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九龍懐古  作者: カロン
枯樹生華
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味方と豉油雞

枯樹生華6






(イツキ)!」


相変わらずの紅花(ホンファ)の声が九龍灣に響く。

(イツキ)へ駆け寄り、タックルのような勢いで抱きつくとそのままなかなか離れない。


暖かな風が流れ、太陽を反射する水面を突き抜けて魚が跳ねる。チチチッ、という鳥の鳴き声が草木の影から聞こえた。啟德機場(カイタックくうこう)へと向かう飛行機雲が、ひとすじ空に走り─────


…ん?さすがに長いな?不思議に思った(イツキ)紅花(ホンファ)の髪へ梳かすように触れつつ訊ねた。


「どうしたの?」

「…紅花(ホンファ)、しばらく(イツキ)に会えないかも」

「なんで?」

「伯父さんがね、もっとお勉強しなさいって。お家で家庭教師の先生つけるって」



そうきたか。



(イツキ)と繋がりを得る見通しが立った今、紅花(ホンファ)の役目は一旦終了。むしろ引っ込めておいたほうが、息災か気にした(イツキ)が伯父の懐に入ってきてくれる可能性が高い。

今後アンバーの情報は(イツキ)から聞き出せばいいので、伯父は紅花(ホンファ)という手駒を下げたのだ。


シュンとしている紅花(ホンファ)の頭をポンポンと撫で、(イツキ)は出来るだけ柔らかな声音になるように努めて言葉を発する。


「伯父さん俺には会うって言ってた?」

「うん、今週末に九龍灣で会いましょって」


今週末か。もう目と鼻の先だ、飛び付いてきたな。けれどこちらの準備も間に合うはず。

紅花(ホンファ)がその場に居合わせないというのは逆に都合がいいのかも知れない。和やかに話が纏まるとは全く思えないからだ。


もしかしたら……会えるのは今日で最後かも。そう考え(イツキ)紅花(ホンファ)の気が済むまで抱きつかせておくことにする。

(イツキ)自身、寂しく感じているふしもあった。短い付き合いだし年齢差もあるとはいえ、2人の間には確実に‘友情’が芽生えていた。


(カムラ)、辛かっただろうな。

数ヶ月前の話を思い出す。只の別れでさえこれだけ喪失感があるのに、(カムラ)の場合は…。

場所は奇しくも同じ九龍灣。(イツキ)は海の向こうに消えたという(カムラ)の友人に少し思いを馳せた。



それからその日は九龍灣を出て、2人で紅花(ホンファ)の好きなことを沢山した。

街中に立ち並ぶ建造物の屋上に登ったり、お馴染みの鶏蛋仔(ワッフル)を食べたり、【東風】にも顔を出したり。紅花(ホンファ)が行きたがった場所に全て行き、食べたがった物を食べ…散々九龍を見て回った。

なんと、(マオ)が【宵城】の自室に入れてくれるというサプライズも。


「キラキラして綺麗なお店ね!お城みたい!」


花街の綺羅びやかな雰囲気と【宵城】の豪華絢爛な佇まいに声を上げハシャぐ紅花(ホンファ)


「そりゃどーも、ありがとな。遊びに来たのは伯父サンには内緒にしとけよ」


(マオ)はシーッと口元に指を当てて、約束守れる子にはこれやるぜとかなり高級なホテルのチョコレートを紅花(ホンファ)に渡す。

ジュエリーケースを模した箱に入った宝石のようなチョコを、紅花(ホンファ)は大切そうに受け取った。


わざわざ用意してくれたのか。こういう所だよな、普段の口は悪くても結局(マオ)は優しい。

そう(イツキ)が考えていたのが表情から読み取れたのか、何だよやめろその(ツラ)(マオ)は眉間にシワをよせた。



そしてあっという間に陽は傾き、(イツキ)は夕暮れの九龍灣へと紅花(ホンファ)を送る。

繋いだ手を離すのをためらう紅花(ホンファ)。その小さな手を離すのを、(イツキ)もまた名残り惜しく思った。


別れ際。(イツキ)は膝を折って、紅花(ホンファ)の前に屈み込む。


紅花(ホンファ)、もし…」


なんと言ったらいいのだろうか。気の利いた台詞は浮かんでこない。


「もし…紅花(ホンファ)が俺の事嫌いになったとしても、俺はずっと紅花(ホンファ)の味方だから」


ちょっと鬱陶しかったかな。嫌いな奴に味方されても良い気分はしないか。

しかも圧倒的な説明不足。だが伯父が裏で行っていることや【黑龍】及びアンバーとの問題を赤裸々に伝えるわけにもいかない。


「なにそれ?紅花(ホンファ)(イツキ)のこと嫌いにならないよ?」


案の定不思議そうな表情をする紅花(ホンファ)(イツキ)は頷いて、ありがとうとだけ言った。





宵闇に沈む九龍を歩き、【東風】へ戻った(イツキ)(アズマ)燈瑩(トウエイ)が出迎える。

今夜も(アズマ)は夕飯を作っており、メニューは豉油雞(しょうゆチキン)。香港の街角でよく見かける照焼きチキンのような物で、(アズマ)は今回チャーシュー屋さながら丸鶏を1匹買ってきてそのまま調理したらしい。


「なんで(アズマ)こんな張り切ってんの」

「気ぃ遣ってるんじゃない?紅花(ホンファ)ちゃんの事もあるから」


テーブルについて料理を待つ(イツキ)の疑問に、横に座る燈瑩(トウエイ)が笑いながら答える。


そうか、と(イツキ)は納得した。

先日【黑龍】での(アズマ)のエピソードを知ってから、今まで不可解だった過保護な言動の真意が理解できるようになっていた。(アズマ)が気を遣っている、というのもストンと胸に落ちる。


「どう?けっこう上手く焼けてない?」

「うん、美味しそう。ありがと(アズマ)


それに伴い(イツキ)(アズマ)への塩対応もいくらか緩和されており、食卓に鶏を運んでくる(アズマ)の目を見て礼を言う(イツキ)(アズマ)は非常に嬉しそうだ。


3人で夕飯を食べつつ伯父の動向について話す。

今週末九龍灣に来ること、紅花(ホンファ)は来ないこと、その理由、伯父の魂胆の予想。


伯父が大人しく九龍から手を引き、今後紅花(ホンファ)を仕事のダシに使うことも暴力を振るうことも無くなればいいが、そんな奇跡は起こらないだろう。

きっと伯父を片付ける(・・・・)方向になる。ハッキリと言わないが皆わかっていた。


「…とにかく、手は回しておいたから。(イツキ)は好きにやっていいよ」


すでに色々と策を講じたらしい燈瑩(トウエイ)が言う。

厚意に甘えてそうさせてもらうとしよう、(イツキ)は丸鶏をかじりながら首を縦に振った。


それから当日の流れと各々の動きを軽く打ち合わせし、夕食を終え解散した。

解散とは言ったが帰ったのは燈瑩(トウエイ)だけで、(イツキ)は例のごとく【東風】に泊まることにしたのだが。


早々に寝室へ引っ込んだ(アズマ)と共に、すっかり私物と化したベッドに寝転がる(イツキ)

と、ここでも鼻をくすぐるスパイス……もはや台所だけでなく【東風】全体が豉油雞(しょうゆチキン)の美味しい匂いになっていた。


作るの時間かかっただろうな。茉莉香米(ジャスミンライス)も炊き込んでくれてたし。(イツキ)はそう思い(ねぎら)いの視線で(アズマ)を見たが、当人は隣でグーグーとイビキをたてはじめている。

うるさいので何回か小突いて黙らせてから(イツキ)も目を閉じた。




────週末がやってくる。




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