【黑龍】とSSR
枯樹生華4
翌朝、もとい昼過ぎ。
鴛鴦茶の薫りが漂う【東風】店内で、頭をおかしな角度で傾ける東を訝しげな表情で見詰める紅花。
昨晩はというと、結局ベッドは猫が1台、樹と大地で1台。ソファは燈瑩、ミニソファ2つを合わせたものに上、床に東の配置で就寝した。
就寝というより、呑んだくれた末の寝落ちのほうが正しいが。
結果、東は硬い床タイルで全身を痛めたうえに首を寝違えて、明後日の方向から視線が外せなくなったというわけだった。
「ハジメマシテ、東デス」
「紅花よ。あなたやっぱり変な人ね」
容赦のない一撃。猫が笑い声を上げる。
ごめんね、こんな俺だけどお姉さんとか居たら紹介して貰えない?と軽口を叩く東の頬を樹がパァンとはたいた。ただでさえ寝違えている首がはたかれた衝撃でさらに曲げてはいけない方向に曲がり、東が声にならない声で叫ぶ。
「紅花ちゃん初めまして!大地っていいます!」
「あ、あなたがお姫様ね!」
「えっ!?姫!?」
「違うの?樹からそう聞いてるんだけど」
でも、ほんとにお姫様みたいに可愛いわね!紅花とあっちで遊ぼうよ!と腕を取られ、訳の分からないまま椅子に座らされる大地。上が樹に耳打ちする。
「なんや、樹どういう紹介したん?」
「んー…可愛くて、男の子だけど周りには姫扱いされてるって言った」
「なるほどな」
女の子と見間違う容姿なことと、全員大地には甘い──1番歳下だからというのもあるが──のは事実なので、姫扱いという言い方もあながち間違ってはいない。
二人はなにやらお絵描きを始めたようだ。その様子を眺めていた猫が、パイプの煙を流しつつ呟く。
「普通のガキだな」
「別に呪われてないでしょ」
頷く樹。すると、その下から這い上がってきた東が少し目を細め言った。
「あの娘────馮のとこの子供じゃね?」
「馮?」
耳慣れない名前だ。樹が訊き返すと、東は首を縦に振り般若の様な顔をした。
動かしたら痛かったのだろう…無理にリアクションしなくていいのに、怖いし。
いわく、馮は何年か前に九龍で仕事をしていた薬屋で東もちょいちょい付き合いがあったらしい。
男手ひとつで子供を育てていたが生活苦から薬物の販売に手を出し、いくらか販路を拡大していた矢先マフィアとの揉め事で殺されたとか。
一人娘は香港の伯父に引き取られ、それっきりだ。
「娘の写真見たことあっけど、多分そうだと思うんだよな…そんときゃもっと小さかったけど」
記憶を辿ろうと、脳みそを回転させながら渋い顔をする東。
‘家庭の事情’で香港に引っ越したのはそういう訳か。樹が口の端に指を当てて考えつつ問う。
「紅花の伯父さん、燈瑩探してるって事は裏社会の仕事なんだよね?」
「十中八九そうだろ。馮が持ってたルート使ってんじゃねぇの…つうかむしろ、それ目的で馮を殺したのかもな」
「誰が」
「伯父が」
横から飛んできた上の疑問に東が即答した。
馮の事業が思いの外上手く回り始めたので、裏社会でのシノギに魅力を感じた伯父が殺して横から奪い取った。
無くはない話だ。
「あの子と仲良くなった人が死んで、伯父の羽振りがよくなるんだよね?」
燈瑩が煙草の煙と共に言葉を吐き出す。
紅花は羽振りがいいという言い方はしなかったが、物を買ってくれたり美味しいものを食べさせてくれたり旅行に連れていってくれたりとは、つまりそういうことのはず。
なぜ身近な人間が死ぬと羽振りが良くなるのか?
馮を殺したのが伯父だと仮定すれば、自ずと答えは出る。
殺した人間の販路を乗っ取っているのだ。
「仲良くなった人が死ぬんじゃなくて、死んでほしい人間と紅花ちゃんを仲良くさせてるんじゃない?」
紅花を通して信頼を得て、情報を収集しつつ裏では殺人計画を練る。
情報の中には暗殺に役立つもの、事業拡大に役立つもの、金儲けに役立つものなど有益な話がたっぷりとあるだろう。
「クソだな伯父」
燈瑩の推測に猫が率直な意見を口にする。
利権絡みの切った張ったなんてものは九龍でもよくあるが、そんなものは当人同士でやることであり、裏社会のことは裏社会だけで済ませるべきだ。
ましてや身内の子供を巻き込んだり利用ったりなんてするもんじゃない。
猫はこういった面ではかなり侠気があり、紅花の伯父のやり方に苛立っているのが見て取れた。
聞いた限りでは、死んでしまった紅花の友人タイプは統一されていないようだ。
どうやら伯父は様々な方向に手を広げたいらしい。
今回アンバーを探しているという事は、次は武器商関係か。
「やけど、なんで樹に声掛けさせてんやろ?」
紅花を見やり上が呟く。
どうして樹を選んだのか。
燈瑩に辿り着きたいなら、もっと他の人選があったはずだ。
結果的には一番近道だったのだが──それはただの偶然に過ぎない。
まず九龍の現状を知る為に、とりあえず目に付いた人物にした?
紅花と親密になれそうなら誰でもよかった?
別に必然性があったわけではないのか?
樹が口を開く。
「俺が【黑龍】の龍頭の息子だからじゃない?」
唐突な告白に、一同は驚き目を丸くした。東だけは少し違う理由での驚きだったが。
【黑龍】は香港で活動するマフィアの中でもかなりの大組織。犯罪や金銭の流れを裏で操り、関わってきた事件は星の数。黒社会でその名を知らない人間は居ない。
現在の龍頭は60歳前後の人物のはずだが…樹がその息子だって?
「子供たくさんいるから、立場としては大したものじゃないんだけど」
「いや大したものやろ」
樹の言葉に上が首を振る。さすがの猫も少し口をあけていた。
そんな中で、妙におとなしい東を上は不思議そうに見詰める。
「東、あんま驚かんやん。知っとったん?」
「……知ラナイ」
嘘っぽかった。
「東知ってたの?俺話したっけ?」
「……話シテナイ」
樹の問い掛けにもなにか胡散臭い返答をする東。
猫がしかめっ面で言った。
「つうか樹いいのかよ、バラしちまって」
あえて話す機会も無かったのだろうが、されどここまで隠してきたのには理由があったはずだ。少なくとも、ペラペラと人に喋れるような内容ではない。
余計なトラブルに巻き込まれる事もあるのは想像に難くないし、周りからの見る目も変わるだろう。
命だって狙われるかも知れない。
猫の心配をよそに樹はあっけらかんと生い立ちから九龍へ住むに至るまでの過程を語った。
樹に特に迷いはなかった。紅花との会話でわかったのだ、自分の気持ちが。
みんなを信頼している。隠すようなことなんて何も無い。
一通り話すと樹は満足そうな表情で息を吐き、全員を見回す。
「もう俺【黑龍】の家族じゃないし。みんなになら話してもいいかなって。今はみんなが家族だから」
駄目だったかな…?と何だか申し訳なさそうな顔をする樹に、上が立ち上がって声を張った。
「駄目な訳あるかい!!!!」
「うわっ!うるせぇな」
真横に居た猫が耳を塞ぐ。
「俺らは樹がなんやっても、過去がどうやっても、今までと変わらへんし!!樹は樹やし……他は関係あらへん!!九龍では俺らが家族やんな!!」
両親を亡くして九龍でさまよった末に皆と出会い、‘家族’を得た経験が今の樹の話とダブったのか、泣きそうな顔で力説する上。
大組織の息子ということで私利私欲の為に擦り寄る者もいるかもわからない。権力に期待し利益を享受しようとする者や、虎の威を借りようとする者も。
だがここに居るメンバーは【黑龍】の事などは関係なく、樹という個人を見ているんだと伝えたかったんだろう。
「んなこたイチイチ言わなくても伝わってんだよ。座れよ饅頭」
「饅頭はヒドない?」
猫は手の平をヒラヒラと上下させて上を席に戻し、でも良い演説だったぜと笑った。
「それを踏まえると、樹と仲良くして【黑龍】の後ろ盾を得たいって事かな」
短くなったタバコを灰皿で揉み消しながら、燈瑩が猫に視線を送る。
「まぁ樹を仲間にしておけば、【黑龍】が自分達に手を出しづれぇって思ってるとかもあんだろ」
パイプの灰を床に落としつつ答える猫。
実際の関係性はどうであれ、樹が龍頭の息子であることは事実だ。
何にしろ、手駒にしておいて損はないと目論んだのだろう。
「でもこれ、知ってる人少ないと思うんだけどな」
帽子の鍔をイジりながら樹が言う。
そこで、これまでだんまりを決め込んでいた東が、やっと小さな声を出した。
「…【黑龍】の薬師から漏れたんだと思いマス」
東の話では【黑龍】には何人か薬師がおり、その中に1人どうしようもない人間性の男が居たらしい。
金の為なら何でもする奴で、腕は良かったので多少の問題には目を瞑られ雇われていたが、あまりにも続く不祥事にある時首を切られた。
その後【黑龍】の情報をあちらこちらへと見境なく売って稼いでいたが、ここ最近、ついに痺れを切らした【黑龍】の人間に殺された…ということだった。
なるほど。それはわかった。
しかし東───やけに内情に詳しい。やはり何かがおかしい。上は眉根を寄せた。
「何で知ってるん?さっきも驚いてへんかったし」
「…俺も【黑龍】の薬師だったからデス」
観念し白状する東に、今度は樹が一番目を丸くして問いかけた。
「え、東いつ【黑龍】に居たの?」
「樹が小さい時から、家出したちょっと後まで」
「俺のこと知ってたの?」
「知ってた。ていうかね、俺、樹追っ掛けて九龍きたんだよね」
ちっちゃい時から見てて、ほっとけなくて。と肩をすくめる東。
他の理由としては、過去に同胞を助けられなかったことから今度こそは助けたいと思った…というのも少なからずあった。
別に自分に何が出来るというわけではなかったが、せめて近くで見守っていたかったのだ。
その場に居た全員が得心する。これで東が樹に過剰に構う理由がわかった。
東は樹の生い立ちからここまでの経緯の一部始終を見てきた。血の繋がりは無くとも、長年傍で見守るうちに、護るべき存在になっていたのだ。
「…そうなんだ。ありがとう、東」
なんとなしに気恥かしそうにしている東へ向けて、樹がお礼の言葉と共に微笑む。
「え!!レア!!SSR!!!!」
滅多に笑顔を見せない樹の不意打ちに東は叫び、飛び上がりかけてバランスを崩しそのまま椅子ごとひっくり返った。
起き上がった時には樹は既にいつもの無表情。東はレアイベントを堪能出来なかった悔しさを噛み締めながら、泡沫の笑顔を何度も反芻した。
「とにかく……その紅花の伯父ってやつ放っとくと面倒なことになりそうだな」
舌打ちをする猫。
燈瑩の件しかり、樹の件しかり。かたや殺して販路を乗っ取ろうとされており、かたや囲い込んで後ろ盾にされようとしている。
伯父の‘仕事が終わるまで’九龍灣のオフィスにいるというのは、アンバーと【黑龍】の件が片付くまでと解釈出来る。
そもそも、薬師の情報をもとに最初から樹目当てで九龍灣周辺にやってきたのであろう。
偶然を装って紅花に樹を見付けさせ、親交を深めるよう誘導する。かたわらで、アンバーの情報収集といったところか。
「まぁ、先ずは裏取ってみよっか。今のところまだ憶測でしかないから」
そう言いながらも燈瑩は、九割九分九厘合ってるとは思うけど、と付け足した。
その日は暗くなるまで皆で【東風】で過ごし、いつも通り樹が紅花を九龍灣まで送っていった。
どうやら【東風】の面々を気に入ったらしく、また遊びに来てもいいかしきりに聞いてくる紅花に樹は二つ返事で頷く。
去っていく紅花の背中を見ながら樹は考えた。
ここからだ。
さっき皆でたてた仮説が正しいとして、自分達と紅花、双方の納得がいく形におさめるにはどうしたらいいか。
紅花と伯父の関係性はどうなのだろう。大切な肉親なのであれば……それを奪うような真似は出来ればしたくない。困ったものだ。
頭をひねっても、まだ何も確定してはいない現状、あまり良いアイデアは出てこなかった。
今まで通り紅花と接しつつ情報を待つしかないか。そう思いながら夜のネオン街を歩く。
だが数日後、意図せず露見したある事柄によって、状況は一変することとなる。




