃げ出し事なきを得たが。
「イチャモンつけられるとか物降ってくるくらいはいいけどさぁ。銃は許容範囲外」
肩を落とす東。樹は立ち上がって近寄り、フードにあいている虫喰いのような穴を上からまじまじと見詰めた。そんなに静かで小さい銃があるのか。
蛋撻を食べながら覗いていたので、パイの欠片が全部フードの中に落ちた。気にせず食べ続けた。
「とにかく俺は警戒するから。樹に被害がいくことは無いと思うけど」
「わかった。俺も注意しとく」
東の声に頷きつつパンパンと手を叩き、樹は蛋撻の残りを箱ごと鞄に詰めた。
今日は猫におつかいを頼まれている。ちょうどお昼どきだしこれを【宵城】に持っていってわけてあげよう。
「夕方には帰るから。東、とりあえずちゃんと頭は守っときなよ」
「おう。行ってらっしゃい。────あ、樹！そういえば…」
何かを思い出した東が顔を上げて叫ぶ。だがもう既に樹の姿は見えなくなっていた。
頭、守るっていってもなぁ…１人になった東はため息をつく。
無いよりはマシかと思い、仕方無しに穴あきフードをかぶってみた。
無数のパイの欠片が、髪の毛にバサバサと雪のように降り掛かった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
猫のおつかいは簡単だった。【宵城】で配るお菓子を自分の代わりに買ってきて欲しいとの事。
お土産の蛋撻を渡すと、じゃあ樹も好きなの買えよとかなり多めにお金をくれた。
おかげで普段より豪華な月餅が手に入った。あんこも薄皮も高級素材を使った一級品だ。
猫に品物を届け、自分の月餅を鞄に詰め込み、樹はホクホクと帰路について屋上を渡る。
すると【東風】に近づいたあたりで、下の通路に知らない男が居た。
もちろん、九龍の住民全てを把握しているわけではないから知らないのは当たり前だ。近所の人ですら正直わからない。
けれどそういう事じゃなく…何か違和感があった。樹は足を止めて廃ビルの中に入り、窓ガラス越しにその男を観察する。
少しウェーブがかった黒髪のオールバックで、白いシャツに黒い中華服。見た目に何も問題は無い。
違和感があるのは───雰囲気。
それとおそらく、上着の下に銃を隠している。
もしかして…この男か？
そう思った瞬間、乾いた発砲音と共に樹の目の前のガラスが砕け散った。
「…当たったかな？」
予備動作もなく射撃した黒髪の男は、割れて崩れていく窓ガラスを見ながら呟く。
何かの気配はしていた。しかし人というには野性的で、どちらかといえば動物のような気配。
振り返り様に撃ったが仕留めた手応えはなかった。やっぱり犬か猫だったかな…と結論づけようとしたのも束の間。
コンクリートの塊がついた鉄パイプを振りかぶった少年が、上から飛んできた。
男が銃を撃った刹那、それを察知した樹は既に動いていた。廃ビルの瓦礫を手に瞬時に距離を縮め男へ飛びかかる。
１０数メートルをほんの一瞬で詰めてきた樹の並々ならぬスピードに男は驚愕の表情を見せたが、即座に戦闘態勢を整えた。
樹が鉄パイプを思い切り振り下ろすと、黒髪の男は最小限の動きでそれを躱し同時に発砲する。
樹は身体を捻ってその銃口の狙いを外し、もう一度鉄パイプを今度は横に振り抜いた。男はその攻撃を仰け反って避けるとそのままバク転して下がり距離をとる。
間髪入れずに樹が壁を足場に宙を舞い、三角跳びの要領で男の頭に蹴りを叩き込む。鈍い音が響いた。
が。
「────…！」
樹は少し驚き、後ろに飛んで数歩引いた。
入ったと思った一撃が顔の真横に上げた腕でガードされていたからだ。
樹は小柄だが、それゆえに身軽で速い。その速さについてこられる相手はなかなかおらず、ストリートファイトでは負け無しだ。
じゃなかったら喧嘩代行なんてやってない。
ガードされたのは久しぶりでちょっと目を丸くした。というかこの人、どうしてガードした？余裕があるならそもそも避けられたはずだ。
「いったぁ～…」
言いながら黒髪の男は、蹴りを受け止めた腕をヒラヒラさせた。そして柔らかい口調で樹に問う。
「ねぇ、誰に頼まれたの？ちょっと心当たりが多くてアレなんだけど」
それで理解った。蹴りはワザと食らったんだ。誰の差し金か知りたいから、話す機会を設ける為に。
思えば何発か撃ってきた銃弾も致命傷を狙っている様子ではなかった。
樹はズボンの砂埃をはたき落としつつ訊き返す。
「そんなにたくさん悪い事してるの？」
「えっ……うん、そうね…」
樹の素朴過ぎる質問に不意を突かれた男は、困ったように眉を下げて笑った。
温和に見えるがこの男、多分かなり危ない。違和感の正体はこのアンバランスさだ。
けれど、どうも敵じゃなさそうに感じる。樹は肩をすくめて言った。
「誰にも頼まれてないよ、俺が気になっただけ。東が誰かに狙われてるっていうから」
「え、東？」
「東のこと知ってるの？」
「知ってるもなにも…」
言い終わらないうちに、何者かの影を視界の端に捉えた男と樹は瞬間的に同時に路地へとハイキックを飛ばした。
ドゴッ！という音と共に、コンクリートの壁が少し剥がれ落ちる。
そしてその二人の足の下。尻餅をついたせいでどうやらギリギリで直撃を免れたらしい、冷や汗をかいた見慣れた眼鏡の男が口を開いた。
「ス、ストップ…樹。あと、燈瑩も…」
言うまでもなく、東だ。
